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古代研究 餅の起源は?

私は昔、歴史漫画を描いていたので(実際に何本か雑誌にのせてもらった。1本は、小野小町のだ。なので平安時代は何本も描いた)、「大鏡」「源氏物語」とか有名な平安物語はだいたい読んだのだが、結婚式のシーンで、三日夜餅(みかよのもちい)というのが出てくる。
それまでこっそり男が姫君のところに通っていたのであるが、正式の結婚になると、女性側の家のかまどの火を通したものを食べるが、その中でも特別なのが、お餅だ。小さい団子みたいなサイズで、噛まないで飲み込むマナーだったらしいが、初夜でお婿さんが死なないのかと心配になる(苦笑)。
たしか、「落窪物語」にも出てくる。男性のほうが、初婚なので結婚式のお餅の食べ方を知らないので、姫君と侍女がほっとするシーンがある(他に妻がいないって意味)。なかなか、演出が細かい。素晴らしい。


でも、それ以前はいつからお餅を食べていたんだろうと思ったら、一応、縄文時代には食べられたのではないかとあった。
なぜかというと、ねばりやすい米と蒸し器と、杵と臼が必要だからだ。
糯米じゃない、うるち米だと、五平餅のつぶつぶ米が残っているのみたいで、今のお餅みたいに伸びない。蒸し器がなかったら、ただの炊飯になってしまう。これを姫飯(ひめいい)といったが。
日本の土器には、ちゃんと蒸し器になっているものがあるそうなので、「蒸し器」は合格である。
(まあ、平安時代は強飯(こわいい)で、蒸した米であって、炊いたのはさっきいった姫飯だ。別々である。)

石臼とか、石のこね棒などは、縄文時代でも弥生時代でもどこかの遺跡から出土していたので、蒸した米(赤米だともちもち感があるらしい)で、いまみたいなお餅は作れるだろう。

ちょうど銅鐸の模様に、臼で何かついている絵があるので、引用する。杵は今の杵と形が違いますが、こういうデザインの杵もありました。なんか、昔話の絵で見た気がするー。


銅鐸文様より引用



考古学の分野では、間壁葭子が古墳時代後半(6世紀頃)の土器の状況からこの頃に蒸し器の製作が社会的に普及したと判断し、日常的に蒸す調理による食品の種類が増し、米を蒸す事も多くなり、特に餅を作る事も多くなったと考えている[16]。ただし、蒸し器の普及には地域差が見られ、佐原眞の『食の考古学』(1996年)によれば、6世紀時点の西日本では土器の状況から蒸す調理より煮炊き中心で、蒸す食物(餅も含む)はハレの時に用いられたとし、むしろ東日本の方が蒸す調理用土器が普及していたとしている[17]。

日本における餅に関する記述として、『豊後国風土記』(8世紀前半)には次のような内容の話が語られている。富者が余った米で餅を作り、その餅を弓矢の的として用いて、米を粗末に扱った。的となった餅は白鳥(白色の鳥全般の意)となり飛び去り、その後、富者の田畑は荒廃し、家は没落したとされる。この記述は、白鳥信仰と稲作信仰の密接な繋がりを示す証拠として語られ続けている。また、この記述自体が古来から日本で白鳥を穀物の精霊として見る信仰があった事を物語っている[18]。」

ああ、これ、読んだ読んだ。つまり文献上は、これが一番古そうだ。

糯米も、必要だ。ジャポニカ米にもあるが、なんとインディカ米にも一応、糯米っぽいのはあるらしい。
ただ、古代のはいわゆる古代米で、赤米や黒米で、縄文人が食べていたのは、赤いお餅ってことだ。


「漢字の「糯」「餅」はどちらも訓読みでは「もち」であるが、本来「餅」はモチ性の穀粒などを蒸した上で搗くなどして作られた食物を指すのに対し[5]、「糯」は作物の品種を指す[1][6]。「糯」の一字でもち米を意味することもある[7]。近年は「餅米」と表記されることもある。」
「主に日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、タイ王国、ラオス、インドネシア、インド、ベトナム、ミャンマーなどで栽培されている。タイのイーサーン地方やラオスでは主食とされ、ラオスではコメの生産量割合の85%を占める。地域によってはハレの食材とされる。日本などではジャポニカ種(短粒種)のもち米が栽培されるのに対し、東南アジアではインディカ種(長粒種)のもち米が多く栽培される。また、果皮の黒い黒米のもち米もある。」

それで、あれ? 中国はどうしていたんだろう? そういえば、月餅とかって、あれ、糯米じゃないじゃん? 小麦粉ですよね。
それは、「練り餅」というらしく、日本の普通の「搗き餅とは別種類なのであった。

