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プレ皇室研究: 漢鏡

日本で出土している鏡は、朝鮮半島の鏡のほうが古いのだが、デザインのかっこよさや枚数は、完全に漢鏡(前漢と後漢)が圧倒的である。

「また、漢王朝が朝貢国への返礼として周辺国へ贈与したと考えられる漢鏡が、日本列島・朝鮮半島・ベトナム・中央アジアなど東アジアの広い範囲から出土する[7]。これは漢王朝の交流範囲を示すとされる[11][注釈 3]。日本列島には主に朝鮮半島の楽浪郡を窓口として漢鏡がもたらされたと考えられ[6]、弥生時代を中心に古墳時代初頭ごろまでの遺跡から出土する。その多くは有力者の副葬品だが、集落遺跡や祭祀遺跡からも出土し[12]、威信財あるいは呪具として用いられたと考えられている[13]。」
そういえば、北部九州では、楽浪郡の土器も出土している。

そういえば、Wikipediaにこの地図があるのだ。
漢鏡はデザインで7期に分けられるのであるが、下図は4,5,6期。
赤いほうが数が多い。九州があきらかに多いが、5期は奈良県も多い。


Wikiより引用

「前述のように弥生時代中期後半に漢鏡の副葬が行われたが、その後、一時的にこうした副葬は減少する。辻田はこれを、1世紀前半に大陸が混乱した影響で、漢鏡の流入量が減少したものと推測している。再び漢鏡の副葬が行われるのは弥生時代後期前半でも中頃に近いころである。この時期に出土するのは漢鏡5期が主体であることから、1世紀後半から2世紀にかけた期間とみられている[144]。」


それで次が7期なのだ。これもWikiより引用する。


Wikiより引用


この7期の2は奈良県が一番赤い。

「古墳時代初頭になると、漢鏡の分布の中心が北部九州から近畿に移動する[182]。減っていた出土数も回復し、破砕鏡や破鏡などの風習も見られなくなる[183]。また、漢鏡は古墳時代初期にもみられるが、これに続く三国鏡は弥生時代の遺跡からは殆ど出土しておらず、古墳時代の開始年代を考える指標の一つになると考えられている[29]。」

「漢鏡7期第1段階には減っていた出土数も回復する。その分布は北部九州から瀬戸内・山陰を経て近畿まで帯状に広がり関東までみられるが、その中心は北部九州にはなく、北部九州を含めた西日本地域に均等に分散している。さらに漢鏡7期第2段階には、その中心が近畿に移動する[183][184]。その変化は劇的に進行したとされ、辻田はその年代の上限を3世紀第2四半期に絞れるとしている[182]。」
岡村は、漢鏡7期第1段階は各地の首長が独自に入手したが、漢鏡7期第2段階には近畿地方にヤマト王権が出現して各地に画文帯神獣鏡を配布が行われ、その時期を弥生時代終末期とした[128][185][186][187]。また福永伸哉は、第1期・第2期共に近畿中央政権が入手し、大型の画文帯神獣鏡を高く格付けしつつ配布したとする[187]。一方で辻田は岡村説を遡上の論理と批判。2000年代の鉄器類の研究から近畿地方に政治的中心性が現れるのは古墳時代中期と見なされるようになっているとしたうえで、弥生時代末期に少数の画文帯神獣鏡が北部九州に流入して破鏡にされ、近畿地方から分配された画文帯神獣鏡が完形鏡である点から、近畿へ流入時期を古墳時代初頭以降と推測している[128][186][187]。」


これ、7期はおそらく神武天皇とその息子、孫くらいの時代だと思うのだ。
(私の仮説 神武天皇の橿原宮の即位は、181年と推定。)

弥生時代の終わりから、古墳時代頭に切り替わる時期なのだ。
前方後円墳が始まる時期ともかぶっているので、ちょうどいい時代だ。

7期の3が減っているのは、これはもう国産のほうが当たり前になってきたので、いちいち輸入しないのだ。だから、「漢鏡」が減るのは当然でよいのだ。

ついでに、上の5期については、奈良県が赤いのは、おそらく1世紀くらいで、ニギハヤヒが畿内にいて、こっちも鏡を配布していたのかなと思われる。

山口や広島あたりの薄いピンクは、たぶんもう畿内や九州に頼らず、独自で朝鮮半島 楽浪郡に買い付けにいっていたのだろうと予想する。

もちろん、作った時期と出土した遺跡の時期がずれることはある。だって、たとえば、爺さんの宝物をずっと持っていて、孫の墓に納めて、それが出土することもあるってことだ。

というわけで、私の推定年代はまああっていそうだ。

しかし、一方、鏡の数を7期あたりとすると、邪馬台国なら、赤くなるはずなのだが、近畿が赤い。しかし、奈良県は邪馬台国ではないので、九州のどこかか、四国、ぎりぎり広島あたりで考えているが、どれも鏡の数は足りないのだった。
たぶん、四国の古墳が戦国時代に破壊されて、きっと鏡があっても盗掘されて、売られて分散したのだ。だから、特定の地域が奈良県以外に赤くならないのは、そういうことかなあと思う。四国でなくても、古墳破壊されて、卑弥呼の鏡は、きっとどっかにいってしまったのだ。
(どこかの金持ちの家に、骨董品とかで隠して保管されてるのかも???)

県別の弥生時代鏡出土数グラフとか、ないのかなあ・・・。
それも最近のやつで、種類の明細がわかってるのとか。


追記
こういう研究がありました。
まあ、ちょっと鏡の種類がせばまっているのですが・・。



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