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脳科学から見た、「神との対話」

神様というのは、いろんな人がそれぞれ、いろんなことを言います。
立場が違うといろんな考え方があります。僧侶とか神職のように、神様たちで食べてるような人もいれば、単純に信者の人、科学者などで無神論の人などです。
だって、見たことはないし、見たとしたら、統合失調症とかなんだけど、精神病や脳科学の知識がない人が、「神様見た」といってもあってるかどうかわからないというか、どういう脳の状態か科学的にわからない。

さて、脳科学的に私は「神様がー」というときを整理してみた。

理解のために、イメージ図を作りました。
さて、「私」は自分自身です。
矢印は、AからBを見ている、考えているのを意味します。
太い緑の矢印は、俯瞰的に見ている方向を意味しています。

自分は自分なので、「私」はまあいます。物理的に肉体を持っていて、特に脳は一所懸命考えてます。言語的には1人称にあたります。

次に、私が誰か友達と話をしていると、「あなた」で言語的に二人称です。これは、だいたい目の前にいます。まあ、リモート会議とかだと遠くですが、相手を認識して話をしています。つまり直接話す相手です。物理的にいます。(AIチャットとかの場合は、人間ではないですが・・・。)

次が「彼ら、彼・彼女」ですが、言語的に三人称です。目の前にいないけど、ちょっと遠くにいたりして、「彼らが宿題忘れたっていってたよ」などと話します。物理的に人間がいます(小説や映画の中だと、架空の存在ですが)。歴史上の人物や小説や漫画の中の故人や架空の人物などの場合もあります。とにかく、目の前にはいません。

次に、「世間様」「お天道様」が許さないよっていう、「お天道様」です。これは、1個人や具体的な人物ではなくて、その社会全体的なものです。社会の法律や制度、しくみ、マナーといったものが含まれるます。
仮想の存在です。物理的に人間の肉体はもちません。「彼ら」がもっとたくさんいて、全体思考の平均的なものといってもいいでしょう。多くは、「私」が所属するコミュニティです。違うコミュニティにいくと、お天道様ルールは変わります。中東にいったり、欧米にいったりすると変わるし、もしタイムマシンで江戸時代にいったら、これもちょっと変わります。「常識」なものを仮想化したかんじです。
これは、あえて「第4人称」としました。言語的にはないですけども。
なお、俯瞰する範囲は主に「人間たち」です。あまり、自然のなにかは関係ないケースが多いでしょう。

次に、「神様」です。
ついに出てきました。「第5人称」です。これも言語にはありません。
神様は、あなたや彼らみたいに、肉体というか物理的なものがありません。
まあ、一応「神像」を作ればありますし、日本の神道だと「富士山」や「三輪山」のように自然の山や海、河などがありますが、そこに人間的な物理的存在がありません。
まあ、物理的にあると、いつか神様が死んでしまうので、たいがいの神様は「不死」あるいは「天国などに生きている」想定なので、物理的に存在するとちょっとやばいです。(例外は、インドとかにある生き神様ですけども。)なんせ、神様が死んでしまうと信者が集まりません(苦笑)。
でも、この神様は、「私」の頭の中にいます。
無神論者だと、決まった神様がいません。一時的に、なにか他人との会話上、神様を考えたら、神様が頭の中に説明用に浮かびますが、そのときだけ「概念」として理解して話をしているだけです。

なお、神様によっては、日本の神道のように「自然」も俯瞰的に見る概念があるように思います。
一方、「人間中心」のキリスト教だとあまり「自然」には目をやってないことが多いかなと思います。だから、「人間は神様を真似たもの」で「万物の霊長」ということです。
神道の場合は、富士山まで神様だし、イワシの頭まで信心しますから、石ころでも神様です。なので、対象範囲が広いです。エジプトなどもそうでしょう。猫の神様、カバの神様などがいます。

最後が、第6人称ですが、これは「サードマン現象」などで出てくる、もう1人の自分です。これは、たとえば、臨死体験や本当に危機の状況(サードマン現象はたとえば、潜水夫などが酸素がすごく少なくなって頭がぼーっとしたときなどに「がんばれ、死ぬな」とまあ応援してくれるある種の存在です)に出てくるものです。
周囲に誰もいませんので、自分の中にいます。だって、深海とかですからねwww
神様とは違いまして、高度な宗教理論などは考える余裕はなくて、「死にそうだから、なんとかしろー」と応援するだけです。
脳には、何か考えているモードと、何も考えてない、基礎代謝しかないような状況がありまして、デフォルトモードといって、ヨガや瞑想などで何も考えてないような状況があります。とはいえ、瞑想中は、元気なので、さきほどのサードマン現象のような臨死状態まではいってないです。

これだけは、なんというかデフォルトモードのもっとローレベルの下にいて、「私」(その2)なのですが、元気なときの「私」を見ているというかんじです。
そうですね。自己チェック機能みたいなかんじです。
このため、臨死体験のような、「空中から自分を見ているかんじ」がもし覚えていたら、出てきます。
具体的には、まじに臨死例を研究しないと無理なので、なかなか研究が進みません(死にそうな人に許諾取ったり、待ち構えているのはものすごく難しいです)。とはいえ、なんらかの普通のときではないときに、自分を意識するなにかのようなものです。
ちょっとうまい説明になっているか、わからないですが・・・。


そうだなあ。
自分が死にそうになったら、fMRIにいれてもらって、観察してもらおうかなあ。そうしたら、死の瞬間がMRI画像に取れそうじゃない?
あ、無理か。ただの電気信号が止まるだけだから、MRI画像はあまり意味がないかー???
残念!!


以上、今までの私の考察です。

参考

宗教を熱心に信じてる人の脳はちょっと違うらしいが、もともとまじめな人だからそうかっていうのもあるかも? という話がある。
別のニュースに、どっか宗教ごとに分厚くなるのが違った気がする。エビデンスを探しているが、よくわからない。仏教とキリスト教で違うっていう話があった。無信教の人は何も変化がないという話だったかなー。



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