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プレ皇室研究: 奴国 安徳台遺跡

この遺跡、忘れてましたー。
奴国の居住地で、王の館があったんじゃないかって話です。

弥生時代中期(約2,000年前)の拠点的な集落で、これまでの調査で130軒を超える住居跡や多数の墳墓が見つかっている。
直径15mを超える日本最大級の竪穴住居や、青銅器の鋳型などの鋳造関連遺物や舶来してきた鉄斧を再利用した道具が出土した竪穴住居跡が見つかっており、一般的な住居とは異なる性格をもつと考えられる。
2号甕棺墓からは鉄剣、鉄戈、ガラス製勾玉、南島で産出するゴホウラを使用した貝輪が見つかっている。貝輪は人骨の右腕に装着されたまま見つかっており、髪飾りに使われたとみられるガラス製品も頭蓋骨付近で見つかっている。奴国の中でも有力者が納めていた集落であったことが分かる。」

https://www.city.nakagawa.lg.jp/uploaded/life/47624_80634_misc.pdf



「福岡平野のほぼ中心部、東西を那珂川と御笠川に挟まれた標高約10メートルの洪積台地上に分布する。比恵・那珂両遺跡群を併せた遺跡範囲は南北2キロメートルにおよぶ[4]。なお那珂遺跡群の南側に隣接する五十川遺跡と、比恵遺跡群東側に隣接する山王遺跡も一体の遺跡と考えられている[5]。

南東側約1.5キロメートルには最初期の水田稲作集落と環濠集落である板付遺跡、南側約3.0キロメートルには『魏志倭人伝』に登場する奴国の中心部と推定されている須玖遺跡群・須玖岡本遺跡などがある。

那珂遺跡群の考古学的な調査は、1970~71年(昭和45~46年)の森貞次郎らによる那珂八幡古墳(福岡市指定史跡)の発掘調査に始まり[6]、調査回数は2022年(令和4年)3月時点で178次を数える[7]。遺跡群内では、弥生時代の環濠集落のほか、古墳時代の那珂八幡古墳や東光寺剣塚古墳、古代の那珂郡衙と見られる官衙跡、さらに中世にいたる各種の遺構が検出されている[8]。」


まあ、要するに「早良王国」とか呼んでる学者がいるのですが、奴国だったってわけですな。
周辺こんなにいっぱい遺跡が集まっているのです。

「福岡市博多区の那珂遺跡群では3世紀頃の「都市計画」によって造られたとみられる国内最古の道路跡(幅7メートル・南北へ1.5キロ以上の直線)が見つかっている。

比恵遺跡群
福岡市博多区博多駅南周辺に広がる旧石器時代から室町時代いたる複合遺跡。石錘や貝輪、貝塚とといった漁労遺構と農耕遺構が混在しており、海人族が定着したのは、米作りを始めた縄文時代晩期末で、以後集落や甕棺墓地、墳丘墓が営まれ、後期には環溝集落も出現した。墳丘墓の甕棺墓には銅剣が副葬されており、また青銅製品(銅剣・銅矛)やガラス製品の生産を物語る鋳型や取瓶などが出土した。弥生時代の集落構造や生産のありかたを知る上で重要な遺跡であり、甕棺出土の銅剣に付着した絹は、日本国内最古の絹織物である。

比恵遺跡
福岡市博多区博多駅南博多駅南5丁目12番に所在する古墳時代後期(6世紀~7世紀)に建てられた総柱建築の高床倉庫群跡を中心とする遺跡。国の史跡。比恵遺跡群に含まれる。『日本書紀』宣化元年(536年)の条に記述されている「那津官家」に関連するものと考えられる。

那珂遺跡群
福岡市博多区那珂六丁目にある縄文時代晩期末の二重環濠集落跡。弥生時代初頭の環濠集落としては後述の板付遺跡があるが、この遺跡はそれを一時期遡る。旧石器時代の黒曜石製の打製石器が出土しており、吉野ヶ里遺跡、九州大学筑紫キャンパス内遺跡に次いで3例目となる巴形銅器の鋳型も出土している。古墳時代の層からは三角縁神獣鏡の出土など、初期古墳の特徴を持つ那珂八幡古墳をはじめ、東光寺剣塚古墳、剣塚北古墳などの前方後円墳が築造されており、奴国の中心が春日丘陵に移った後も大規模な集落が残存したと考えられている。

板付遺跡
福岡市博多区板付にある縄文時代晩期から弥生時代後期の遺跡。 弥生時代が主であるが、それに先立つ旧石器、縄文時代や後続する古墳~中世の遺跡もある複合遺跡。 長らく渡来人によって弥生時代に伝来したと考えられていた水稲栽培が縄文時代から行われていたことを示す最初の遺跡として全国に知られる。

諸岡遺跡
福岡市博多区諸岡にある旧石器時代、縄文時代晩期、弥生時代前期末~中期、中世後半の複合遺跡。 釣針や貝輪、細形銅剣を副葬する甕棺墓など弥生時代の遺構・遺物が出土している。

金隈遺跡
福岡市博多区金隈にある弥生時代の甕棺墓遺跡。 ゴホウラ製の貝輪と磨製石鏃を手に持つ人骨が検出されており、漁労民と農耕民という両面を持った人々の存在を明らかにしている。

須玖遺跡群
福岡県春日市に所在する、弥生時代を中心とする60以上の複数遺跡(周知の埋蔵文化財包蔵地)の総称。王の墓域や青銅器生産遺構を持ち、国の史跡に指定された須玖岡本遺跡を中核として、古代奴国の中心地をなす大遺跡群であったと考えられている

須玖タカウタ遺跡
春日市須玖にある弥生時代の遺跡で、国内最古の銅鏡鋳型が出土している。

須玖岡本遺跡
春日市岡本にある弥生時代の遺跡で、墳丘墓、甕棺墓、青銅器鋳造跡等を含む複合遺跡。

安徳台遺跡
那珂川市にある遺跡で、奴国王の住居があったと指摘されている[要出典]。」

これが気になるんだなあ。
やっぱり奴国が「高天原」で、そこの出身がニニギで、伊都国に引っ越ししたってことじゃないかなあ。
朝倉、どーなんだ?www

吉野ヶ里遺跡九州大学筑紫キャンパス内遺跡に次いで3例目となる巴形銅器の鋳型が出土している。鋳型に彫られた巴形銅器は、江戸時代福岡藩の学者青柳種信が、現在の糸島市井原で出土したと記録した巴形銅器に酷似しており、奴国と伊都国の関係が示唆される[11]

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