愛する祖母への弔辞

弔辞

6月3日朝7時祖母が永眠しました。
お世話になっていた施設の方から
「6時までは寝ていらっしゃったのですが
7時にもうすでに息をしていなかった。」と電話がありました。

生前、おばあちゃんはこんなことをいってました。
「私は、寝ながら死んでいきたい」
まさに最期の最期まで有言実行でした。

おばあちゃんは100歳まで病気もなく手術もなく
99歳まで元気に生活できたのも三女の叔母さんが
朝昼晩と栄養を考えられた食事をつくってくれて
真夜中に何度もあるトイレの介助もし
自宅でも介護を懇親にしたおかげです。

ほんの1週間前に施設で、
「えっちゃんと一緒にごはんがたべたい」
と言っていたと施設の担当者さんが教えてくれました。

おばあちゃんは、100歳になっても、
食べること、歌うことが大好きでした。

長生きの秘訣は


よくたべること
楽しくうたうこと


とおばあちゃんが教えてくれたんだと思います。


バスカールだったという祖母は、
「東京のバスガール」が18番です。
1週間前もカラオケで歌っていたそうです。


目をつぶると、

ソファーでゆったりと深くすわり
大好きな緑茶をすすりながら
東京のバスガールを歌っています。


「発車オーライ、明るく、明るく走るのよ!」


おばあちゃん、本当にお世話になりました。
そして、ありがとうございました。

おばあちゃんは私の人生のお手本です。

陣内 恭子


最初で最後の弔辞だと思います。弔辞を読まさせていただき感慨無量です。

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