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ちょっと面白い。秦氏の話

これ、Naverにブログで韓国語と日本語で書いてある。
ちょっと面白いので、リンクします。

「その点で注目されることは hada ayaを韓国の国名や地域名に由来すると思う一連の見解だ.
この見解は 鮎貝房之進を始まりにしているのに, 鮎貝はまず ayaを 安羅(阿羅咸安)に由来したことで見て{日本書紀} 神功紀 49年條の 七国平定記事に [安羅]が含まれていること, 碑文に [安羅人戎兵]が見えることを指摘しながら自分の主張を補強した. そして ayaが国名なので hadaもそんなことで推正した, すなわち hadaは Pada(海)と通じる {三国史記} 地理志に見える 蔚珍郡 海曲県の故名 [波旦]や, その近所の 三陟郡 海利県の故名 [波利]がそれにあたると言って, 付け加えて 秦氏の 族長である 太秦(右zumasa)の右zu(右tu)も 蔚珍郡の故名 [于珍]に基づくと説明した.」
「鮎貝房之進先生は民間の学者で朝鮮の地名の研究をなさっておりまして、『三国史記』の地理誌の中に波旦県がみえる。秦氏の秦は新羅の古い波旦県から来ているのではないかと書いておられる。『三国史記』は1145年にでき、金富軾が書いた本です。平安時代の終わりの頃。その説だけでは着眼はいいと思いますが説得力がない。ところが、1988年の4月、慶尚北道の蔚珍郡鳳坪里で新羅の古い碑文がみつかった。いつごろのものか論争がありますが、524年の古碑であることは間違いありません。この新羅碑はいろんな意味で重要な碑であります。1988年7月にソウルに行った時、ぜひ見たいと現地へおもむき、外国人研究者では一番最初に見ることができました。今は碑の上に覆いを作って展示されていますが、当時は放置されていました。この碑は新羅の律令制を考える上でも大事なものです。6世紀の前半の新羅の律令を考えるさいに参考になります。」

「言語学的なアプローチからの古代朝鮮の地名・王号などの考証を行い、また民俗学的な研究にも努めた。その成果は雑攷9集としてまとめられ、今日でも優れた先行研究として扱われている。

京都・秦氏の名前由来を「波旦」(ハダ)説を提起した。1986年に韓国慶尚北道で新羅古碑が発見され、それには古地名「波旦」が明らかにあり、京都大学名誉教授・上田正昭が当地を訪れ、鮎貝説を支持している。


なるほど、地名なんですね。
まあ、昔の人は、レオナルド・ダヴィンチのように、村の名前を姓にしたりします(ダヴィンチは貴族ではないです)。フランスやドイツの貴族などは、だいたい領地の名前です。だって、先祖が戦いなどで獲得した土地だったりしますからね。日本でも、地名由来の人もいますね。


ちなみに秦氏、秦河勝はハプログループ Oタイプでして、始皇帝と本当に同じなので、子孫です。(いたってよくいる中国・朝鮮系です。)
なお、日ユ同祖論はインチキですので、ユダヤ人のグループEとは、トップレベルから違うので意味なしです。

(いいかげん、インチキにはうんざりしますので、秦氏はユダヤ人とかいっている人がいたら、情報弱者と思ってください。検索したらすぐわかります。


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