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こら、変わってますなあ。土製模造鏡って・・・なにそれ状態。

徳島にこういう神社があるらしい。
(そしてまた、インチキで「八咫鏡は、ここで作られました」みたいなことを言う人がいる・・・。溜息。天照は九州北部だ。)

ただ、ちょっと面白いのは、

「創祀年代は不詳である。『延喜式神名帳』に記載される式内社とされるが、末社として所管する立岩神社を充てる説もある。

昔、この地に銅のたたらがあったと言う。また、周辺からは弥生土器や金属器が出土している。御火社(こひしゃ)、金谷権現とも称する。別名、金山神社。近代社格制度上は無格社であった。」

「たたら」か? と思ったら、徳島県徳島市多家良町 で、「たから町」と読む。


なんと、イザナミが死ぬときに苦しんで、吐きまくった、その吐しゃ物からできた神様なのだ。
そのわりに「金山」って??? なんだそれ???

ちなみに、八咫鏡を作ったのは、この神様である(どうも女性みたい)。

ところで、イザナミは山陰地方あたりでなくなったので、それで探す。

「たたらの発達した地域には、金屋子というあまり聞いたことのない名前の神様が祀られている。
出雲にある金屋子神社は、全国1200社を数える金屋子神社の総本山。春秋の大祭には、たたらの職人をはじめ、製鉄に関わる様々な人たちが数多く参拝している。」

よし、出雲のは総本山だから、元宮だろう。OKだ。
まあ、死にかけている女性から子供が生まれるはずもないので、たとえば、看護師さんみたいに世話した一門の人なのかもしれない。
しかし、吐しゃ物がたたら製鉄になるのは、よくわからない。
「嘔吐が溶岩の流出を表して、その中に鉱石が存在すること」という説があった。へーへーへー。なかなか不思議なイメージである。

次に、この山方比古神社の近くとか、徳島県で「鏡」でかつ国産のものが出土しているか見る。
これは、徳島県は検索サイトがあるので、便利なのだ。2つ、弥生時代で鏡でひっかかったのがあるので、リンクします。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5022993/

「1984年(昭和59年)の国道拡幅に伴う発掘調査で、弥生時代後期後半~古墳時代前期初頭の遺構・遺物が出土した。中でも弧帯文(こたいもん)が刻まれた土製模造鏡がとくに注目される。

1986年(昭和61年)~1987年(昭和62年)に徳島市教育委員会による発掘調査では、弥生時代前期の土坑や、後期後半の竪穴住居跡も発見されており、庄遺跡と並んで鮎喰川下流域の拠点的な集落であったことが推定される。」

これ、金属の鏡ではなくて、どうも土製で祭祀のためだけに、鏡のダミー品として作られたようなのだ。変わったことするー。
要するに、本物の青銅鏡や鉄鏡を入手が難しかったのだろう。

し・・・しいたけかっつ!?(笑)

わかりにくいので、別の地域だけど、似たのをリンクします。祭事に使うのです。もうちょっと見やすい写真が掲載されています。

もう1つは、こちら。

「2000年(平成12年)に高速道路建設に伴って発掘調査が実施され、11棟の竪穴住居跡や段状遺構が確認された。段状遺構は、集落を取り囲む斜面を「L」字状に大規模にカットしてつくられた城壁のような遺構で、高さ約5m・平坦面の幅が5mの規模を持ち、その延長は約170mにもおよぶ。

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

カネガ谷遺跡は、西方約2.4に位置する桧はちまき山遺跡とともに、吉野川北岸下流域で弥生時代の高地性集落の実態が判明した貴重な例である。」

高地性集落は面白いです。なんせ、倭国大乱で戦闘時に、山の上に住居を持ったのです。瀬戸内海周辺にもあるので、徳島にあるのも当然です。戦闘があったということです。
一応鏡がでていますが、朝鮮半島製ですので、これが示している鏡は天照大神とは何も関係ありません。

写真がこれです。

発掘資料にこういうのがありました。
こっちは、中国の真似をして作った国産です。

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%BF%E8%A3%BD%E9%8F%A1-132214


