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サイレン

わが心の慰みは、出窓にあり。平らなる壁面より突き出でたる出窓、誠に無用の出張りと思はるれど、何故にか我が心を惹き付けるものなり。もしや、平らにて作らば良き窓を、数十センチばかり飛び出せり。現代の世、効率を重んずる風潮に合わざるを心得ぬれど、昭和や平成の趣、懐かしきものなり。

出窓は、僅かに住まふ人の様子を外界に見せる鏡の如し。能動なる住人にとりては名刺の如く、然らぬ住人には外界からのぞき穴と成りぬ。

今の仕事部屋に出窓ありて、猫のために台を設け、彼らが外を見下ろすを楽しませたり。窓より覗く外界、彼らにとりては、テレビの如きものなり。出窓に置かれた台の上に寝そべり、日がな一日、鳥の番組やら自転車の番組を眺むるを楽しみたり。

出窓のある家々を見るに、人それぞれの趣向、実に面白きことなり。わが幼き頃、出窓にシルバニアファミリーの赤き屋根の家を飾り置き、兎の一家も住まわせたり。家に家を飾る、不思議なる出窓なり。

欧州を旅する折、各家の出窓、美しく飾られしを目にし感嘆す。日本の家々にては、物置と化すこと多し。不要品をぎっしり積み上げる出窓、しばしば見受けらるることなり。何年も工具入りの段ボールを置きたる出窓、その隣にヴィトンの鞄あり、謎めきたることよ。

数年前のある日、近所に火事の起こりぬ。コロナ禍の折なり。散歩の途中、頻りに消防車の走り行くを見て、あまり気にも留めざりしが、雪の降り来たるを機に散歩を切り上げぬ。帰る道すがら、サイレンの音、ますます近づき来たるを聞きぬ。近くのマンションの二階、燃え盛りしなり。

ソーシャルディスタンスを無視して野次馬や避難者、狭き道に集まりぬ。雪のちらつく中、はしご車、消火のため奔走せり。

「誰も住まずに、なぜ火の出でたるや」と隣室に住む女の語りし言葉なり。

その後すぐに修繕行われしが、燃えし部屋、長く空室のままなりし。

今日、その部屋の出窓に小さき鉢植え多数並びぬ。赤、黄、赤、黄と花鉢を交互に飾り置かれ、等間隔に置かれし鉢を見上げて、心和む。やうやう、住人のやって来たるを知る。それも、花を飾る素敵なる人のようなり。


コロナ禍遠ざかりゆくを感じぬ。
燃えし部屋も空白の時を経て、今や日常の営まれぬ。

わが家の前に戻り来たり。

猫、出窓より我を見下ろしおり。

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