いわゆるトナラーについての心理がだんだんわかってきた。
まあ、多くの人が「なんで、俺の車のすぐ隣にぴたーっと止めるんじゃ。駐車場は空いているのに」と思うのですが、トナラーは、わざとすぐ隣に止める人です。
クルマだけでなくて、椅子、ロッカーなどにも表れます。
ちょうどいいことを書いている人がいたのと、私が最近聞いたのがヒントになったので、解説します。
これで、ほとんどのケースは網羅されていて、対応策も書かれている。素晴らしいw
ところで私が見聞きしたのを脳科学の知見から、ちょっと解説する。
1つめ まじに不安症の人。
ある人が田舎の役所にいって、広い駐車場に車をとめたら、トナラーの車に止められてしまった。所用が終わったので、さっさと次の場所に移動しようとすると、なんとトナラーの車がついてきて、2つめの公共機関(道の駅とかそういうの)にもついてきた。それで、また隣に止めようとするので、「なんで、ついてくるんだ」とちょっときつめの口調で問い詰めたら、そのトナラーは、「あんたこそ、逃げててひどいじゃないか。田舎道は怖いんだぞ」と返事したらしい。要するに、そのトナラーは田舎の山道とかが怖くて、そういう人のいない場所に不安を感じていたってことのようだ。
ああ、これは前から怪しいなと思っていたので、ビンゴでありました。
脳科学的には、これ群れの脳、哺乳類脳が強すぎる人なのだ。
つまり、群れー集団でいるのが心地よく(ある意味、他人に依存しないと生きていけない弱い人)、1人で立てない人なのだ。
実は、知人と温泉にいったときに、その知人は前から、べたべたと私の体に触りまくる人でちょっと閉口していたのだが、なんと真横のロッカーを使いだすのだ。なんとまあ、知人がトナラーだったのだwww
そのときは、さすがにひどいと思ったので、「真横のロッカーを取られたら、扉も邪魔だし、着替えるのも邪魔じゃない。なんで気が付かないの?」とつい怒ってしまった。それから、知人はロッカーはさすがに隣に来ることはなくなった(苦笑)。でも、べたべたと握手したり、特に感激する場合でもないのに、肩を触ってきたりして、オーバーアクションなのは治らない(苦笑)。
それにレストランにいくと、私が頼む食べ物と同じのを選んだりすることも多く、「おかしいなあ、この人」と思っていたのだ。
(実は、それもイタリアにいったときに、私と同じものを頼むので、私は知人が嫌いなものを頼んだら、なんだか、びっくりした顔でやっと違うものを頼んでいたのだったwww)
当人も別の友人から、「貴方とは二度と一緒に旅行にいかない」と絶縁されたらしく、旅行先で空気の読めないことをしていたのだ。私との旅行でもよく空気が読めないなあと思うことがあったが、うーん、なるほどなあというかんじで、1人でいるのが嫌いなんだろうというのがわかった。
まあ、余談だが、こんな人が全員家族や友達だったとしたら、日本人で「ああ、同調圧力がひどい」という人がいるが、まさにこいつらのせいだなあと思うのでありましたwwww
その2 これはどうも本当に単純に、「横から順にきれいに並べたい、几帳面系」の人だ。これは上記のリンクでも、事例に出してある。
トナラ―当人としては、「きれいに並べたい」だけなのだ。たとえば、碁石とかトランプとか、お寿司とかみたいにだ。
まあ、これも自己中で、相手の気持ちを考えない点では、トナラーにありがちである。
普通、人はいくつか椅子があいていたら、適度なスペースを取って、ぽつぽつと座っていく。
なぜなら、これは本能的に原始時代からわかることで、あまりに人と人の接触度が近いと、リソース(たとえば食料、居住地、畑など)の奪い合いになるからだ。あと、コロナのようにウィルスにもかかりやすい。
これがわかっているからこそ、人類は、うまいこと空気を読んで、「ちょっとずつ開ける」パーソナルスペースを取ることをするのである。
※ 野良猫の親がテリトリーを子供に譲って、離れていくのは、まさにこのせいなのだ。リソースを分け与えているのだ。大人の自分はまた別の場所を探せばいいのだ。
そのほかは、これもリンク先に事例であるが、「高い車の近くが安全」とかいう思い込みとか、車の場所を忘れるから、空間認識の欠如・・・といったケースである。
脳科学的には、空間認識の欠如はちょっと面白い。
要は「すきまあけて」というと、たとえば1mくらいあければいいのに、たったの20㎝しか開けないような人ですなwww
しかしまあ、こういう教養のなさそうなトナラー婆さんに当たるとしんどいですなあ。年取ってんだから、そっちが気を回せよってかんじ。
まあ、インドの場合はしょうがないですがwww
いやでもトナラーwwwwwwww