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プレ皇室研究: 未発掘の王墓は?

原田大六先生が、
「他の王墓もあるはずだ」(そのうち発掘したい)
と本に書いてあって、結局お亡くなりになって未完なのであるが、もう一度、資料を読み直したら、なんだ、糸島市教育委員会とかはどうやら、あてがあるらしい。

「遺跡範囲は南北1500メートル×東西750メートル、居住域と墓域を合わせて約60ヘクタールの規模を持ち、伊都国の中心地と考えられる拠点集落で、以下の3地区に区分されている[2]。

南小路地区(三雲南小路遺跡):伊都国王の墓(一辺30メートルの大型弥生墳丘墓)
番上地区:対外交渉の中枢(大陸系遺物の出土地)
加賀石地区:伊都国の初現地(弥生初期の墓域・弥生前期の集落と墓域)」

まず、昔に発見されたのを掘り直したら、別のが出土している。
えらい。努力は実を結ぶのだ!!

「弥生時代後期では、江戸時代に発見された甕棺墓の位置は特定できていないが、ヤリミゾ地区で甕棺墓47基、木棺墓25基、土坑墓7基、箱式石棺墓4基、祭祀土坑51基を確認している。これらは弥生時代後期初頭に少数の甕棺墓が出現し、後期前葉から中葉がピークとなり、後期後葉には1-2基が独立的に列状に営まれるという変遷をたどり、終末期には箱式石棺となる。これらの墳墓からは、後漢鏡6点、ガラス小玉10000点以上、紫色微小玉や黄色小玉など珍しいガラス製品が副葬されていた[3]。」

「そのうち、遺跡中央部の番上地区では、弥生時代前期から後期まで継続的に竪穴建物が営まれることから、三雲・井原遺跡における中心地のひとつと考えられる。東西に長い88㎡の調査区で検出された土器溜りから弥生土器とともに27点の多量の楽浪系土器が出土した。また、長方形の板石を確認し、硯としての機能が想定されている。大陸系の土器が出土するのはこの地区に限られており、大陸との交流の場としての役割を果たしていたと考えられる[3]。

このほか、中央西側では方形に巡る可能性のある大溝を確認した。断面は東西方向がV字形で、南北方向が逆台形である。現状で一辺50mの方形区画であったと推定されている。出土土器より、弥生時代中期末から後期後半ごろまで機能していたとみられ、区画内は未調査であるが、南小路地区の「王墓」と同じ台地上の先端部分に存在することから、居館の可能性がある[3]。」

お墓じゃないけど、居館じゃん。
掘ればなんか出るよ。絶対ー!!!
あ、でもお墓じゃないから、誰のかわからないのかな???

前期は紀元前3世紀頃から、中期は紀元前1世紀頃から、後期は1世紀中頃から3世紀の中頃までとあるので、中期末はちょうど0年くらいじゃん。
後期後半は3世紀ですな。邪馬台国があった時期とかぶるから、伊都国があった時代で正しいですな。たぶん、神武天皇の居残りの代理王の時代だろう。主人公が出て行ってしまったので、しょうがないよね。

加賀石地区:伊都国の初現地(弥生初期の墓域・弥生前期の集落と墓域)
これは、あれ? ニニギとコノハナサクヤヒメより前だ。
ニニギが町を作ったんじゃないんだ。
いやまあ、細石神社がすでにあって、コノハナサクヤヒメが住んでいるんだから、婿入りみたいなもんで、ニニギはコノハナサクヤヒメ一家が住んでいつ近くに住むようになっただけなんだ。
ということは、多少は村がちゃんとあった場所に、天孫降臨という名の、引っ越しをしたわけですなw

まあ、何もなければ、誰とも出会わないよねwww
塩土爺だって、領地持っていて、あげますっていってるから、これ、きっと新田とかプレゼントしてくれたんだよ。そのかわり、鏡とか剣とかハイテク品をもらったんじゃないかなあ。塩田は縄文人でもできるしね。

ちなみにニニギは、日向峠、クシフル岳に降りているが、なぜか、朝倉方面から入ってなくて、海のほうから来ている。海のほうから来ているのは、塩土爺は海の近くに住んでいて出会っているから、山の中で出会ってるようには見えないからだ。まあ、300人とかで引っ越しだから、目立つだろうねえ。
ニニギ、やっぱり朝倉じゃなくて、どうも奴国から引っ越しみたいなんだよなあ・・・。井手先生がそう言っているが、そのように見える。奴国は春日市だけでなく、福岡市の海側も含むし、あきらかに貿易しているからだ。港がないとまずい。

ちなみに前回の話。


ところで、どうしてみんな、神武天皇が伊都国王だっていっても、びっくりしないのかな?
伊都国知らんの??? いや、邪馬台国興味あるなら、知ってるよね?
伊都国王だっていっているの、絶版の原田先生と、最近だと井手先生の本にしか書いてないし、あまり大手出版社じゃないから、数千部くらいしかでていないから、数千人しか知らんと思うのであるが・・・???

平原遺跡のほうはどうなんだろう?
「1988年(昭和63年)~1999年(平成11年)度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に5基の墳丘墓が発見されている。この遺跡は「平原歴史公園」として、1号墓のみが墳丘墓として復元管理されている。」


残りの4つは、誰の何だろう?
副葬品がないから、埋め戻したのかな?
原田先生の本をもう一度読み直すか。

あ、こんなんあった。
今宿だ。イザナギが一時期住んでいた場所だ。



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