皀莢の貧しき日ざし返しけり 海津篤子

「椋」2022年2月号より。

2019年の初冬に名栗の山で皀莢を見た。その日初めてお会いした冬芽さんがほらほら皀莢がこんなに、と指さすので車道に目をやってみるとからからと実のない皀莢がたくさん落ちている。風に吹かれて音をたてていた。

あれは貧しさだと思う。掲句で貧しいのは〈日ざし〉なんだけれど、赤子のお尻拭きシートに「お尻成分」があるように感じてしまうのと同じで、〈日ざし〉を返す〈皀莢〉にも「貧しさ成分」があるように思う。俳句にはこうして、語彙の成分が肩を並べた語彙にもあると錯覚してしまうことが起こる。単純に言えばイメージの近い語彙同士ってことなんだけれど、成分と考えてみてもいいじゃないか。

「お尻成分」とか「貧しさ成分」ってなんのこっちゃ。という読者はこちらのTweetを読んでみてください。 

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