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徐福伝説を調べてみた

なんか、調べるまでもなく、この人のがなんとなくまとまっているきがするwww


らくちん。

https://nihonkodaishi.net/info-research/pdf/kaimei/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%A8%E3%81%AE%E4%BA%A4%E6%B5%81-%E5%BE%90%E7%A6%8F%E8%AB%96.pdf

どう見ても、詐欺師www

「出航地については、紀元前219年の第1回出航は河北省秦皇島市、第2回の紀元前210年の出航では浙江省寧波市慈渓市[注 3]が有力とされる。しかし、すべては淮南衡山列伝を基づいた推測である。淮南衡山列伝は秦の始皇帝を騙した詐欺師の話で昔の中国人によく知られている伝説であった。昔の中国人は徐福がどこに逃げたか全く知らなかったが、台湾か日本に辿り着いたのではないかと推測した。そして、徐福が日本にたどり着いたという話が創作されるようになった。

また虚構だよ。これじゃあ、日本人が嘘つきみたいじゃないか。

「昔の中国人も徐福がどこに逃げたかはっきりしていなかったが、徐福が日本に逃げ出したと推測を記録しており、これが日本に伝わって多くの伝承が創作された。しかし、学者たちは徐福の到来は根拠がなく、虚構であって徐福は実際には日本に渡来していないという。この虚構の伝承は中国と日本に拡散し、徐福が天皇の先祖で大和政権を建設したとか徐福が秦氏の先祖であるという虚構の伝承が作られるようになった[5][6]。」

もはや、どこも観光ネタであるwwww どこも金もうけ好きだな(苦笑)

「1982年、中国において『中華人民共和国地名辞典』編纂の際の調査中、江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある徐阜という村が清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており、徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明した[15]。ただし、1980年代になるまでは、現地の旧家では「明代になって先祖がこの地に移住した」との伝承がなされていたことと、徐福の実在性自体が疑わしいことから、日本からの観光客を狙った村おこしではないかとの指摘がなされている[3]。実際に徐阜村には日本人観光客が多く訪れ、名物「徐福茶」も好評だという。」

まあ、紀元前255年じゃあ、こりゃわからん。
きっと中国でも行方不明で、追跡はできなかったんだろう。
それに詐欺師が元の国に戻るはずないし、日本といっても言葉が通じない土地に来たいかっていうと?だし、いっそのこと、東南アジアみたいに温かいところにいったのでは? それに東南アジアなら、珍しい木の実とかいっぱいあるしねー。
ごまかすために行く土地としては、もっと温かい土地のほうがいいよ。

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