「餅は中国、朝鮮、東南アジアなどに多くの種類がある。古くは主に小麦を粉にして平たく固めてから加熱した粉食のことを指していたが、米、大麦、粟、トウモロコシなど他の食材を用いた粉食のことをも含めるようになった。中華料理由来の月餅や饅頭は、小麦粉から作った「餅」が発達・改良されてきたものであり、「麺」もその派生であるといわれている。日本においても、台湾料理の「大根餅」(米粉などの澱粉質の粉を配合するが米を使用しないものもある)や和菓子の「そば餅」、北海道の「いも餅」「カボチャ餅」など米を主原料としないものを「餅」と呼んでいる例がある。

ここでいう練り餅は、主にもち米を粉にしてから湯を加えて練る方法で作るものを指し、餅=搗き餅とする日本では一般に団子と呼ばれる。しかし中国文化の影響があり、また気候や流通の関係でもち米の入手が困難であった沖縄県のみは例外的に餅=練り餅で、日本本土のような搗き餅の文化は一切存在しない。

練り餅の例としては、沖縄のカーサムーチーやウチャヌク、フチャギ、ナントゥーなど各種の餅類、日本の羽二重餅や乳団子などの求肥餅や白玉やちまき(菓子)、中国の水磨年糕(シュイモーニエンガオ shuǐmó niángāo)(zh)、韓国のトック(떡)などが挙げられる。」


「鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。鏡はこの世とあの世の境界と捉えていた。昔の鏡は青銅製の丸形である銅鏡で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。また、三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉に見立てた物が橙(ダイダイ)、天叢雲剣に見立てた物が串柿であるとされる。」
鏡はわかるけど、あの串にさした柿って天叢雲剣だったのかー?(実家の関西ではあれはない。蜜柑はのせるけど。)



こっちのほうがわかりやすいwww
うちは、関西なので、丸もちです。でも関東に来たら、切り餅ばっかり売っていたので、へー、関東関西で違うだーって思った。

というわけで、中国はどっちかというと、小麦粉を練ったのが、お餅なので、日本でいう「練り餅」文化だった。餅の漢字を使っていても、小麦粉を練って焼いたりするほう。葱油餅はおいしい。


しかし、北方で寒い韓国も、中国に似た「練り餅」文化だ。


例のトック うるち米のお餅なんだろうと思ったら、糯米の餅もあった。
しかし、なんというか、韓国の餅はうさんくさいのだ。
韓国で餅つきしてるんだけど、日本と違う。

https://www.youtube.com/watch?v=W6sgZL02QLY

まあ、例のなんちゃって茶道と似たうさんくささを感じる・・・。
象印の魔法瓶w そして自分で飲む!!(客には出さない!)



要は、杵がただの木のハンマーで(「シティハンター」で香ちゃんが獠をぶんなぐるやつw)で、臼がなく、ただの木の板。効率悪い、まずそう。米粒 つぶれてなくて、舌触り悪そう。
(たぶん、韓国人は臼を発明できず、後から日本を真似したんだろう。だいたい、大八車も水車も発明できなかったのだ。水車を真似したくでも、できなかったらしい。朝鮮通信使は、あれもこれもやたらと悔しがっている。)


だいたい、材料からして、古代のあんな寒い地域で、うるち米とか、赤米を栽培できたとは思いにくい。

一番古い稲作の時期、これだし。育成気温考えたら、朝鮮半島の稲作は、関東の紀元前2世紀より後でないと、稲が枯れるだろ。寒いから、オンドルが流行するんだし。平野がないじゃん。棚田ばかりだと、農耕はまじにきつい。

Googl Mapより筆者作成

まとめ

日本のお餅は、神道、宗教と関係がある。稲作文化であり、神様に供えるからだ。
弥生時代くらいには、もう蒸した米で餅は作れたようだ。早ければ、縄文時代の末ぐらいからあったのかもしれない。
鏡餅は、特に神聖で八咫鏡由来だった。丸くて、ぴかぴかできれいで神様に供えるもの。
神聖な食べ物なので、お祭りとか結婚式のときに食べてきた。
杵と臼で糯米を蒸して、搗いてお餅を作る。餅=搗き餅 の文化。(練り餅もある。)

中国は、「餅」といっても、小麦粉や雑穀の粉を練った餅のほうがメジャーそう。(米粉のお菓子はある。)「練り餅」文化。

韓国も、中国に同じ。「練り餅」文化。寒いので、中国よりももっと古代には米はとれにくい(品種改良前だし)。餅つきは、臼の発明がなくて、ただの板の上で叩いてるだけ。「ついて」はいない。ただ、つぶしているだけ。


NetFlix 入ってないから、見れない(苦笑) →有料のはYoutubeくらいなので、後でいいから、Youtubeで有料配信してくれないかなあ。


何年か前に、三島由紀夫脚本の「癩王のテラス」で王様役やってたけど、演技うまい。演出も面白いので、よかった。かっこいい肉体美の俳優しかやってはいけない役なの。(病気でだめになっていくのだ。)


AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!