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プリント

さて、皆様は撮り貯めたる写真をプリントしておらるるか。

我にては断然、プリントをお勧めしたく候。コンビニプリントにて十分にて侍り。

そこにはデータにない揺らぎや、手触りなどあることなり。

現代の人々は日々、多くの写真を撮りており。きっとスマホにて美しき景色や、レトロに映ゆるクリームソーダなどを撮影するなるべし。我は資料用にコンパクトデジカメにて写真を撮ること多く、されば人よりも遥かに多くの写真を撮るなり。

写真を撮るというよりは、底引き網にてイメージをごっそり捕える如くなり。一枚一枚に気合を入れる余裕なく、百枚撮りて一枚使えば良しという、甚だ粗雑な撮り方なり。

なんなら、ずっとシャッターを押し続けることもあり。できるだけ目立たぬ姿にて撮影するも、すれ違う人々から見れば、不気味な通行人と思はるるやもしれぬ。

かくの如くにして撮り貯めたる大量の写真、されどプリントアウトしたことなかりき。ひたすらクラウドに押し込むのみなり。

しかるに今回、展示用に初めて写真をプリントアウトせしなり。台湾取材時の写真なり。例の如く、底引き網にて撮りし写真なれば、作品としての価値なかりしも、それでもプリントするに、そこに感情の揺らぐやうな何かが生まれたり。

これはアウラなり。

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」にては、写真は「非アウラ」とされていたるなれど、写真のデータ閲覧が主流となりし今、紙焼きされたる写真はアウラを纏いておるごとく思はるる。

絵画のアウラほど壮大にあらず。ほんの小さなアウラなり。

もし絵画のアウラがキャンプファイヤの炎なれば、紙焼き写真のアウラはライターの一瞬の火のごときなれど、あまりにも小さきゆえ、これはアウラにはあらずやも知れぬ。偽アウラとでも呼ぶほうが良かりけり。

紙焼き写真をめくりながら、その上に付いたる我が指紋を眺むるも一興なり。

大量の写真データより、月に幾枚かをプリントアウトしてみん。一枚のみなれど良きなり。


月に一枚のみこの世界に呼び戻し、触れ、眺め、光に透かしてみんや。

その小さき偽アウラを楽しむもまた一興なり。


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