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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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2023年11月の記事一覧

生物学的知識がないとアホになる一例

この人、ビジネス啓もう書では有名な人気の方なのですが、ジャンル違いのことを言い出すとアホ丸出しになります。 (まあ、なので私はよく知らないスポーツネタは書きません。野球選手も有名監督しか知らんです。ルールもよく知りません。一番スポーツ人口が多い野球でさえ知らんので(苦笑)、サッカーやバスケなど、他のスポーツはネタにもしません。唯一知っているのは、ダンス系だけでして、社交ダンスとアイススケートはちょっとわかります。) 「気弱な私のハートにグサッとくる言葉でいえば「韓国人は日本

韓国のおかしさは、いつから始まったか? 両班 やばい。

世界一腐った貴族制度とまあ、いわれる韓国の両班ですが、明治時代くらいのイザベラ・バードの旅行記とか、他の外国人の旅行記とかでも、「だめだめだ」と言われています。 DNAのハプログループを知った、中途半端な知識の人は、「わー、日本人の先祖が中国人のDNAだなんて」とか「わー、やだ、日本人の先祖が朝鮮人のDNAだなんて」と嫌悪感を出します。 中国の漢族はまあ、まんまですが、朝鮮半島については、古代については中国人にほとんど支配されていたので、古代の朝鮮族が今と同じというのは、ち

小説家で平安時代を書きたい人は、これを買え! 「小右記」の全巻

これはすごいです。 まさかの、「小右記」の全巻現代語訳です。 素晴らしい。 出版界の偉業すぎる・・・。吉川弘文館さん。すごい。 性格すねてて、ちょっと斜め目線の右大臣の日記ですwww 「祖父・実頼の養子となり、非常に愛されて家領の多くを相続し、小野宮流を継承した。 小野宮流は藤原北家嫡流でありながら、分派であるはずの九条流に摂関家の主導権を奪われたが、九条流に対して記録資料の面で優れ、故実に通じる家として著名であり、実資は膨大な記録資料を実頼より継承したといわれる。また

これ、買いたい!!  吉川弘文館 歴史手帳2024年版

うぉーーー、これ、企画の勝利!! ほしいほしいほしい!!!!! 買う買う買う!!!!

プレ皇室研究: 鹿児島県の古墳 +ついでに大山祇命

しつこく、プレ皇室研究です。 南九州は皇室の故郷ではないことを確認するために、南さつま市の古墳について、適当に有名らしいものから調べていきます。 ちなみに「プレ皇室」の時代は、紀元前200年から紀元200年までの約400年です。10年20年前にいったり、後ろにいったりは誤差なのでOKです。なので、紀元前3世紀後半ならOKです。紀元200年も250年くらいまでならOKです。なぜなら、神武天皇の後継の代理王とかがいても問題ないからです。九州北部なら、伊都国王になります。でも、南九

やっぱり、秦氏はユダヤ人とは関係なかった。ぷ。

さて、先日来、古代人DNAを調べておりますが、1つの伝説で、「秦氏は日本に来たけど、彼らは実はユダヤ人だった(いわゆる失われたイスラエル 十支族)」という話があります。 この理由は、1つは、秦氏って秦の始皇帝の子孫で、その始皇帝がけっこう北部から来ていて、西洋人的要素があったという話があるのと、景教というキリスト教がローマあたりでは「邪教扱い」になって、逃げてきたという話です。始皇帝は「目が青いのではないか、それくらい白人の混血じゃないか」という話があります。まあ、失われた

いやまあ、縄文人は頭がいい。「縄文人は骨格を理解」

だって、日本人の先祖だから。 だいたい、こんな極東の島に、アフリカからやってきた古代人のうち、あの海を越えられるのは、一定の頭の良さが必要です。 また、頭がよくても、たとえば今のDQN君たちみたいに丸木舟の上で、おちゃらけしていたら、死にます(苦笑)。 なので、そういう丸木舟の中でも、ルールを守って静かに、そしてまじめでひたすら船を漕げる人でないとだめなのです。 「新潟県村上市にある約4000年前の縄文時代後期の集落跡「上野(かみの)遺跡」で、焼けた人骨を意図的に並べて埋

