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コーラ


朝の刻四つ、床の間より起き、白湯を呷り、日記を綴り、絵を描き、書物を読み、そしてラジオ体操に励む。朝の我が日課なり。意識は高く、富士の峰すらも越えんかと思えり。然れども、実際には朝刻四つに起きるのは、我が家の猫が騒ぎ立てるからなり。争う二匹の猫を引き離し、猫の餌を与え、撫でくり、猫の便所を掃除す。こうして時は過ぎ、三十分が経ゆるに及び、目は冴え、眠りは遠のく。余りにも不本意なり。本来なら七つの刻まで眠りたし。

問題は白湯にあり。かの「白湯を愛飲せり」と口にする者を見る度、軽蔑の念を抱いていたが、今や我が身もその一員に。白湯とは何ぞや。ただの湯である。しかるに朝刻四つの身には、冷蔵庫の茶は冷たし、水道水は味なきを感じる。そこで白湯を愛飲せん。然るに、白湯以外に我が寝起きの身体には収まらぬ。不本意ながら白湯を呷っており。

昨日は、四つの刻ではなく零の刻に起き、原稿に励んだ。原稿の締切りの日なり。白湯を呷むも、原稿を描く手が忘れ、ただの常温の水となる。午前中は、カフェインを摂取すべく、コーヒーと緑茶を啜りつつ。しかるに、午後にはその効力も薄れゆく。我が限界なり。隣の館にある自動販売機に足を運び、コーラを購う。缶入り、百五十円。昼の日差しは眩しく、昨日までの悪天候の後、なおのこと輝く光を感じる。光の世界なり。

コーラを啜る。一気に目が醒めん。朝には白湯を愛し、然れども、闇へと堕ちん。悪魔の如く、原稿を仕上げんとする。

学び舎の時、常にコーラを愛飲せし男子あり。彼は常にコーラの瓶を左手に持ち、水のようにコーラを啜りつつ。それを指摘せしめば、「我が身、此れ無しにて死ぬるものなり」と笑みたり。是れはまさに依存の極みなり。コカ・コーラの街、メキシコのサン・クリストバルの住人の如し。彼の後の行方は知れず。

同窓生より、駅前にて浮浪者に声をかけられしとのこと、彼ならずしも失踪せり。しかるに、安否を願わんや。彼は賢く、心優しき者なれば、或るや社会に馴染めざらんか。

「昨夜、再び彼に偶然逢うことありけり」
先ほどの同窓生、続けし。
「大いに変わりし姿。スーツに身を包み、難関なる資格を得、職に就いておりし」

幸いなり。社会に馴染めぬは、我のみか。コーラを啜り、完成せし原稿を送る。

彼は尚、コーラを愛飲せりや否や。

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