インストゥルメンタル

私はとにかく寝るのがへたなので、まあ夜中に考えごとをする。夜の考えごと、というのは突き詰めすぎるので、大抵いい結果は生まないのに、わかっていながらそうなってしまう。

へた、というのは仕事を終えて18時過ぎに帰宅すると、大抵はへとへとで、そこからエイヤッと気力を振り絞り、夕飯の支度をして食べ終わったらお風呂に入り、髪を乾かす。すると、もう体力が尽きてしまうので、そのまま布団を敷いて倒れこむ。
大体、ここまでが凡そ九時。

そんな、小学生のような時間に寝て、もちろん十時間も眠れるわけもなく、三時ごろには目が覚める。私は、一度起きると、二度寝というものができない体質なので、ここからアラームのなる五時半まで地獄である。

はやく、朝になってほしいのに、もちろん外はまだまだ暗い。
目的もなく、スマホでKindelの本を読み漁ったり、youtubeを流し見る。
ここで、エイヤッと体を起こして掃除でもすればいいのだけど、わざわざ朝から体力を使うのも気が引ける。

こんな真夜中とはよべない時間の、ほとんど朝に近い夜は、私にとって友達のようなものだ。また、この時間が来てしまったなあと思いながら、真っ暗な部屋の、布団の上でごろごろし、やることもなくなったら考え事をする。生きてきた人生とか、これからとか、今の自分のことだとか。

私は人生に、すこぶる満足している。
そう言うと、えっと驚かれてしまいそうですが、今の仕事は特に好きなわけではないがある程度の収入はある。(そこそこ貯蓄しながら、観劇という趣味は両立できるくらい)
恋人も数年いなければ、結婚も出産もしないだろうけれど、それは自分の選んだ結果だし、幸いにも両親はそこまでせっつくこともなく、家族仲はいい方だ。

なんというか、自分の人生を、16歳くらいの頃からインストゥルメンタルだと思っていて、つまりCDの中の、表題曲とカップリング曲のあとに流れてくるおまけのようなもの。
(インストゥルメンタルこそ至高だと思っている方、ごめんなさい)

ときどきSNSやnoteでも見かける、人生でやりたい100のことリスト。
100個もあるなんてすごい、といつも圧倒されてしまう。自分が何をしたいかを明確にわかっていることは、それだけで強みだ。
明け方に、ぼんやりと考えてみても、私は100個どころか1つも浮かばない。

たとえば、お決まりの海外旅行。あそこに行きたい、あれを見たい、泊まりたい。
私は海外旅行に行ったことがない。30歳を過ぎた人間が、これを職場で話すと、ええっと驚かれる。それこそ、大学生のときに、みんな卒業旅行で海外へ行ってしまう。その次は、社会人になってからボーナスが出たあとに。

友人に、毎年精力的に海外へバケーションへ行っている子がいて、ギリシャのお土産をもらったときは驚いた。ギリシャ。私には、文化も食べ物も公用語やお金の単価も想像がつかない。パルテノン神殿ぐらいだろうか。

弟ですら、修学旅行でハワイへ行き、パンケーキが大すぎることを教えてくれ、波乗りをしているサンタクロースの置物をお土産に、海外より日本がいい、とお決まりの文句を口にしていた。

いいなあ、と思う。わたしも、海外へ行って、やっぱり慣れ親しんだ日本が一番だとごちるが、あるいは海外の文化に触れて、また行きたいと切望するか、そんなことをしてみたい。

でも、私の「いいなあ」はその言葉どまりで、行ってみたりはしない。
ただ眺めているだけだ。憧れをぴかぴかに磨いて、眺めて、自分のそばに置いておく、それだけでいい。

他人のやりたいことリストを覗き、ふむふむと学び、そして同じように憧れ、そして旅行を終えてしまうのだ。

やりたいこと、2024年のうちに一つくらい考えてみよう。


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