「出土遺物 (第 9~42図 )
小形傍製鏡 (内行花文放射線状文鏡)(第 9。 10図 )
調査区北西部の段状遣構基底面 より出土 した。鏡面からの鉦高6.6剛、鏡縁高 3 alm、 直径6.lcm、 重量
30.4g。 鏡縁の1/2を 欠損するが、細い蒲鉾縁で、鏡縁 に接 して連弧文が巡 る。双線13本 お よび単線 1本からなる平行直線文が鉦から鏡縁 に向かって放射状 に配され、間に14個 の乳文が配置される。鉦座はない。鉦孔のわたし痕が明瞭に残る。鏡周辺から出上 した土器の年代 (弥 生時代後期初頭)と もあわせて初期の務製鏡 とみられる。弥生時代後期以降に出現する面径10cm以 下の小形傷製鏡 は、これまで全国で200面以上出上 してお り、北部九州 を中心 に東は群馬県 に及ぶ範囲に分布する。その多 くは中国製の内行花文 日光饒や重圏文 日光鏡 と呼ばれる鏡 を原鏡 として、主 として北部九州で製作 された務製鏡であ り、一部朝鮮半島南部での製作 も指摘 されている。傷製鏡の製作開始期である弥生時代後期初頭では朝鮮半島南部・対馬・北部九州にその分布がある。」

(これ、すいません。誤字があるのかも? 務製鏡 → 傍製鏡 じゃないかなあ???)

弥生時代後期は1世紀中頃から3世紀の中頃を指します。ちょっと古いかもですが、紀元前ではないので、だめです。
模様が内行花文鏡なのはOkですが、こんな放射状のはあまり見ないです(まあ、私はプレ皇室しか研究していないので、他の時代であればあるのかもですが・・・)。


というわけで、近くの弥生時代の出土品と遺跡を探しましたが、天照大神とは何も関係ありません。時代も違います。
天照大神であるなら、紀元前でないとだめです。

卑弥呼の鏡としても国産だから、だめですな。
時代はちょっとだけ近い。でも、50-100年くらいずれてる気がしますね。ああ、惜しい。


こんなのもあったけど、箸墓古墳のちょっと後くらいだと、西暦300年前後、古くても250年くらいなので、天照大神とは何も関係ないですな。


鈴が出たそうだが、うーん、あまり古くないよなあ。こういうのって。
6世紀後半の青銅製ですね。


残念ながら、あいかわらず徳島のは、プレ皇室としては合格な遺跡や出土品はないです。まあ、阿波忌部氏の居住地だから、神武天皇以降でしょう。
西暦182年ー200年あたりなら、ずばり忌部氏が関係したのかもです。鏡造氏も、ついでに来たのかもしれないし。


おまけ。
これはちょっと面白いですね。

出雲、渋い。

https://tabi.tetsunomichi.gr.jp/


なんていうか、徳島県、正しい考古学知識でPRしないと、だめと思うわ。
すぐ、剣山のユダヤ人がーとか、キリストがーとか。眉唾じゃん。

これはちょっと面白いのだが、皇室が菊の紋を使うのは、後鳥羽上皇(鎌倉時代)からです。安徳天皇は、まだ平安時代末期です。ちょっと近いけど、後鳥羽上皇のほうが後で、安徳天皇が先なので、安徳天皇が菊のご紋を使うことはありません。生まれてないんですから。

「吉野川から山を越えて祖谷に入り、剣山に草薙の剣を納めた帰りに祖谷川を渡ろうとして付近の栗の木の倒木を川に渡して橋がわりにしたことから、もともとの地名であった「栗須戸」を「栗枝渡」の表記に改めたと伝えられている。」
「 帝が剣を埋められたことでその名がついたといわれる剣山には、11番札所で説明するように「ソロモン王の秘宝埋蔵伝説」も伝わっており、その影響か、いつしかこの神社も「くりすど」⇒「クリスト」⇒「キリスト神社」と呼ぶものが出てきているが、その根拠は今のところ、一切 無いので誰か見つけてくれ(笑)。」

というわけで、なんも根拠がありませんでしたー。

青森のキリストの墓みたいに、またまたインチキっぽいので、生ぬるーく見守りたいと思います。

追記
他のは、自然がきれいで、渋い神社やお寺は多いので、この三好市とか、租谷地域は、観光にすばらしいのだ。
無理な嘘とか、あまりに頓智機なねた出さないで、素直に「美しい自然と、(古代ではなくて)中世以降の歴史(平家落人伝説とか)」で勝負すればいいと思うのですがねえ。
有名な大歩危がありますよ!!


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