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忌部氏は海洋系民族?

しつこく、忌部氏を調べていたら、このページにあたりました。
大変面白いことが書かれています。
(阿波忌部氏がメインで、本家の奈良の忌部氏ではないですが。)

引用します。
「・さらに「忌部」のルーツや農文化の源流を探究すると、汎アジア的な様相と古日本文化の源流を形成した一面をもつことが浮かびあがってきた。剣山系のイザナキ・イザナミ、オオゲツヒメ、天岩屋戸神話や神社のあり様、麻・榖・和紙などの樹皮繊維文化、阿波晩茶(発酵茶)・藍などの発酵文化などから見れば、「忌部」のルーツの一つは、佐々木高明氏が提唱した東アジア・東南アジア方面からの照葉樹林文化をもつ焼畑系海洋民の流れの中に抱合される。また、金鵄神話や太玉命の祖神・高御霊神(タカミムスヒ)の別名高木神、鳴門市の積石塚墳墓群などの要素から見れば、朝鮮半島の高句麗やその北方に連なるツングース系の遊牧民族、ステップロードに繋がるルーツが考えられる。『忌部』研究とは、グローバルな視野で研究を進めなければならない課題となっている。」伊弉諾・伊邪那美は剣山系ではない。出戻り縄文人だ。
まあ、それはともく、「焼き畑系海洋民」とか、「朝鮮半島の高句麗系」とある。これはあるあるかなと思われる。

「『忌部神社正蹟考』には「神代に天日鷲命が御馬にめされて、この吉良に止まったその古蹟が吉良の御所である。」

馬は古代におらんので、このへんはインチキ。

これは面白いです。どうしてそうなんだろう???
神社名の『天石門別』とは「太玉命の子」を指し、当社は忌部氏が斎き祀った神社であった。『徳島県史』にも、「祭神の天石門別八倉比売の神は、古語拾遺には太玉命の子と伝え、阿波国は実に太玉命の子孫蔓延の土地であるから、その祖先を祀るものと考えられる。」とある。」

「「白人神社」の西南約100mの照葉樹が生い茂る神明山の丘陵上に「磐境神明神社」は祀られている。それは、全国に前例のない石垣囲いの聖域をもつ神殿で、社殿造営以前の日本最古形式の祭祀場「磐境」の類と考えられる。かつては、忌部の宮人の祖先によって麻・榖が献上されていたという。現在でも「忌部の宮人」が神社を守り続けている。」

これはそうですね。

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