見出し画像

プレ皇室研究: しつこく阿多探しだ。→みつけた。福岡市西区愛宕=阿多古だった!!

この人の話はちょっと面白い。
大和王権が、隼人もいれた混合政権だったというのだ。
隼人は、海幸彦の子孫だそうなので、ないことはないが、身分がえらい差がでてきちゃっているんで、大げさかな。
一方的に大和王権が、隼人をガードマンに使っているだけってかんじなんだがなあ。


「しかし、実はこの笠沙という地名はごく最近つけられたもので、古くからの地名ではない。大正時代までは現在の笠沙町と大浦町を合わせた地域は「西加世田村」と呼ばれており、大正12年にこれが「笠砂村」と改称、昭和15年に「笠沙町」となった経緯がある。笠砂村と改称したのは、「加世田村」「東加世田村」もあって紛らわしいということと自治意識を高めるのが目的だったらしく、古事記に因んで「笠砂」と名付けたらしい。つまり、今の笠沙町一帯が元から笠沙と呼ばれていたのではないのである。

ではデタラメでつけた名前かというとそうでもなく、江戸末期(1843年)に編纂された『三国名勝図絵』では、野間半島は「笠砂御崎」と記載されており、野間岳は昔「笠砂嶽」と呼ばれていたとされている。さらに遡る1795年に編まれた『麑藩名勝考』でも加世田は「笠狭之崎」であり、加世田は笠狭に田をつけたものとし、要は加世田という地名は笠沙が訛ったものだと推測されている(※1)。ともかく、「笠沙の御崎」が南薩にあったという主張はかなり古いのである。」

「そういえば記事本文では明示的に書きませんでしたが、古事記→「笠沙」、日本書記→「笠狭」、大正12年に出来た村→「笠砂」といういろいろな表記があって紛らわしいんですよね。」
これはなかなか面白い。

それで阿多あるいは吾田であるが、福岡市西区に「愛宕」(あたご)という地名があるのだ。
高千穂のように、語尾がくずれているんじゃないかなあという気もする。
西区なので、たぶん海の近くで、小戸とも近い。

これも面白い。
東南アジアに、釣り針を失くす神話があるんだそうだ。
バナナ神話と同じだねwww




ここじゃないかなあって思うんだなあ。愛宕ね。福岡市西区だ。
伊弉諾の小戸がもう、すんごく近くて、まさに九州北部は天皇家の故郷なのだ。


おっしゃー!!! ついに来ましたー!!!
愛宕ってあちこちの県にあるので、地名の由来をみてみた。


「「愛宕」という地名は「愛宕」「阿多古」と書くことが多く、接頭語の「ア」と高(高所)を意味する「タコ」を表す地名ともいわれています。そして「愛宕山」という場合は「阿多古」という神名にもとづくもので、愛宕神社という火の神、火伏の神を祭っていて、愛宕信仰による伝播地名の一つなのです。」

あ + たこ(高い) で、もともとは阿多古 と書くべきだったのだ!!

そう、これで 「阿多」の謎が解けた!!!


いやー、なかなかみつからなくて、苦労したですー。
あー、すっきりいーーーーー!!!

こっちも面白いですな。
「『京都滋賀古代地名を歩く』(②)
【愛宕山(あたごやま)】の項…pp.26-28
地名の謂れについて、次の説を「良い」として紹介している。
アタゴ・オタギは同一語源であり、神社名が郷名より古いことが多いことから、アタゴが先で後にオタギに変わった。アタゴ・オタギのタゴ・タギは、山道が狭くて曲折し凸凹している様を言う形容語、タギシ・タギタギシの元になっている「タギ」である。また、ア・オは「逢ふ」から出てアがオに変化したもの。つまり、アフ(逢)+タゴ(曲折路)で「険阻な山(路)に出逢うところ」の意味であるアタゴが変形してオタギになった。

『京都地名語源辞典』(③)
【愛宕町(あたごちょう)】の項…p.12
次の各説を紹介している。
愛宕神社は『延喜式』神名帳では「阿多古神社」。「仇子(アダコ)」が「アタゴ」になったという説。
●登り口が丹波側だったことから、こちらから見えない側を意味する「アテ・ゴ」からきたという説。
●「アタゴ」はもとは「オタギ」で川をさかのぼる舟こぎ作用「タグ」が語源という説。
●漢字「愛」の音変化により「オタギ」から「アタゴ」になり、「アタゴ」は山名に固定したという説。
他にも、沖縄の「ウタキ」が転訛した説、アイヌ語の「ATOK」から、インド北東部のレプチャ語「a.tyaka」からなどの説が記載されている。」

『延喜式』神名帳では「阿多古神社」 とあるので、古くはこの表記のほうが、音と意味として正しかったのだろう。



AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!