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1/28はPCE版エメラルドドラゴン生誕日!

前回のドラクエⅡの記事で、本を読むのが好きだと語ったが実は書いていた事もある。
今でいうラノベ、ライトノベルのようなものであるが、とある雑誌が募集をしていて2回の選考を通った5人に作家デビューをさせるというものだった。



中学に上がるとエロ心からか、エロゲーやギャルゲーなどのPC雑誌をよく読むようになった。
もともと子供の時から親父がパソコンを持っていたのでパソコンには興味があり小学校の低学年から触っていたのもある。
その中でビジュアルシーンに心を打たれたある一つのゲーム。



それがPCエンジン版「エメラルドドラゴン」だ。
Tくんという友達が持っていたが(かなり珍しい名前なので一応伏せさせていただく笑)その美麗なグラフィック、有名声優陣による演技とビジュアルシーンに心を奪われた。



Tくんは頭が良くて、テスト期間になると勉強ばかりだったのでその時に本体ごとソフトを貸してもらった事もある。
なんせファミコンすらなかなか買ってもらえなかった僕だ、PCエンジン、更にその上のスーパーCDロムロムなんて高価だし、ねだれなかった。



お袋はバトルマンガなどのテレビを見させない代わりに僕を地元の演劇鑑賞クラブなどに入れて、劇団が街に来るとよく見せに連れて行ってくれた。



だから僕は演劇やミュージカルはいまだに好きだ。
そして声優オタクになったのもこのエメドラからである。
2000年に亡くなられてしまったが生涯変わらない一番好きな声優はこのエメドラで悪役として出てきた塩沢さんだ。


ルパン三世のヤスベエこと山田さんも言われていたが「声優という仕事はない。すべて俳優」という言葉通り僕の中学の時の将来の夢は声優、俳優だった。
ツイッターなどでその拘りを出すと分かりにくいので、あえてこの声優が好きと伝わりやすいように「声優」という言葉を使って語っているが、本当は俳優と言いたいくらい。
そんな声優、演じる、ということに憧れを持ったのはエメドラだった。



高校に上がるとだんだん自分の事もわかり始める。むしろ遅いくらいか?笑
僕は自分は俳優にはなれないと思い始めたとき、エメドラみたいな物語を僕も書きたいと思って本を読むだけでなく書き始めた。
冒頭で語ったコンテストというか、それに受かって作家になりたかった。
夏休みや冬休みを使って原稿用紙で250枚分とか。一冊の本は大体そのページ数であるが学校とか終わってもいつも書いていた気がする。
高校の卒業文集の将来の夢は小説家だった。
担任の先生に本が出たら持ってきて見せてくれと言われていたのを今も覚えている。
そう、前回も語っているようにこの時の僕は音楽やロック、ゲームサウンドは好きでもまだ自分が音楽関係に進むとは全く思っていなかった。
バンドも文化祭で一度やっただけだしね笑


ちなみに冒頭で語ったコンテストだが第1選考では僕は受かった。
確か3800人の中の60人。
雑誌にも僕の名前が載った。
あとはこの60人から5人の第二次選考に選ばれれば作家デビュー出来る所まで行ったのだ。



僕は受からないと思っていたが、ある日1年上の顔見知り、くらいの先輩が声をかけてきた。
僕らのたまり場は図書室だったが先輩は図書委員だった。

これお前じゃないか?

それで自分が第1選考に受かった事を知ったのだ。
一気にその先輩とも話が合った。
そして先輩はPCエンジンもエメラルドドラゴンも好きだった。
が、就職するということでなんと本体ごとエメドラを僕にくれたのだ、タダで。
僕はそれ以来この先輩を師匠と呼んでいる。
休みになれば僕のクラスメイト数人とよく先輩も一緒に遊んでいた。ゲーセンに行ったり誰かの家に泊まったり。



ちなみにこの先輩は千葉に就職していて今も付き合いがある。
2019年末にエメラルドドラゴンの周年イベントが原宿であったのだが、その時にも一緒に行っているしね。その帰りは僕も知ったばかりのゲーセンミカドにもよった。


師匠とはよく格ゲーも徹夜でやった。
ああまあ、その後コロナになってからは会ってはいないが年越しの挨拶は必ずしている、それと僕の誕生日には必ず何か贈ってくれるのだ。
高校卒業して以来ずっとだ。毎年。僕は師匠に何もしてあげられてはいないはずなのだが、むしろしてもらってばかりで。




さて、第2次選考であるが結論から言うと落ちた。
そもそもこの書いたもの自体が白状してしまうがほぼエメドラのパクリというか、かなり影響を受けたものだった。
さすがに名前だとかまでパクッたりはしてないが見る人が見れば「ああこいつエメドラ好きなんだろーな」とわかってしまうようなものだ笑
全く僕は青かった。



それで本を書くという事は少し燃え尽きてしまい、ならば前回記事で書いたようなシナリオライターになりたかったのだ。
作家も諦めきれずショートショートのようなものは専門に進学しても書き続けていたが。



ちなみに声優の夢も諦めていなく、そっちの学校に行かせてくれとも親に頼んだが却下された。それで諦めた。
いや親は正解だ。それがどうしてもなりたいものであれば自分で金を出してでも借りてでも行くべきだ。学校に行けなくても自分なりに努力して目指すべきだ。
そんなことくらいで諦められるような夢だったのだ。
全く僕は青かった笑



エメドラとは関係ないのでそこから先の音楽を選んだことは割愛するが、エメドラの物語は今もドラマCDやフリーゲームで続いているし


SNSが出たおかげでビジュアルの木村先生とも直接お声がけいただく機会にも恵まれた。
また去年は自分のドラムを見ていただく機会もあった。


結果として僕の人生今は音楽、バンドというものであるがこれも俳優と同じ、舞台やステージで演じる事。作品として残すこと。
また今は動画投稿も誰でもできるから声優さんがよくやるラジオの真似事のようなことも出来るようになった。
シナリオや本は書かなくても物語を描いて音楽として作品にすることはできた。
本は出せなくてもCDで全国発売をする事も出来た。



俳優にも作家にもなれなかったが、それなりに今の人生も満足しているし、まだやりたい事もある。
そして改めてドラクエⅡとエメドラは僕の人生にとって大きく、僕という今の人間を形作っているゲームなのは間違いない。



最後に余談だが、去年11月に帰った時に偶然街でTくんとウチの兄弟が会って声をかけたらしい。
「俺ヨリトくんの同級生なんだよ~君の子供とウチの子供も同級生なんだよ、よろしくね」

と言われたとか。
あいつとウチの兄弟の絡みなんて今までないはずだが笑

今度帰った時はTくん誘って飲んでみるのもいいかもしれないな。
高校から別だったし、それでも時々遊んではいたけど高3の時は全く絡みなかったしな。
あいつんちはちょっとした地主で農業色々やってるのであいつも農業系の大学行ってそこから家継いだし。
僕は専門は地元を出てド市内中心部に引っ越したし、そっから上京しちゃったしね。



今回もお読みいただきありがとうございました♪

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