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スイーツ

打ち合わせの席にて、菓子折をたまわりぬ。この担当者は、常に菓子を持ち来たる。しかも、適当に買い来るにはあらで、名店の逸品を選び抜きて用意せり。日頃より細やかに配慮せらるる方ゆえ、菓子もその一環として用意せらるるものならむ。

されど、いつも菓子を期待すとはいふべからず。定例の打ち合わせにては、ほとんど菓子などたまふことはなきなり。初対面の相手や、久しぶりに会ふ担当者が持ち来たることの多かりき。菓子折のよきところは、相手の顔を菓子とともに思ひ出すことなり。とくに気の利ける菓子を用意せし人は、「センスのよき人」と好印象を抱きぬ。

一方、いままでに最も美味しくなかりし菓子は、お詫びの菓子折なりき。美味しくなからぬとはいへど、こちらの怒り収まらぬ時に、呑気に菓子など味はふ心地にはなれぬなり。可哀想なるは、そのやうな事に用いられし菓子なるべし。事情を知らぬ人にあげて、食べてもらひけり。

拙き著『いちご戦争』にてお菓子のことばかり書きたれば、甘き物好きと知れ渡り、一時は打ち合わせのたびにお菓子をたまふこと多かりき。机の横に菓子の山でき、常に頬張りながら仕事をせり。されど、近頃はオンラインにての打ち合わせも増え、菓子折をたまふことも少なくなりぬ。机の横の菓子の山は、菓子箱やクッキー缶から、スーパーの特売菓子袋に変はりぬ。

菓子袋に手を突っ込みつつ、ふと思ひぬ。あまりにも食べ過ぎたる、と。

かくて、たまはりたるものや出先にて供へられたるものの外の菓子は食べぬことに決めぬ。自ら買はぬことにすると、菓子の消費量は一気に減りぬ。甘きものを食べたき時は、干し芋か茎ワカメを口にするやうにしけり。どうしても店にて買はむとする時は、「この菓子を買ふと一億円を失ふ」と念じて衝動を抑へたり。そのうち、甘きものを食べたしとも思はずなり、干し芋も茎ワカメも不要となりぬ。

その結果、増えたる体重も一瞬にして減り、長年悩まされし吹き出物もなくなりぬ。

最も良かりしは、他人よりたまふ菓子が誠に美味しく感じらるることなり。日頃食べ慣れざれば、口にしたる途端に砂糖が脳天を直撃するなり。まさに非日常、レインボーの世界なる。

されば、我には菓子折をどんどん持ち来たれかし。

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