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37歳 人生やり直します

私事ですが、3月はお誕生月。
37歳になる。

おめでとう!私!

と言いつつも正直なところ。

35歳くらいから歳をとることが、怖くなっている。

え、もう37なの?
この前30になったばかりじゃない?
時よ止まれ……

歳とともに、時の経過を早く感じるとはよく言ったもので。
漠然とした焦りと不安が、頭と心で無限ループを作り出している。

私はいったい、歳をとることの何が怖いのだろうか。

何者にもなれていない私

歳をとることが怖い理由。
それは「私は何者にもなれていない」ということだった。

私は35歳のときに、転職をした。管理職になったものの、その責任と役割に押し潰されそうになり、心が折れてしまった。その結果、これまで積み上げてきたキャリアを全て放り投げ、転職した。つまりキャリアについては、再スタートというわけだ。

転職先は、なんの興味もない業界。事務職、残業なし、土日祝日休みという条件だけで選んだものの、どこにやりがいを求めればよいのかが分からない。正直仕事は複雑だし、業務範囲も広すぎるし、定年までやれる自信はない。事務職を完全に甘く見ていた。

そんな中、組織の中で働きたくないという理由でフリーランスに憧れて、ライターの勉強を始めた。Webデザインもやってみたいと思いつつ、手を付けられていない。勉強ペースは、のろまなカメだ。現職が副業禁止だからと理由を付けて、お仕事案件にもチャレンジできていない。

そしてもうひとつ。37歳、独身である。

私のこれまでの恋愛は、お話するのが恥ずかしいほどの内容だ。全速力で追いかけまわしたり、メンヘラ発動したり。きっと私より、いまどきの高校生の方が上手に恋愛しているのだろう。長続きしないお付き合いと、成就しない片思いの連続。そして今も、絶賛おひとり様進行中だ。


これからどう生きていけばいいのか、分からない。

人生こんなはずじゃなかった。
私は何をしてきたのだろう。
どこで間違えたのだろう。


私はこれまでの人生を、子供のころから振り返ってみることにした。


私ではない誰かになろうとしていた

小学生のころの私は、いつも友達のまねをしていた。持っている文房具、文字の書き方やノートの取り方、将来の夢まで。「いいなぁ、私もあんなふうになりたい」そう思って、まねをしていた。それは小学生の頃だけにとどまらず、中学・高校に行っても変わらなかった。

「友達が美術部に入るっていうから、私も」
「友達がバドミントン部に入るっていうから、私も」

中学生や高校生になると、自分のスキ・キライもはっきりとしてくるだろう。これがやりたい、あれがやりたいという意思も自分の言葉でしっかり言えるようになるはず。

私には、それができなかった。
誰かが言っていたことが、私のやりたいことになっていた。
いつも、私ではない誰かになろうとしていた。

私はコンプレックスの塊だった。自分の容姿も名前も嫌い。勉強ができるわけでもなく、絵が得意なわけでもなく、運動もたいしてできない。習っていたピアノも上手に弾けないし、練習もたいしてしていなかった。だってどうせ私にはできないから。親から褒められた記憶もあまりない。

それでも、自らやりたいと声を発したことがある。

小学生のころ、初めて運動会の応援団に立候補した。応援団の先輩たちをみて、ずっとやってみたいと思っていた。しかしそんな私にクラスメイトからは、「えー、おまえがやんのかよー」という声がかけられた。立候補者が多数いるなか私が選ばれるはずもなく、応援団の夢は途絶えた。
30年近く前の話だが、いまだにクラスメイトからの声が頭の中に残っている。


私ではない誰かになった方が、自信のない自分に目を向けなくていいから楽だったのだろう。子供ながらに、自分を守ろうとしていたのかもしれない。

そんな人間が大人になるとどうなるのか。

私は自分を見失ってしまった。何がスキで、何が得意で、何がキライで、何が苦手なのか。自分のことが分からなくなった。

そのせいもあってか、これといった特技はないが、大抵のことは人並みにできる器用貧乏な人間になった。人間関係では、人に嫌われることを避け、いつもいい人でいる。無難にいい人でいるのは、周りに認めてもらえる手っ取り早い方法だ。

やりたいことが分からないから、やれることを優先して生きてきた。それも悪くはないと思う。でも私には、どこか満たされない気持ちがあった。やりたいことがあって、スキなことをスキだとためらいなく言える人がうらやましかった。

恋愛では、相手を繋ぎとめることに必死だった。必死過ぎて逃げられた(笑) そしてコンプレックスの塊である私は、好意を向けられると、だまされているのではないかと思ってしまう。完全にこじらせている。

とにかく、自分に自信がない。

きっと今の私を知る人がこれを読むと、驚くだろう。長年隠して生きてきた。隠すのもうまくなるが、その分自分が辛くなる。


私が”私”になるために

自分に自信が持てず、ありのままの自分を認めることができずに生きてきた。その結果、37歳を前に何者にもなれていない自分に焦りを感じ、これからの人生に不安ばかりを感じている。

それでも、私にはたくさんの選択肢があるはずだ。

今の会社で安定してお給料をもらいながら、生きていくのもありだ。
結婚を諦め、開き直ってひとりを楽しむ人生も楽しいかもしれない。
思い切って今の会社を辞めて、強制的にフリーランスになってしまおう。
全力で婚活したら、40歳までに子供ひとりくらい、産んでいる私がいるかもしれない。

たくさんある選択肢から選ぶ前に、私にはやることがあるはず。

私の幸せのために。
自分らしく生きていくために、必要なこと。

それは、私が”私”になることだ。

そもそも私が私でいられていないのだから、何者にもなれるわけがないのだ。

毎日自分と向き合って、対話をしたい。自分の内側にある思いを、丁寧に引き出す。過去にあった嬉しかったこと、辛かったこと、その時なぜそう思ったのか。本当は何を言いたかったのか。

どんな私も包み隠さず、まずは自分にさらけ出し、ありのままの自分を認めることから。自分に自分をさらけ出すなんて、ちょっとおかしいかもしれない。でも私はそれすらできていなかった。


「ありのままの自分を認める」と言っておきながらだが、先日顔のホクロを取る手術をした。左目の下にあったホクロが、年々少しずつ盛り上がってきた。さらには、産毛が目立つようになり、毎朝化粧をするたびにイヤだなと思っていた。ついでに、目立つホクロを2か所、レーザーで取ってもらった。

自分の本当の気持ちを見つけて、その願いを叶えた。お金で解決できることは解決すればいいと思う。コンプレックスを全てそのまま受け入れる必要はないと思った。

3針ほど縫った目元の傷は、なんだか海賊のようでちょっと笑える。この傷が薄くなるころには、今よりも私が”私”になれていることを願うばかりだ。


もうすぐ誕生日

私の誕生日は、3月下旬。
歳を取ることが怖い理由が分かった今、すこしだけ気持ちが楽になっている。

1年後の私がこれを読んだとき、何を思うだろうか。

「だいぶ人生こじらせていたな、我ながら痛い女だわ。大丈夫、今はわりと楽しいから。ていうか、ホクロを取ったときの麻酔が強烈に痛かったよね」そんなことを思い出して、ふふっと笑うような私であってほしいと思う。

人生をやり直すのに、遅すぎるなんてことはない。

そう信じて、誕生日を迎えたい。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
そして、私と同じ3月生まれの皆様へ。

Happy Birthday♡

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