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欠史八代研究: 奈良県内に勾玉は出土しているのか?

神武天皇が畿内に来た後、しばらくの間、奈良県内で三種の神器が出土しているのかを調べたいと思います。
ついに、橿原考古学研究所に電話してみたら
「奈良県内ってあまり勾玉は出土しないんですよー」
って話を聞きました。

ええー、そうなの???
まあ、たしかに古墳時代以降で、弥生時代の終わり、つまり欠史八代にあたるような時代は、不明なんだから、出てこないでも不思議はない。

それで調べました。

曽我遺跡は、要するに玉造の工房の町なので、出て当然だ。

新沢千塚古墳500号墓うーん、4世紀だ。たしかに欠史八代の時代である。いや、ちょっと前か? 仲哀天皇の前後だ。

126号墓はあきらかに渡来人女性なのだ。

藤ノ木古墳は新しすぎるっていうかー。

こんなん、飛鳥時代とか、聖徳太子の若いときじゃん。



この人、酒メーカーなのに突然歴史の話をしていて、かつ独自論なので変わっている。ちょっと違うと思うが。


あ、田原本町だ。唐古・鍵遺跡がある。


推古天皇の皇子じゃないか仮説の墓。
「子女菟道貝蛸皇女
竹田皇子
小墾田皇女
鸕鶿守皇女
尾張皇子
田眼皇女
桜井弓張皇女

そういえば、「日出処の天子」で聖徳太子の妻になるが、冷たい扱いをされていたのだった。菟道貝蛸皇女ってかわいそう。実際に子供もいないし、早死にしたっぽい。




うーん、ちょうどいいのがみつからなかった。
また調べ直そう。


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