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古代史研究: INRIについて調べてみた。

INRIって、キリストの磔のときにラベル(罪状板っていうんだそうだ)に書いてあったもので、「ユダヤ人の王 ナザレのイエス」っていう意味である。ちなみに当然というか、ラテン語記述である。
(すいません。今回、長文になりそうです。うざくってすいません。)

こういうやつです。西洋絵画にはだいたいお決まりで出てきます。


Wikipediaより引用(赤は筆者追記)

あ、INBIてのもあった。

Wikipediaより引用(赤は筆者追記)

「INRI は、イエス・キリストの磔刑においてその十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語(ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM)である。日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。」

「福音書ごとに表現は少しずつ異なるが、「ユダヤ人の王」という言葉は共通している。

マタイによる福音書(27:37):「これはユダヤ人の王イエスである」(希語:Οὗτός ἐστιν Ἰησοῦς ὁ βασιλεῦς τῶν Ἰουδαίων)
マルコによる福音書(15:26):「ユダヤ人の王」(希語: Ὁ βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων)
ルカによる福音書(23:38):「これはユダヤ人の王」(希語: Ὁ βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων οὗτος)
ヨハネによる福音書(19:19):「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(希語: Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος ὁ βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων)
外典福音書とされる『ペトロによる福音書』(2世紀前半成立)では、イエスの罪状書きに書いてある文は「これはイスラエルの王である」(希語: Οὗτός ἐστιν ὁ βασιλεὺς τού Ἰσραήλ)とされている。」
あれ? 福音書とかって、ラテン語じゃないんだっけ? ヘブライ語だっけ???

「ユダヤ人の王」は元々、イドマヤ人のヘロデ大王が紀元前37年にローマ元老院によって与えられた君主号である。実際に、マサダでは「ユダヤ人の王ヘロデのために」(羅語:Regi Herodi Iudaico)と書かれたアンフォラが発見されている[4]。ヘロデの死後、その息子たち(アルケラオス、アンティパス、フィリポス)は王位を継ごうとしたが、誰もがローマに「王」としては認められず、ヘロデの領地の一部を統治する「領主」として認定されたのみである。(『マルコによる福音書』はアンティパスを「ヘロデ王」と呼ぶが、これは慣用的呼称であると考えられている[5][6]。実際にはアンティパスが39年に追放されたきっかけの一つは王の称号を嘆願したことである。)」

ヘロデ大王って、当時のヘロデ王とは別人なんだよね。同じ名前が多いんだよ、この家族って。
これを見ると、息子のほうのヘロデ王ってば、「王」ではなくて、なんか「領主」程度みたいに扱われている。一応聖書にはだいたい「ヘロデ王」て訳されているから、小国、属国でも「王様」と思っていたが、ちょっと微妙に違いますな。

「正教会のうちいくつかの教会は、ギリシア語の句(Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος ὁ Bασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων)の頭文字「INBI」を使用している。また福音書に見られる罪状書きではなく、そう書かれるべきであったという意味で「ὁ Bασιλεὺς τοῦ κόσμου」(世界の王)または「ὁ Bασιλεὺς τῆς Δόξης」(栄光の王)と書かれる場合もある。一方でラテン語の影響の大きいルーマニア正教会はラテン語あるいはルーマニア語(Iisus Nazarineanul Regele Iudeilor)に基づき「INRI」を用いている。」
翻訳されてちょっと変わっているってことですね。

「そもそも『ヨハネによる福音書』に見られる「ヘブライ語」はヘブライ語ではなく当時のパレスチナ地域の共通語であるアラム語であった可能性は高いと考えられている。

どの言語かなあと思っていたら、アラム語かもしれんて。げ、ヘブライ語でさえない。もっとわからん。

この罪状板は、ちゃんとしたキリストの墓に一緒に十字架の一部と一緒におさめられているって。だから、どっかの教会が「持ってます」といっていたら、嘘、偽物ですので、ご注意を。
「なお、4世紀末にエルサレムを訪れた修道女のエゲリアの『巡礼記』によると、罪状板(titulus)は当時、イエスが処刑され葬られた場所の上に建てられた聖墳墓教会にイエスの十字架の破片とともに奉安されていた[12][13]。570年代に聖地へ巡礼の旅に出たピアチェンツァ出身の人が書いた巡礼記にもこの銘板が聖墳墓教会にあったと記述している[14]。」

あれ? 「季語」ってかいてあるやん。それどこの言語? ヘブライ語じゃないの? と調べたら、特殊な?ギリシア語でしたー。


ところで、私たちは古い言語は、ラテン語で書かれていると思うのであるが、ラテン語って原始イタリア語みたいなもので(ラテン民族だしな)、ヘブライ語でもアラム語でもない。
そして、話されている地域はこの通りで、エルサレム周辺とかじゃあ、別に話されておらん!!
ヨーロッパと、その植民地国家ばっかりじゃん。中東や北アフリカ周辺ではない!!


Wikiより引用

「元はイタリア半島の古代ラテン人によって使われ、古代ヨーロッパ大陸(西部および南部)やアフリカ大陸北部で広範に話され、近代まで学術界などでは主要言語として用いられた。」
まあ、古代ローマ帝国が繁栄して公用語になったので、話者が劇的に多くなったのだろう。

ついでに、ラテン文字も調べる。紀元前7世紀からあるらしいので、まあ、イエスの時代でもあった。

で、なんで、調べていたかというと、たまたまこの動画をみて、「キリスト教徒が群馬に来ていたのでは?」とあったのであった。ああ、またかよ。
まあ、1人くらいは来てるかもね。
(本当は、現地住民の構成が変わるくらい、多数の外国人が来ている場合のみ取り上げるべきかなあと思うのであった。)

そこで、「JNRI」と書いてある図板がみつかったとある。
しかし・景教って中国でも5世紀で、景教って何が言語なんだろうと思っていて、調べたら、「INRI」であった。そういえば、よくキリスト磔刑図に、小さい四角い看板が書いてあります。罪状を書くのです。

教科書にもあったと思うが、景教のもとはネストリウス派で、これがヨーロッパでは、「異教」扱いで、まあ要するに信者は追い出されてしまったのであった。
それで、中国にきて、信者を獲得するのであった。431年がこの宗教会議ですから、そのときから、追い出され、流れ流れてアジア、中国に来たのであった。

431年エフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジアモンゴル中国へと伝わった[1]唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちにはイラクを拠点とする一派アッシリア東方教会などが継承した。」

JNRIは、日本固有のまちがいのようだ。本来はINRIであるべきみたい。


まあ、そんなわけで、特別に否定するネタもないが、文字は間違っているなあと思うので、なんか後世の後付けぽさがあるのは、ぬぐえないかなあ。
グレーってかんじですよね。


ついでに、アルファベット文字はいつからかってのは、こういうことらしい。

まあ、紀元前からはあるから、イエスの時代にはあったんだろう。まあ、話されている言語がなにかは、難しいが。アラム語かヘブライ語ってところかなあ。


あー、疲れた。

まあ、このようになにか不思議だなと思ったら(思わないのが問題でもあるのだが)、言語とか、一番古い出現がいつかを調べればよろしいです。
文字でも、道具でも、発明されないとありません。まあ、農作物は、改良でいつかわかわかりにくいですが・・・。(原産地ですでにでていても、人類が食べ始めたかは微妙。耕作していたかもちょっと微妙。)



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