プレ皇室研究: 神武天皇の活動

この人が旅行して、神武天皇関係の神社や遺跡などを回ります。 これが1つ面白かったです。 「⑯高祖神社(飯塚市高田)――もと高田神宮皇祖廟 ○高祖神社社伝 「天皇は高田に進み、八田彦の伴った田中熊別に迎えられ、根智山の打猿を討伐するため、高田の丘から田中熊別と椎根津彦に命令を下された。この地に神武天皇と玉依姫を祭ったのが高祖神社である」 ○高田神宮皇祖廟社伝 「玉依姫尊と神武天皇を祭る、大山祇命の裔の田中熊別が天皇を出迎えた」 「熊別は椎根津彦とともに賊を平定する決意を述べ

プレ皇室研究: 玉依姫関連追加

玉依姫が、宝満山に関係があるとあったので、調べました。 「宝満山(ほうまんざん)(標高829.6m)は福岡県筑紫野市と太宰府市にまたがる山であり、別名を御笠山(みかさやま)、竈門山(かまどやま)とも言う。」 「竈門神社(かまどじんじゃ)は、福岡県太宰府市にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。別称を「宝満宮」「竈門宮」とも[1]。」 伝)天武天皇2年(673年) とあるので、これはいうほど新しくはない。 けれども、673年時点で玉依

プレ皇室研究: 猿田彦命はC1a1系だった。

子孫がいて、DNA分析するとC系だって。 「猿田彦命(Sarutahiko-no-mikoto)のY染色体は、ハプログループC1a1(C-M8)である(注1)。猿田彦命は、椿大神宮(三重県鈴鹿市)にも祀られている古代人である。」 「Y染色体ハプログループC1a1系統 【日本固有種・縄文系】 浅瀬の海で漁撈生活をしていた海洋民族で、約4万2,000年前の旧石器時代に、東南アジアからスンダランドを北上して、無人の日本列島に初めてやって来た人々であると考えられている。のちにやっ

古代歴史的人物のDNA

へー、ほんとうに秦氏って秦の始皇帝の子孫でも、問題はないんだ。DNAパターンいっしょやん。といってもまあ、同じ国内だしなあ。 「」で引用します。 O系 中国系が多い。 「徐福 中国 秦代の方術士・徐福のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される(注1)。これは、江蘇省の徐氏 男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。」 「秦始皇帝 秦始皇帝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される 秦河勝 聖

プレ皇室研究: 南さつまの ニニギの宮 宮の山遺跡

やっぱり、いまひとつなんだよなあ・・・。 これ、ただの縄文人が巨石文化を祭った場所なだけじゃん? 古墳かなと思ったが、「宮跡」想定で、ぜんぜん宮跡ではなさそう。 うーんうーん・・・普通の縄文人? またあとで調べます。

プレ皇室研究: また面白い神社、みつけたよおーw 志登神社

だめだ。福岡県沼から抜けられないですwww 豊玉姫神社が糸島にあるーーーー!!(ちなみに、実家らしい対馬にも神社がある。素晴らしく美しい。) では、リンクと引用します。「」は引用です。 まあ、927年っていうだけだと古くはないが。 「延長5年(927)にまとめられた『延喜式神名帳』に十九式内社の一社でとして糸島で唯一記載せられた式内小社です。」 「御祭神は海神である大綿津見神の娘、豊玉姫命です。龍宮で身籠った豊玉姫命が彦火々出見命(山幸彦)を慕って陸に上がったのが当地と

プレ皇室研究: 笠沙の地名について

しつこく調べていたら、面白いことをいわれている人がいたので、ご紹介します。 高祖山が、高千穂 なので、古代語で読み名が違っているから、もう1文字同じだけでも、一応候補にしないとだめかもです。 「 天孫降臨地を確認するとき、わたしは高祖山の北の山裾にある大塚古墳付近に「笠掛池」と「笠掛」の地名を見つけ、古事記の「笠沙」とは、この「笠掛」でないかと思った。  しかし、古田先生は天孫降臨時の古事記の「笠沙」を御笠郡とし、日本書紀の「笠狭の岬」を御笠川の博多湾河口付近に推定されてお