武蔵野をきのふ歩みし風鶴忌 石田郷子

「椋」2022年2月号より。

今和次郎『考現学入門』(筑摩書房、1987)を読んだら、井の頭公園がかつて自殺の名所であったことを知った。今の吉祥寺はずいぶん新しくて賑やかな町になったけれど、このへんには暗い影もあったのだな。そういえば太宰治が死んだのもこのへんだったな。波郷は自殺ではなく病死だったけれど、死の匂いは共通する。

これらのことをふまえると、現代のわたしたちが思う武蔵野(市って考えちゃうよね)と昔の武蔵野のイメージに大きな隔たりがあるらしい。国木田独歩『武蔵野』が後世の人々の武蔵野像を形成していることは東京に来てから知った。もう武蔵野は存在しない土地なのかもしれない。

掲句は土地と故人を結びつけた、オーソドックスな忌日俳句ととれる。しかし〈きのふ〉が過去を意味する語彙の敷衍なのだとしたら、武蔵野を歩いているのはひょっとしたら波郷かもしれない。

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