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小説家で平安時代を書きたい人は、これを買え! 「小右記」の全巻

これはすごいです。
まさかの、「小右記」の全巻現代語訳です。
素晴らしい。
出版界の偉業すぎる・・・。吉川弘文館さん。すごい。


性格すねてて、ちょっと斜め目線の右大臣の日記ですwww

「祖父・実頼の養子となり、非常に愛されて家領の多くを相続し、小野宮流を継承した。

小野宮流は藤原北家嫡流でありながら、分派であるはずの九条流に摂関家の主導権を奪われたが、九条流に対して記録資料の面で優れ、故実に通じる家として著名であり、実資は膨大な記録資料を実頼より継承したといわれる。また学問のみならず、蹴鞠の達人としても知られ、長徳3年(997年)4月17日には、賀茂祭の余興として自邸で鞠会を開き(『小右記』)、後世大江匡房からは「当世の名人」と評されたという(藤原頼輔『蹴鞠口伝集』)。その膨大な家領については未だ不明な部分も多いが、相当な財力を有していたことは当該期史料から判明している。

実資は故実家・資産家としても知られたが、物事の要点を押さえ、個人の利得や名声のために真実を覆さないという良識人でもあった。

政治と恋愛は別なんだぜwww

気難しい性格であった実資も好色であったようで、『古事談』に以下の逸話が伝わっている。

実資の邸宅であった小野宮第の北対の前によい水の出る井戸があり、付近の下女たちがよく水を汲んでいた。下女の中で気に入った女がいると実資はよく誰もいない部屋に引っ張り込んでいた。そこで頼通が一計を案じ、自邸の侍所の雑仕女の中から美人を選んで水汲みにやらせ、もし実資から引っ張り込まれそうになったら、水桶を捨てて逃げ帰るように命じた。案の定、実資はその雑仕女に手を出そうとしたが、予定通り女は水桶を捨てて逃げ帰った。後日実資が頼通を訪ねて公事について話をした際、頼通が「ところで、先日の侍所の水桶を返していただけないか」と言った所、さすがの実資も赤面し返事ができなかったという。
『古事談』には、実資と藤原教通(頼通の弟)とが遊女・香炉をめぐって鞘当てをした話も伝わっている。」

この人にやってほしいwww (まあ、前に悪左府はやっていたのでーw 現代で最も束帯が似合う男w)


お金ためないとねーw

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