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ケンザン

近き所の髪結ひ処、ひとつ閉じぬ。昔、わが髪を洗はせし処なり。七日の間、病に伏し、洗髪のこと叶はず。身体の中央に傷の跡あれば、湯浴みもままならず。身を拭ひ清めることはありしも、髪ばかりは如何ともならず。水のいらぬシャンプーなるものを振りかけてみるも、ただの気休めに過ぎず。髪の毛はもはや梳かすことも憚られるほどに、重くごわごわとし、恐ろしき感触なりき。手術の痛みゆえに気も紛れ、頭皮の痒みなど覚えざりしが、髪の毛の手触りのみぞ不気味なること。

退院してすぐに参りしは、その髪結ひ処なりき。「事情ありて、久しく髪を洗はず。髪を切ることは望まず、ただシャンプーのみを」と申せば、ヘッドマッサージも加へて一時間ばかりも洗ひてくれぬ。かくまで爽快なることは、未だかつてなかりけり。担当の方には嫌な思ひをさせしことと思ふも、わが人生にて最上の瞬間なりき。

さて、近き頃、大ヒット本「キレイはこれでつくれます」といふものあり。周囲の人々よりしきりに勧められ、読んでみれば、わが常日頃行ふ「10分メイク」なるものが、MEGUMIの言ふ「1分メイク」なること判りぬ。いや、実のところ30秒ばかりかと思ふ。かくほどにわが美容意識の低きことよ。本の内容の八割は未知の領域なれど、一つ試みたることあり。シートマスクを用ふることなり。これを年始より始めて、粉を吹くほどの乾燥肌も癒えたり。MEGUMIといふ人への信頼、いよいよ深まりぬ。

さて、次に試みるべきものを本より探し、UKAのスカルプブラシを用ふることにす。髪を洗ふ際に用いる、剣山のごとき形のものなり。その名も「ケンザン」。花のごとき形にて、裏に尖りたるブラシが生ひたるものなり。単なるゴムのトゲトゲなるに、何千円もすること、如何にと思ふも、昔スーパーの端に置かれたる安きシャンプーブラシが、すぐにカビ生え用ひられなくなりしこと思へば、値段の価値ありやも知れぬ。

いざ使ひてみれば、さにあらず。トゲトゲが刺さりて痛きこと限りなし。首より生え際、頭頂、耳の際まで万遍なく廻してみれば、シャンプーの泡立ち良きことは確かなり。

乾かしてみれば、驚くべし。いつもより髪のさっぱりし、柔らかくさらさらにて、適度なるコシもあり。素晴らしきものかな。

されど、ケンザンと聞くたびに、物騒なる名なりと思ふ。頭より真逆さまに人を生けることを想像してしまふ。人間生け花。ホラーマンガのタイトルのごとし。いや、或は剣山に非ずして見参なりやも知れず。かく思へば、このブラシの形も手裏剣のごとく見ゆるなり。

一週間髪を洗はざりし時の手触りを思ひ出す。髪の毛が、もはや我が物ならずなる感覚なり。手入れを怠れば、髪は身体より離れゆくものなり。

斯かることを思ひつつ、スカルプブラシにて髪を洗ふ。

ケンザン。

いかにも、奇妙なる物体なり。

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