エスカレーター
先日、我レジにて会計の順を待ちいだるに、隣の列の客、我が列の進みの速きを見て、怒りを露わにせり。
「我、長らく待たされし故、速きレジに誘われるべし」
と申す。
されど、この理は甚だ理解し難し。客も店員も誰一人としてこれを受け入れず、その人、仕方なく己の列に戻りぬ。
スーパーは、他人の些細なる振る舞いが気にかかる場なり。
レジにて会計する折、過度に近く寄る人もあり。自分の番を待ちかねているのであらむ。カードの暗証番号を打ち込みいる時、後ろに立たるると、たとえ相手に意図なきとも心ざわつくものなり。
荷物を詰めいると、隣の人、精肉パックをビニール袋に移し替ふ。これもまた、不思議なる行動なり。家のゴミを少しでも減らしたき思ひか、謎なることなり。
家庭ごとにさまざまなる細かきしきたりありて、それぞれ違ふ。その違ふものが交差するがスーパーなり。ゆえに、他人の振る舞いがことさら気にかかるなるべし。
たぶん、我もまた他人から見れば「ありえぬ」行動をしているやもしれぬ。
かつて、母親がエスカレーターで遊ぶ子どもにやめるやう注意していたり。
子どもは言ふことを聞かず、エスカレーターを足で止めむとす。五歳くらいの子ゆえ、注意されることはわかりつつも、怒られ慣れたる様子なり。無視して遊び続く。
母親は子どもの元へ向かふを面倒とするか、カゴを持ち、ただ声を張り上げるのみ。
ここに我、エスカレーターへ行きて、その子の真正面に立ちぬ。「お母さんが注意している。危ないゆえ、遊ぶをやめなさい」と言ひし。
子どもは固まり、目が泳ぎぬ。そして走り去りぬ。
母親は感謝するどころか我を避け、どこかへ行きぬ。
我の格好は、深くかぶりし帽子にサングラス。
「ヤバい人」などと思はれしならむ。
善意なれど、相手には恐怖を与へしやもしれぬ。もしかすれば、「子どもは自由に育つべし」という家のきまりあるならむ。我が家の家訓は「ルールはルール」とし、Dr.STONEの金狼の言の葉を借りぬ。
それぞれの家のルールが交錯するスーパーなれば、さらに奇妙なる家訓もあらむ。例えば、肉は牛肉のみ認むとか、半額の寿司は買はざるとか。
エスカレーターで遊ぶのは危険なること、これを守られしはよろしきことなり。先日、エスカレーターの事故にて亡くなりし女性もありぬ。
きっと、母子の家では我のことを鬼ババアとでも呼ぶならむ。
あの子がエスカレーターで遊ばぬやうになるなら、それでよし。
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