ダリに会いに行ってきた
少し前のはなし。
中学の美術の教科書に載っていた2枚の絵がお気に入りだった。
ひとつは
ぐにゃりと歪んだ時計が枯れ枝や変な生き物の死骸?から垂れ下がっているちょっと不気味な、幼い頃に熱にうなされてみる怖い夢のようなそんな絵。
ふたつめは
海の上に浮かんだ石のお城。
現実にはありえないけれど青い空と海の波なんかは写真のようにリアルでこれまた不思議でちょっと怖いそんな絵。
なにもかもが思うようにいかない中学生のわたしは現実にとても疲れていて、だからきっと写実的ではないそんな絵に惹かれたんだろう。
美術の授業、先生の話なんて聞かずにずーっとその絵を眺めていたのはおぼえてる。
いや、正確に言ったら思い出した。だ。
それもなぜかは分からないんだけれどある日突然。
猪苗代の諸橋美術館にダリの絵があるのはだいぶ前から知っていたんだけれども。
呼ばれた?なんていうとちょっと大袈裟だけど
行かなくてはいけないって急に思ったらいてもたってもいられなくなったのでした。
いつか行ってみたいな。
が、
行かなくちゃ!
に変わるのはいったいなにがきっかけなんだろう。
自分のことなのによく分からない。
よく分からないんだけれどぼんやりとは分かる。うまく言葉にできないだけで。
本当はね、GWに一度行ったのです。
でも、天気が悪くてとても寒くてそれなのにものすごい行列で。。
ああ絶対に今日じゃないって思って入らずに戻ったのでした。
それから少し経ったとある平日。
奇跡的に仕事がひとつも入らなかった日にもうここしかない!と行ってきました。
そう。中学生の時に気に入っていた絵のひとつ
タイトルは『記憶の固執』サルバトール・ダリ
ダリに会いにいこう。
14歳のときに釘づけになった絵は今のわたしにどんな感情を起こすのかな。
ええ。結論から言うとね。
『記憶の固執』はありませんでした。
もうね、なんていうかね、
まぁ、これがわたし
おまえそういうとこだぞ?的なね
ちょっと調べたら分かるでしょうよね。
いちばん会いたかった絵はニューヨーク近代美術館にあるそうですよ。
やだ行かなくちゃ。ニューヨークへ。
それでも。
サルバトール・ダリという人物にそれほど興味はなくあの絵とどこかでみた口髭をピッとたてて笑う本人の写真しか知らなくて行った美術館には、絵だけではなく彫刻もあったりして規模はそれほど大きくないけれど充分にダリを堪能できる空間でした。
あの絵はなかったけれど、印象的なぐにゃりと歪んだ時計をモチーフにした彫刻や絵はあって、平日だったこともありほぼ貸し切り状態でとても近くから眺められてじっくりと長い時間を過ごせたのでした。
14歳のわたしを釘づけにしたダリはだいぶ大人になったわたしにも変わらず釘づけにするそんなダリでした。
純粋でおばかだったあの頃のわたしがどうして惹かれたのか、、いろいろと経験しすぎて純粋てなんだかよくわからなくなった今のわたしには説明できる。
そんなことになんだかあの頃のわたしを抱きしめてあげたくなりながら。
また行こう。
また会いたい彫刻と絵にも出会ったし。
そうそう。
ふたつ目の絵は『ピレネーの城』ルネ・マグリットでした。
これ、なんとイスラエル美術館所蔵だそうです。
やだもうイスラエルにも行かなくちゃいけないじゃないの。
ニューヨークにイスラエル。
コロナ明けたら忙しくなりそうだ
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