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21世紀 日本人所得倍増計画 (1)

古代研究のうち、プレ皇室はだいたい片がついたので、次は欠史八代なのですが、それより今どき困っている人が多いので、「日本人所得倍増計画」について、研究していこうと思います。
(けっこう資料代もバカにならないので、途中で有料にするかもしれないです。また、ぜひ大変恐縮ですが、面白いなと思ったらお布施をいただけるとありがたいです。次の資料が早く入手できて、内容が深くなるかもしれないです。)

これは前々から思っていたのですが、アホの岸田総理が「やる」といっていたのに、ぜんぜんやらねーでまだしつこく総理の椅子にしがみついているので、そういう意味では岸田批判も交えての、考察と政策提案です。
ぜひ、拡散いただけると嬉しいです。
「」は引用になります。

1つめ
過去の所得倍増計画は、成功したのか?

「所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)は、岸信介内閣が手にかけ[1]、1960年に岸内閣の通商産業大臣で計画の推進役であった池田勇人が首相就任後に政策を本格化させた長期経済計画[1]。池田内閣で閣議決定された際の名称は国民所得倍増計画(こくみんしょとくばいぞうけいかく)という[2]。この計画では、翌1961年4月期からの10年間に実質国民総生産を26兆円にまで倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は計画以上の成長に至った[2]。立案は経済学者の下村治。」


おおー、そうそう、ちゃんと倍増したのです。いえ、それ以上にあがったのです!!
(まあ、上がり過ぎて、バブルのせいでアメリカに叩かれたが)

特に、1960年とかじゃあ、戦後なんとか普通の生活に戻った程度ですから、立ち上げるのにも、わりと頭打ち感もありませんし、東京オリンピックのような公的投資が有効でした。

「日本の経済史においては、1956年4月から1973年11月頃までを高度経済成長期と呼び[3]、この間、日本は年平均10%という驚異的な経済成長を遂げた[4]。中でも特に、1960年に首相に就任した池田勇人が打ち出した「国民所得倍増計画」によって、成長体制が整備された[5][6][7]。」
「日本の第二次世界大戦後の長期経済計画としては、1957年の岸信介内閣による「新長期経済計画」に代わるものであり、1960年12月27日に池田内閣により閣議決定された[2]。池田内閣による所得倍増計画のもとで日本における実質国民総生産は約4年(1964年8月期)、国民一人当り実質国民所得は約7年(1967年10月期)で倍増した[2]。一方で高度成長によるひずみの是正や社会資本整備が求められ、その後、佐藤栄作内閣で「中期経済計画」(1965年)および「経済社会発展計画」(1967)が策定された[2]。」
「岸は池田を強力な反主流派に留めておくべきでないと判断し、第2次岸内閣 (改造)の際に「所得倍増計画」の実現を任せると約束して池田を経済産業大臣として入閣させた[38][52]。」

岸さんは、安倍元総理の親です。姓が違うのは養子かなんかですね。弟の岸元防衛大臣は、そのまま岸家を継いでおられますね。
議員の世襲はあまりよろしくないですが、優秀人材ならOKです。
だって、DNAで向き不向きがありますからね。

「また、この二人がプレゼンテーションして国民に受け入れられたのかという疑問もある。宮崎勇は「岸内閣のときは大蔵省も反対し、佐藤栄作蔵相も『倍増なんて数字ではなかなかできない』と言っていたのに、池田さんが総理になってやるということになると、『これは協力すべきだ』と変わった」と証言しており[78]、池田の時代になってから本格的になったといえる[70]。

「国民所得倍増計画」は、独自に人心に訴える効果があり、その後の日本の進路を決する重要な選択として世間に知られることになった[79]。立案には約3年間を費やし、民間の有識者など各方面から1000人ほどの意見を聞いて練り上げたともいわれ[80]、最終的には池田が首相就任後の1960年9月、池田とその側近である下村、大平、宮澤らも含めて、役所が総がかりで池田内閣として政策体系にまとめ上げた[29][5][27][81]。宮崎勇は「池田さんは下村さんを中心とした個人的ブレーンを使っていたから、私どもが『倍増計画』を経済審議会の意向を受けて仕事をこなす以外に、池田さんとのブレーンとも調整を進めなくてはならず、複雑な機構になっていた」などと述べている[78]。下村は「経済企画庁が作った所得倍増計画と自身のもの(下村プラン)とは、全く違う発想で、池田内閣になって、池田さんの意見が出てきたので、総理大臣の意見を無視するわけにもいかないので、何とかある程度総理大臣の意見をくんだものをつくるということが最後に決まった」と述べている[29]。」

なかなか難産のようですが、一度決まれば、日本の官僚は優秀ですので、あれこれプランに細部をつめたのかなあと思います。

まあ、時代が違うので、同じようにもいきません。

簡単に今と昔の違いを列挙します。

(A) 昔は、未踏分野が多く、ちょっとてこ入れするだけで成果がすぐ出た。
(B) 日本国民もがっつがあった。生活をよくする気力があった。今は、アホの文科省役人前田なんとかの「ゆとり教育」のせいで、がつがつするとだめって風潮ができてしまった。なので、残業はあまりせず、効率で所得をあげないといけないので、けっこう手が限られてしまう。
(C) 昔は、グローバリストもリベラルもあまりいなかった。左翼はいたけど、国内専門で労働者の味方ーと叫んでいるだけでよかった。今は、左翼がテーマごとに分散して、しかもSNSなどでうるさいので、正論をかき乱す害悪になっている。自分で自分の所得を下げるアホなのだろう。これを回避しなければならない。
(D) 昔は、道路や街づくりの公共投資をばらまくだけで、かなり所得向上できたが、今は道路は世界的にきれいだし、ビルもにょきにょきである。困っているのは、ど田舎の人が使わない古い橋とか、上下水道くらいなもんである。これに再投資するのは、けっこ辛いかもしれない。
(E) それとアホの財務真理教をなんとかしなければ、いけない。
 西田先生の動画をみるとよいと思う。
(G) 善かれあしかれ、台湾戦争が近いので、戦時経済も見据えなければならない。つまり、中国との闘いである。
(H) 昔は日本なんてアジアのはしっこのどーでもいい国であったが、今は、世界の大人気国家である。
(I) 少子化高齢化があるので、それも配慮しなければいけない。
(J) 科学がだいぶ進んできて、(無知な人にはわからんが)賢い人には、人類の不幸がわかってきた。
(K) 国連が中国汚染されているので、アホの国連はただの金食い虫で、意味がない。なので国連には何も期待できない。


(他に思い出したら、追記します。)

さて、<2>では、どこをどうてこ入れするかを検討していきます。



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