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欠史八代研究: 墓所、宮殿比定地の周囲を調べてみる<1>

まあ、だいたいプレ皇室のうち、神武天皇までは決着がついたので(一応、某出版社に売り込んでいるが、なかなか返事はもらえんのおーwww 困った困ったwww)、欠史八代について研究することにしました。

神武天皇は、橿原神宮の近くにお墓があるのですが、実は本当は別のところなのです(ほぼ、断言だが・・・)。なんか、昔の部落問題とかあってやばいらしい。
まあ、それはおいておいて、でもそんなに遠くではないので、橿原市内で、どんな遺跡が要するに西暦200年すぎくらいから、350年くらいまでの、古墳時代の前半くらいにあるかを見ます。

いやあ、これがね、奈良県古墳だらけでして、時代もけっこうバラバラでして、いわゆる古墳時代の3世紀から7世紀まであります。わりと有名なキトラ古墳とか、新沢千塚古墳群とかは5世紀とか6世紀で、私が探す欠史八代の時代じゃないのよ。これをどけるのが、けっこう大変でして、検索すると5-6世紀とかが出てくるんですのよ。やべー、めんどくせーーー orz

たとえば、Googleマップで検索するとこんなかんじ。
うげええ。
四角いのが橿原神宮で、公的な(宮内庁が決めた)神武天皇の橿原宮と墓所でして、もう1つの四角は一緒にいた忌部氏の本拠地なんです。
でも赤いマークだらけで、これが遺跡なんで、死にそうwww


瀬田遺跡はちょっと面白いので、あとでもっと調べます。



これは、縄文人の遺跡だった。残念。

これは5-6世紀なので、もっと後だけど玉造がある遺跡。


これももうちょっと後で5世紀とかかも。


これだけあるから、疲れるざます。


とりあえず今日はここまでにするです。
はー、多くてかなわんなあ。

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