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専門家向け 親の思想信条に悩む子世代(“宗教二世”等)への支援(7)親世代の健康度と「次世代はこう育てるべき」の教え

さて、(6)にてカルト的信念特性をもつ親世代が子世代の養育にどのように影響するか、初期段階の話をしました。先のモデルは子供が物心つく前に親世代がコミットした場合のものです。

このモデルの場合、多くの子供は一定の年齢になるまで親の信念に違和感を抱きません。子供の世界観の多くは家庭のなかで築かれ、小学校中学年ぐらいになってようやく周囲の児童と比べることに目が向くようです。また、その頃になると子供自身の好み、志向性が出て来ます。高学年になるとさらにそれが明確になっていきますし、自分と他人を比べるようになったり、他者の視線をより意識するようになっていきます。この頃になると、親の信念を引き続き取り入れるか、異なる視点を取り込むようになるかの差が出て来ます。

一般的な機能不全家庭、虐待の連鎖を背景とする家庭の事例は子供臨床に関わる方には馴染みがあるでしょう。幼い頃、たまたま身体的虐待の跡と思しきものを見つけ、本人に尋ねても、そう簡単に親がやったとは言わないものです。されている行為が社会から批判されることであることも、自分の親がそんな酷いことをしていることも、どちらもわからなかったり、受け入れられなかったりするからです。大抵、自分で作った痣や傷だと答えたり、その話題から逃れようとします。親と自分が未分化ですから、親を疑われるのは自分も悪く思われるかのように感じますし、仮にこれがもう少し成長して、実は虐待は辛いと思っていても、他人の指摘だからこそ受け入れられない場合があります。いざ、親がこんな酷いことをしていると他人、第三者が騒ぎ立てたら、子供自身は居たたまれなくなってしまうこともあります。それぐらい、子供はそう簡単に親を悪く思えません。

同じように親から信念を親から取り込み、同化している子供は、仮にそれが辛いことを伴うにしても簡単に自分から切り離して批判出来ません。おそらく、一般的な虐待に比べても難しいと思います。多くの宗教的信念は見えない世界を扱う恐怖や不安を伴う言説だからです。一般的な虐待が発覚に際し、親の反応を恐れるだけで済むのだとしたら、宗教的信念の場合、親のみならず見えない罰(ばち、ばつ)、死後や来世の報復を恐れなければならないからです。恐れるものの範囲がとてつもなく広く、報復は想像しがたいほど恐ろしいものです。だから、仮に辛くても、事情を知らない第三者には話しにくいはずです。

一般的な虐待も親世代の状況によって多様性があり、気分次第で子供を振り回すような不適切な養育もあれば、教育虐待のように規則性をもつものもあります。親世代が精神疾患に苛まされると、症状が悪化したときは子供に強い負担が課せられ、緩和すると、それなりに適度な養育が出来たりもします。親の態度に規則性があれば、子供がどんなときに親世代から辛い経験を受けるかを学ぶようになり、辛い思いをするような言動を控えるようになります。親が気分次第で辛く当たる場合は、いつ辛い経験をするかがわからず、常に警戒し、緊張する家庭生活になりがちです。

もし親世代自身に世代間連鎖のような脆弱性がなく、カルト性の高い教えにだけ影響を受けている場合は子世代への影響も規則的なものになります。基本的に世代関連鎖がないに等しい場合、幼少期に始まる親子間の情緒的交流が阻まれることは少ないでしょう。健康な親世代は乳幼児の情緒に合わせ、ぐずりをなだめたり、喜びを共有したりすることが出来ます。情緒を上手く扱えるよう育ててもらえることは、その後、子世代が社会に生き抜くための堅牢な基礎となります。それが確保されているにも関わらず、カルト性の高い教えが「次世代はこう育てるべき」と指針を示せば、健康な親世代もそれに従うことになります。

「次世代はこう育てるべき」の内容がこういった基礎を浸食しないのであれば、子世代が獲得するのは限定的な法則です。嘘をついては駄目だよ、ぐらいの一般的な懲罰感覚もあれば、親孝行しないと不幸になるよ、特定行事に参加しないといけないよ、〇〇してはいけないよ、など多岐に渡ります。その強弱、頻度も団体の方針とローカルルール(※)、それを受けた親世代のコミットメントの度合いからさらにバリエーションが広がります。

※組織の規模が大きくなると分署ごとにルールや方針が違ってくることがあり、教え全体には影響を及ぼさない(分派や別団体にはなりきらない)レベルで実生活上の拘束に幅が出ることがあります。

また「次世代はこう育てるべき」の内容によっては基礎の部分まで浸食する可能性もあります。例えば幼少期にぐずりがあったり、情緒が安定しないのは当たり前のことですが、それを正すべきものとして罰を加える教えの下では幼子は「自然に振舞ってはいけない」ことを学びます。本当は親世代になだめ、あやしてもらい、安心感に辿り着くまでがセットで将来の情緒的安定への切符を手に入れるところ、その機会を教えゆえに剥奪されることになるのです。そうなると、親自身は健康なのに子育て方法が歪められるので、結果的に世代間連鎖の影響を受けた脆弱性の高い親に育てられるのと大差がなくなるかもしれません。

そして、バイオ・サイコ・ソーシャルモデルに基づけば、当然、子世代独自の個性も影響します。同胞(兄弟姉妹)であっても反応が異なる場合もあります。

このように親世代の特性と教えの特性、子世代の特性が相まって、二世には様々な影響が推測されうることになります。


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