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変わった神社 蚕養国神社と伊佐須美神社

名前のごとく、養蚕関係の神社です。「こがいくにじんじゃ」と読むそうです。読めませんwww
ちなみに場所は、会津磐梯山の近くです。

「創建
社伝では、弘仁2年(811年)の創建という[1]。

『延喜式』神名帳では、この蚕養国神社以外に社名を「蚕養国」とする官社はなく、この社名は当社が唯一のものになる[2]。」
「祭神は次の3柱[1]。

保食大神 (うけもちのおおかみ)
稚産霊大神 (わくむすびのおおかみ)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ)」

関東なのに、古い!! 

摂社もありますが、なかなか変わった名前です。これ以上はちょっとわかりませんが。

「摂末社

境内社
五社稲荷神社[6]
鬼渡神社
護忠霊社
宗像神社・瀧直神社
和霊々社」


由緒が書いてあります。
「謹んで日本国史を読むと、記紀神代の巻に、
「軻遇突知命、埴山姫命を娶り稚産霊命を生奉る。此神の御頭より蚕生れ出でし。」
とあり、これが我国の養蚕の始まりである。」

うーん、これは嘘っぽいな。カグツチって伊邪那美を殺したからって、お父さんの伊弉諾にぶっ切られていますから、大人になっていません。

埴山姫命は、本当は男性で、伊邪那美の大便から生まれたとあります。
要するに、かわいそうな伊邪那美はカグツチを産むときに難産で、気持ち悪くて吐しゃ物を吐き出したり、もう失禁したりと大変なのです。

別に、天照大神が月読命を使わして保食大神のところに行かせるが、これまた排泄物から食品を作って、月読命に食べさせたので、ぶちきれて殺されるのですが、死体からいろんな農作物が生まれます。その中に、蚕もいたのですが、これがそのはじめです。

でも、天照大神には侍女たちがいて、機織りしていますし、皇室の伝承技術は養蚕ですから、天照大神の時点では大陸から養蚕は伝わっていたってことでしょう。

「『古事記』では神産みの段に登場する。イザナミ(伊邪那美命)が火の神・カグツチ(火之迦具土神)を生んで火傷をし、病に伏せる。その尿(ゆまり)から、水の神・ミズハノメ(弥都波能売神)が生まれ、次にワクムスビが生まれたとしている。食物(ウケ)の神である、トヨウケヒメを娘とする。」

Wikipediaには下記の通りの説明があります。

「『延喜式』神名帳では、この蚕養国神社以外に社名を「蚕養国」とする官社はなく、この社名は当社が唯一のものになる[2]。社名に見えるように蚕養国神社の創建には養蚕業が関係すると考えられているが、会津で養蚕が盛んだったことにより祀られたというよりは、会津で養蚕を盛んにしようとする中央政府の政策のために祀られるようになったと見る説が挙げられている[2]。その背景として、『日本後紀』延暦15年(796年)11月8日条に見える、伊勢・三河・相模・近江・丹波・但馬等の国の婦女2人ずつを陸奥国に遣わして2年間養蚕技術を教えさせたという記事の存在が指摘される[2]。」


なるほど。
寒い地方は、冬に何も取れないと産業的に死んでしまうので、養蚕のように室内でできる作業を、推奨したのかもしれないです。
大和王権、昔からえらいな!!



もう1つ、こっちも古いです。

「会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である[1]。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が国家鎮護神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。

境内は広く、内部には鬱蒼とした社叢が広がる。社殿は2008年(平成20年)の火災で焼失したため、現在は仮社殿を設けたうえで再建中である。また文化財として、室町時代の朱漆金銅装神輿(国の重要文化財)を始めとする多くの社宝・天然記念物・神事を現在に伝えている。」


おまけ
こっちはもっと新しいのですが、立派な神社です。
(江戸時代くらいじゃ、「古い」とはいわせんwwww)



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