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欠史八代研究: 香川県の遺跡を調べる。

神武天皇は、忌部氏を徳島と香川に派遣しました。即位直後の2年目くらいからで、わりと早いようです。香川県のほうははっきりしませんが、そんなに遅くはないでしょう。

徳島に、朝鮮半島の北方式支石墓もどきがあると書きましたが、もしそれが、忌部氏のもので、忌部氏が朝鮮半島由来渡来人であれば、香川県にも似たのがあって不思議はありません。
ただ、別の一族がいて、単に影響を受けていて(たとえば結婚相手の一族など)、その結婚相手の一族が朝鮮半島北方の渡来人とすると、香川県には影響はありません。別の一族と結婚するだろうからです。

「高松平野でも当時の状況が発掘調査によって明らかになりつつあります。例えば、弥生時代後期(西暦100から200年頃)の下川津B類土器と呼ばれる独特の色・形をした土器が高松平野の各遺跡で大量に出土しています。」

石の塚、祠などがあるかを調べます。

「本古墳群は、高松市街地にある標高約232メートルの石清尾山丘陵上に所在し、200基を超える円墳や積石塚や盛土墳が築造されている。積石塚は3世紀から5世紀のものである。5世紀末頃から約100年ほどの間、この地で古墳は造られなくなり、横穴式石室を有する盛土墳が造られるのは6世紀後半から7世紀前半にかけてである[2]。」
3世紀かーっていうことは、まあ、欠史八代の時代ですな。神武天皇が「行ってこいー」っていった忌部氏が住み始めた時代ですね。OKです。

次、副葬品です。

「猫塚は大規模な盗掘を受け、中円部に造られていた9基の竪穴石室から多数の副葬品が検出された。内行花文鏡など銅鏡5面、銅剣17、同鏃8、碧玉製石釧(いしくしろ)1、筒形銅器3、鉄剣4、鉄鏃3、鉄刀、鉄斧などの鉄製品4点、土師器壺1である。出土品の大部分は1912年(大正元年)[元号要検証]東京博物館に買い上げられている。鶴尾神社4号墳から出土した獣帯方格規矩四神鏡の破片は、梅原末治が石清尾山古墳のいずれかから出土した鏡の欠損部分であることが分かり、この古墳が最古式と位置づけられた。」

おおー! 素晴らしい。内行花文鏡、出た!!
銅剣、鉄剣、鉄刀など鉄製品もあります。合格です。バッチGOOですwww

「盗掘の際に中央の石室から鏡5面(中国製のもの4面、日本製のもの1面)、小銅剣20前後、石釧1、筒形銅器3、銅鏃9、鉄斧1、鉄剣4、鉄刀1、鉄のみ1、鉄やりがんな1、鉄鏃4、土師器2等が見つかりました。これらの出土品は現在では東京国立博物館に所蔵されています。」

大変珍しく全国で4例しかないそうだ。

「竪穴式石室に関する説明板。中央の竪穴式石室からは内行花文精白鏡、蝙蝠座鈕内行花文鏡、獣帯鏡、四獣鏡、三神三獣々帯鏡、石釧、鉄剣、鉄刀、鉄鏃、銅鏃、銅剣、筒形銅器、斧、鑿、土師器壺が出土しています。」
ふむふむ。いいですね。まあ、古墳時代前期ですが、欠史八代にぴったりかなと思います。
(西暦181年が神武天皇即位なので、3世紀前半だと2代目か3代目なので、ちょうどいいのです。)


あ、なんかこれ、欠史八代は地方の古墳調査から入るほうがいいのかも!!??


まあ、結局朝鮮半島との関連はよくわからなかった。
時代が下ってきたから、渡来元のことは当人たちも忘れていったのかもしれない。

https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2422/files/kenkyuhokoku_211_15.pdf



あんまりわからないので、今日はとりあえずここまで。


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