命について

おはようございます。アメリカ、ミズーリ州で野球スクールを運営し、トラベルチームを引率しながら、副業でヨガのインストラクターをしています、Kyokoです。

今日は少し悲しいお話になりますが、書いていきたいと思います。

2カ月ほど前だったでしょうか、1週間ほどシトシトと雨が降り続いたことがありました。豪雨といった感じではなかったのですが、毎日降り続けました。

早朝ヨガクラスのために出かけようとガレージを開けてみると、隣接する森(田舎に住んでいるのです(笑))の気がウチの裏庭に完全に倒れてきています(;゚Д゚)地盤が緩んで根っこが耐え切れなくなった感じです。幸い車や家には届いていませんでしたが、この倒れている木を処理しなければなりません。

これをどうするものかと考えていると、いつも野球のレッスンに来てくれている14歳の男の子が近所に住んでいるのですが、彼の大学生のお兄さん二人(20歳と21歳)が「枝切り落として、暖炉用の薪作りますよ」と言ってくれて、なんともキレイにカッティングして並べて帰ってくれたんですね。

もちろん気持ちですが、代金はお支払いしました。3人揃ってきてくれたので仕事も早く、本当に助かりました。

また庭での体力仕事があったらお願いしようかな、なんて考えていたところです。彼らにとっても得意なことで小銭を稼げるのであればいいのかな、と思ったりして。

コロナで3月から大学が閉まって、すべてオンラインになっていますが、8月中旬からの新学期はキャンパスでの授業が始まるところも多く、学生がそれぞれのアパートを探したり、少しづつ引っ越しをする時期になりました。

引っ越し業者にお願いするのが基本の日本の引っ越しと違って、結構こっちの人は周りの協力を得ながら自分たちで何度も行き来して荷物を運んでいきます。田舎だからみんな車がある、というのもあると思います。

先日の日曜日が、この21歳のお兄さんのほうが新しいアパートに荷物を運びこむ日でした。自分の荷物を運び、20歳の弟のほうが別の車で追うようにして後からまた荷物を運びます。

20歳の弟が2時間ほど遅れる形でアパートに到着すると、21歳のお兄さんが自ら命を絶っている姿を発見したのです…

理由は誰もわかりません。ガールフレンドに振られたばかりだ、という人もいます。働き者で、みんなからも愛され、これからの将来が期待されていた青年です。どんな辛いことがあっても、自分の命を絶たなければならないほど辛いことだったのでしょうか。

周りがどんなに推測しても、他の誰かの気持ちを心の底から理解することはできません。辛いことを受け止められるだけの精神状態ではなかったことだけは確かです。

先日の三浦春馬さんの訃報をニュースで見たときも思いました。周りからは成功しているように見える人が、精神的なバランスを崩していることがあるということ。

この数カ月、一緒に暮らしていた家族は、これから自問自答の生活が続きます。「どうして気づいてやれなかったのか」、「自分たちに出来ることはなかったのか」。答えのない問いを家族全員が自らに問い続けながら、これから生きていくことになります。

今週の土曜日に行われる葬儀に参列するため、今週予定していた大会を辞退することにしました。大会側に事情を説明し、次週の大会にエントリーを変更していただきました。

ご家族にはまだ連絡することが出来ない状態ですが、出来ることはすべてやっていきたいと思います。

少し悲しいお話になってしまいましたが、今日も1日がんばります。


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