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コナン

「名探偵コナン」の映画をちびちびと観候ふ。

先日、事件の影が我が門に忍び寄りし。メルカリにて我が求めし物、忽ち消え失せんとす。運びし者より問うてみれば、確かにポストに届けし記録ありと。彼より訪ね来たる。我、再びその事を説く。

「我が開くポストには、新聞のみ。午後の刻、そなたが言うるところの15時にてなり」

「12時までに、新聞の上に置いたと申すが…」配達の人も顔をしかめず。

朝刊を日中までそのままにするなど、忙しき我が心、その忘れゆくものならん。我、家を捜し求め、果てにはゴミ箱まで覆い尽くさん。しかれども、見出せず。何より、物を触れし記憶も見たる記憶もなし。物の忘却、一段と深まりたりや。時折、我が名すらも忘れるほど。

申し訳あれ、無くなると。そう告げし時、配達員もまた悲しき面持ちにて去り行く。誤配の可能性もあるから、近隣に問い質しむとのこと。

配達人が虚偽を述べたるとは思ひ難し。新聞の上に荷物を置いたとの申し開きありき。然れども、我が15時刻の後に郵便箱を開けんとすれば、新聞のみが在りしか。是れはやはり、是非ともコナン君の手に掛るべき事柄か。

考え続けし果てに、盗難とはならんかと我は思い至る。コロナの時世にて、置き配の盗難も増えたと聞きし時のことを。盗難。明日になれば、警察に告げん。しかるに、盗難に遭うとは気分が悪いもの。怒りよりも、不気味なり。郵便受けから物を引き抜く者、近くに在りしと思うと、恐ろしや。しかしながら明日はミュージカルに行く予定あり。シアターオーブの「CHICAGO」。気分を変えに参らん。

「CHICAGO」、圧倒的なエンタメなりき。裁判の話なれど、如何にも華やかにして。色気と野心、爛漫たるが如く。弁護士役、マシュー・モリソン。彼は、あのGleeの「シュー先生」なりき。本物、我が目の前にて歌い、踊りしを。ドラマを観る時、夢見ぬ未来なれども。

その余韻に浸る間、電話かかりし。昨日の配達者より。ああ、警察に告げんべし。弁償金、出るか否や。

結局、事件は解決す。彼、確かに届けし。その後、何かの拍子に郵便受けの扉が開き、中の新聞と物が落ちし。それを拾いしは、通り過ぎし隣人なりし。ただ、隣人、新聞のみを郵便受けに戻ししのみ。

隣の住人、日頃より、メルカリのポスト投函やzozotownの置き配、多し。良くネットにて買い物をし、自らの物と誤らんとし、持ち去りしとのこと。

殺人なきにしも非ず。コナン君の出番もなし。隣人より物を戻し得し。中身、白きズボン。良く考えれば、如何ぞ此れを盗みしとも、大きき価値あらん。

ただ、鏡の中の我、夏らしき爽やかな気持ちを得るのみなり。

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