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ルーティン【いままで古文日記を読んで下さった方へ】

古文日記を書きつづけて、3ヶ月が近い。

毎日文章の練習をしたかった。初エッセイ集「きみのまち」を上梓して、より強く思うようになった。

習慣化が目的だから、人の目には触れたいが内容は読まれたくない。ということで古文にした。古文なら、みな、「ああ、何かやっているな」と気づくだろうが、読む気は起きないだろう。

それでいいのだ。

古文変換のおかげで、3ヶ月、ほぼ毎日文章を書くことができた。

だいたい朝に書いている。ラジオ体操の前の30分。
3ヶ月もやっていると、書いていないと落ち着かなくなってくる。


文章を毎日書くようになると、良いテキストに触れたいと切望するようになる。読書の量が増えた。いわゆる「読むべき名作」だけれど、いつのまにか、画集や美術の本まで広がった。たぶん、3倍くらい。


私は絵を描くことが比較的得意だ。でも、この能力は、利き腕がまともに動く条件でしか発揮できない。

何かあったときのために、別のシンプルな表現方法があれば、制作を続けられる。

それは文字だ。

絵と文字を手に入れたら、だいぶ安心だ。どこかでどちらかが使えなくなっても、片方が残ってくれる。長く作る場所にいたいと思う。



古文日記は習慣化という役目を終えたので、いったん終了。金曜日だけ(現代文の)日記を公開するので、「ああ、やっているな」と横目でみていただけたら嬉しい。

メンバーシップでは、毎日書いていく予定。
引き続き、私の素振りを日々お馴染みの風景として眺めていただければと思う。

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