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惜しい!! 神武天皇即位121年説。

別の人が、「神武天皇即位は121年」っていうのをいっていて、これはけっこういいのですが、惜しい。60年早すぎなのだ。
(私と宝賀先生の仮説は、181年だ。)
この人はちゃんと干支をカウントしてまして、干支は60年ごとに回ってきます。
121年、181年、241年・・・という3つの候補があるのだ。

一般的なプロ学者さんの見解だと
(1) たぶん150-250年の間のどこかだろう。
(2) 大和王権の確立は、だいたい3世紀前半。つまり201-250年の間。
っていうのが、わりと正論らしい。
(3) 時代が特定できるのに、七支刀ってあるんだが、これが仲哀天皇の神功皇后の時代なのだ。だいたい370年くらいで、百済とかの記録と一致する。仲哀天皇から、1代30-50年くらいが天皇の寿命とかと思うと、なんとなくいいかんじになる。



これは、1つは、畿内の墓とかの出土状態とか、「古事記」「日本書記」に見られる鉄器、鏡などの製造がだいたい、弥生時代。稲作も縄文時代の終わりだけど、メインは弥生時代に盛んになる。
たとえば、「古事記」には、剣、鉄剣、矛、鏡などが出てくる。日本は、中国、朝鮮半島から、鉄素材を輸入していたのが、弥生時代なのだ。
あきらかに縄文時代ではないし、古墳時代でもない。墓は弥生時代の、方形周溝墓、円墳、方墳、甕棺などなのだ。

鏡系のは、よく研究されていて(多少異論はあるらしいが)岡村先生の編年研究とかが、有名なので、一応これを参考にするのだ。
ちなみに、なんで鏡が重要かというと、八咫鏡がどうも内行花文鏡デザインでほぼ確定らしい。これは、とっても大人気の、花びらが8枚くらいあって、サイズが八咫(大人の手の大きさで、8つ分)のがある。小さいのは、小さい首長や豪族の墓でもみつかる。とにかく、(ちょっとデザインのバリエーションがあるが)古代大人気デザインなのだ。

(ただ、大人気すぎて、100年以上、流行していたので、ちょっとずれはあるかもしれないのだ。でも新しいのは国産になってきて、漢字の掘りが甘いのだ。職人が全員、漢字を知っていたとは限らないから、「真似した」ってだけになるのだ。それは造詣が甘い。)

121年だと、うーん、ちょっと前すぎる。
他の学者の(1)と比べると、早すぎるのだ。
統計取るとわかるが、鏡の出土年とか、鉄剣とか、お墓の形状とかで考えると、もうちょっと後でないかって話になる。

1つの決定打は、糸島の平原遺跡で、玉依姫、つまり神武天皇の母であるが、これがどうも西暦でいうと180-200年くらいまで建設じゃないかという話だ。
121年だと、息子のほうが早いってことになって、時間的に成立しないのだ。

(2)について、200年代っていうと、神武天皇の息子、孫とかで、いいかんじに50年ほど後だから、今のご時世でも会社が安定するのは、50年くらいかかるので、似たようなかんじなのだ。

241年だと、仲哀天皇・神功皇后の時代との間がつまりすぎていて、おいおい、天皇の即位が10年ずつとかになると、まずいじゃんってことになる。

紀元前70年とか言ってる人よりは、はるかに論理的かなあと思うが。

まあ、古代研究はとにかく鏡が出土していたら、岡村先生の研究と、一度は絶対にチェックしろってことなのだ。

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