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徳島の神社が謎 敷島神社

これ、わりと新しいのですが、ちょっと変わってるのです。
うーむ、Wikiにはないので、HPをリンクして引用します。

「神社名 敷島神社(通称:西之宮)
設立 不明。旧 西宮八幡
明治42年に周辺の小社を合祀し、敷島神社と改称
所在地 徳島県吉野川市鴨島町敷地1339
御祭神 主祭神:応神天皇
神功天皇、神功天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、玉依姫命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大山砥神、酒解子神、酒解神、大若子神、小若子神、木々能治神、事代主命、蛭子命、國紀別命、水波女神、大己貴神、天水沼間比古神、天水塞比賣神
社格 村社(式内社)」

「明治42年9月、河辺八幡神社ほかを西宮神社に合祀し、社殿を新築。
新たに敷島神社と改称した。

合祀された河辺(神戸)八幡神社には、式内社である天水沼間比古(あめのみぬまひこ)、天水塞比賣神(あめのみずせきひめ)神社に比定せられた「天足祠」を合祀していた。したがって、当神社がその後身ということになる。

『阿波志』には、「神戸八幡祠 敷地村に在り 又 伊弉諾 伊弉冉二祠あり 或は曰く天水沼間比古 天水塞比賣 二神」とある。」

「境内に入ると本殿へ上がる階段の隣りに「祇園さん」と呼ばれ親しまれている境内社があり、事代主が奉られています。

また、当社の裏山に西宮古墳と呼ばれる古墳があります。この古墳の発見によってこの地に忌部氏の居住していた事が裏付けされました。」

祭っている神様がわりと変わってます。あまり知らない神様です。
地場の神様かもです。→ 要するに現地の縄文人の豪族とかのビッグネーム

さて、名前が「八幡」って宇佐神宮関係です。引用します。
「八幡神は、元々は大漁旗を意味する海神といわれ、神社では誉田別尊(ほんだわけのみこと)、あるいは応神天皇(おうじんてんのう)の祭神名でまつられています。 大分県の宇佐氏が崇敬した地方神でしたが、ご神託を通じて第15代天皇である応神天皇の化身とされ、土着的な神と天皇のご神霊が結びついた特別な性格を持ちあわせているのです。」

まあ、応神天皇なので、それほど古くはないです。
基本的に「八幡」ときたら、そんなに古くないと思っていいです。


ついでに、西宮古墳も調べます。
忌部氏のようですが、7世紀らしいです。だから、やっぱり古くありません。

Google口コミから引用します。
麻植郡郷土史に天日鷲命の御陵であるとの記載あり。
ただし古墳の築造時期が7世紀であることを考えると、疑問。
忌部型古墳であることは間違いない。
周辺の遺跡状況を鑑みても、忌部の重要な人物であったと推測される。」

七世紀初期の古墳のようです。
案内板から山道に入り、少し登ると古墳があらわれます。」

「この近くのどこかの古墳から、大正十五年、蕨手刀が出土しています。
鴨島町敷地西ノ宮出土の蕨手刀は形式的には、正倉院御物と同じ部類に属して反りはなく、古式な様相をもっている。「徳島県の歴史」より。」


「蕨手刀(わらびてとう[1]、わらびてがたな、わらびてかたな)は、日本の鉄製刀の一種で、片刃。柄と刀身とが一体として作られ(共鉄造り)、柄の形状に特徴がある(柄頭は早蕨の新芽の形状)。

日本への馬の導入以降(古墳時代)、馬の生産が盛んとなった東日本で、馬上で戦いに使う刀(もしくは護身用)として、当初は山刀のような短い直刀として生まれた。それまでの単純な直刀に比べると、特徴的な柄を片手で握って構えると刃が相手に向かい、振り下ろして切りつけると切断力が優り威力があった。」

「石井昌国によって蕨手刀研究の大枠が出来上がると、その後の研究で鐔や鞘に装着する刀装具、柄頭の形、刃や柄の反りから1期から4期までの変遷がとらえられている[4]。蕨手刀が製作された時期は7世紀後半から9世紀にかけてのおよそ2世紀の間である[4][9]。出土分布は、北海道を除けば東日本の馬の産地と共通し黒ボク土の分布に一致する[9]。

蕨手刀は、柄頭(つかがしら、柄の先端部)が蕨の若芽(早蕨)のような形態を呈するのが伝統的特徴である。柄には木を用いず、鉄の茎(なかご)に紐や糸などを巻いて握りとしている共鉄柄(ともがねつか)である。」

まあ7世紀が一番古くさかのぼれるようです。古墳の年代と副葬品などの間に、あまり矛盾はないですね。

というわけで、この神社も深堀するとたいして古くなかったです。
忌部氏の一門のものは、正しいようです。なんせ、忌部氏は21世紀の今でも子孫が続いているので、どの時代であっても問題ないのです。

現地に行った人の写真があって、変な石がありますが、それは石棺が崩れて残ったもののようです。

「その古墳の墳丘と石室の壁は既に失われ、石室基底部と玄関部の4本の立石のみが残されている。

「麻植郡郷土誌」には、「西の宮上、天日鷲御陵ありと伝う先年村人開拓せしに、原史時代営造せし古墳にて鉄器、土器等を発掘せり」とあり、この被葬者と阿波忌部との密接な関係が考えられる。

なお、八木敏乗氏は、この4本の立石なるものを、「自然巨石や露頭岩等に、人為的配石を加え、組石としての造形的表現の神座を構築した祭祀遺跡であり、全国に例を見ない。

これは、弥生後期~古墳時代の「敷地磐座」であり、古代阿波ならではの無類絶品の美的造形を表現したものと解説している。」


ただ、ちょっと面白いのは、この神様の名前です。
「式内社である天水沼間比古(あめのみぬまひこ)、天水塞比賣神(あめのみずせきひめ)神社に比定」

徳島県は雨が少ないので、水を配るのには注意が必要です。ため池もあったかもしれません。そういう水を配る担当か、あるいは朱 水銀を配る担当だった可能性があります。

農耕では、こういう水分の神様がいて、重要視され、日本中に「水分」「みくまり」などの名前であります。
奈良県吉野の水分神社はとても古くてかっこいいので、近くにいかれたら、参拝されるといいと思います。

ほら、カッコいい神社ですー。Wikiより引用します。重要文化財だそうです。



イワクラ学会っていうのがありました。
これは面白そうです。がんばって保存していっていただきたい。


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