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多坐弥志理都比古神社 おおにいますみしりつひこじんじゃ

読めないです!!www

奈良県田原本町にあります。唐古・鍵遺跡のあるところです。だから、古いです。
長い名前じゃのーって思っていたら、これ、神武天皇の皇子のうち、兄のほうが「天皇にはなりません。神官になります」(気の弱い人だったらしい)といって、帝位を弟に譲ったのであった。それで、神様を祭るのにいた場所が、神社になったのだった。


「記紀神話には、「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、それが当社の始まりであるとしている。綏靖天皇2年(紀元前580年)、神八井耳命は春日県(後の十市県)に邸宅を造り、そこに神籬磐境を立てて自ら神祇を司り、春日県主の遠祖・大日諸神を祭祀者として奉祀せしめた。崇神天皇7年(紀元前91年)、その神祠を改造し、天津日瓊玉命・天璽鏡劔神を祈賽したと伝える。」

「本殿の後方に「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場もしくは古墳と考えられている。

1972年(昭和47年)、当社裏の飛鳥川築堤工事中、境内より縄文時代から古墳時代の遺跡(多遺跡)が発見された。」

では、多遺跡を調べてみましょう。
やはり住居遺跡がありました。

「多遺跡は、奈良盆地のほぼ中央、標高約55メートルの沖積地の微高地上に存在する。弥生時代から中世に至る時期の大規模な遺跡である。遺跡の中心部には式内社・ 多坐弥志理都比古神社(多神社)が所在する。

多遺跡は、弥生時代の拠点的な環濠集落で、環濠に囲まれる範囲は、長軸350メートル、短軸300メートルと推定されている。これまでに19次に及ぶ調査が実施され、弥生土器、木器、銅剣などが出土している。

出土品の一部は多神社の資料館に展示されている。」


弥生時代ってことで、あってますね!!



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