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プレ皇室研究: 神武天皇の活動

この人が旅行して、神武天皇関係の神社や遺跡などを回ります。
これが1つ面白かったです。

「⑯高祖神社(飯塚市高田)――もと高田神宮皇祖廟
○高祖神社社伝
「天皇は高田に進み、八田彦の伴った田中熊別に迎えられ、根智山の打猿を討伐するため、高田の丘から田中熊別と椎根津彦に命令を下された。この地に神武天皇と玉依姫を祭ったのが高祖神社である」

○高田神宮皇祖廟社伝
「玉依姫尊と神武天皇を祭る、大山祇命の裔の田中熊別が天皇を出迎えた」
「熊別は椎根津彦とともに賊を平定する決意を述べた。椎根津彦が総大将となり、内野の川上で賊軍を打ち破り、これを追撃した。その勝報が高田丘に伝わったので、天皇は山口に進軍した。その間に打猿は捕らえられて斬首された。
この誅戮の地を打首といい、今なまって牛頸という。」」

あれ???と思ったら、景行天皇の時代です。
要するによくある社伝などのミスです。似たものを入れ違えてしまいます。
景行天皇だともう200年くらい違うのではないでしょうか???


コトバンクさんから、打猨について引用します。
「打猨(読み)うちさる

古代伝承上の豪族。
豊後(ぶんご)(大分県)直入郡(なおいりぐん)禰疑野(ねぎの)の土蜘蛛(つちぐも)(首長)。景行天皇12年,天皇の九州遠征に抵抗した5人のうちのひとり。状況不利とみて降伏したがみとめられず,自殺に追いこまれたという。」

しかし、縄文人ってやっぱり自然派なのか、今の現代人からみたらわからんネーミングだ。まあ、奈良時代の宮廷でも変な名前はあるけどwww

猿って字が違うーーー!! 調べてみたらこんな意味でした。
「類人猿等無尾のものに用い、有尾のものは猴を用いる

こっちは、猴なんだ。かわいいーwww


しかし、高祖山って糸島にあるのですが、ここのは別の場所です。高祖神社って、きっと何か所もあるのでしょう。分社なのか、たまたま偶然かわかりませんが、神道が先祖祀りなので、当然なのかなと思います。


邪馬台国の勉強会で、面白いページがあったので、リンクします。
神武天皇がちょっと南部の国と戦っていたというのです。


これ、やっぱり倭国大乱の前哨戦とかだと思いますわ。
相手は縄文人のクニです。縄文人なら、本来は自然の採取生活でいいのに、それができなくなって、稲作している伊都国から泥棒しようとするわけです。食料減ったからでしょう。あるいは、鉄器、青銅器、ガラスなどのハイテク品がほしいけども、差し出すのが森で採取したキノコや栗とかしかない。当然、伊都国にもそんなのはあるから、「ぜひほしい」とは思わないですよね。そして、一度採取すると、取りすぎると自然は何十年も回復しません。
それと近くの朱も、伊都国が掘っているので(山の方角が違ったら掘れますよね。監視カメラなんてないですから)、縄文チームも「あれ? 掘っても辰砂が出てこない」ってことに気づいて、争いになったのかもしれないです。

しかし、ここの会、普通にパーツパーツとしてはいい研究しているのに、「邪馬台国には馬いねーっていってるだろ」っていうのは、なんにも返答がないっていうのが、すごい。


暗点化すると、本当に答えから遠のくなあ・・・・。

大分県なら、まあ、私も賛同しますがw だから、馬がどうして大分県にだけいないか、誰か証明してくれえーーー。


ああ、この人のブログも面白いです。(いい悪いは、もっと検討しないとわからないですが・・・。)
地元の人とか、アマチュアのほうが案外と面白いかもです。
変に知識がついて、利益誘導があると結論がゆがむかもしれないので、いかんですなwww
アマチュアなら、大学とかから予算なくても好きに研究できるし。地元民のほうが、いろいろ聞けます。


AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!