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ボクよりマシだと良いね?

あなたには親がいる。いない。どっち?

たいてい人はちゃんと両親が揃っているでしょう。複雑な関係があるのかも知れないし、仲のいい親子なのかも知れない。もしくは、うわべだけなのかも知れない。義両親の場合は気を使うのかも知れないですね。

幸せも色々とあるでしょう。でも、時には不安や不満に悩み、他人を見て羨むこともあると思います。それが良いとか悪いと言う話ではなく自分の心が折れそうだと思うとき、このnoteを読んでもらえればな。と思います。上には上がいるけど、下には下がいるんです。

今では「幸せ」だと感じるし、愛妻家とほこりを持って言えます。ですが、人生の半分以上はずっと不幸な環境にいました。今でも多少の不安が残っていますが・・・

ボクにも親はいます。まず、本当の父親はどこの誰なのかも分からない。そして、弟は種違い。その他人と半他人+母親とは何十年と会っていません。うん。生きてるのか死んでるのかも分からない状態なんですね。

そして、ボクはバツイチです。以前の結婚でもかなり苦労をしました。若かった。そんな部分もありますが、何と言うか1人だけ家族じゃない。そんな感じをずっと抱えてました。家族と呼べるのは息子だけ。でも、半分は他人なんですよね。もう、この頃も精神状態が良くなかった(笑)


今から思うと、幼少期のトラウマがヘビーで、きっとPTSDだったのでしょう。そして、うつ病とも診断されました。この年になってもまだ、苦しめられるのか!それがボクの本音です。

最下層とまではいきませんが、かなり苦しめられた人生。これを読むあなたが「こいつよりはマシ」と思ってもらえれば良い。マシだと思えるだけでかなり心の負担が減ると思うんですよね。

ただ、実名は出さないとは言えかなりディープな部分までお話します。それであなたが少しでも楽になれれば元は取れるでしょう。そして、ボク以上に不幸な人であればnoteに書いて販売すると良いと思います。

はじまりの虐待

物心がついたとき、父親はなく祖父母と母親と暮らしていました。思えばこの3歳のときが1番幸せだったのです。その翌年には母親が再婚、ここが地獄への入り口でした。

このあたりは記憶もおぼろげなんですが、いつの間にか新しい他人である父親と3人で暮らしていました。1年ほどは特にイヤな記憶もなかったと思います。そして、父親が豹変するのです。そう、弟が出来たから。当然ですよね。他人の子供より我が子の方がカワイイに決まってます。

怒られることは激増しましたが、褒められることや何かを買ってもらうことが格段に減りました。ろくに会話もしていなかったと記憶しています。

でも、まだ虐待は・・・ありました。過剰な折檻ですね。ボクは元々レフティなんですが、矯正からはじまりました。「箸の持ち方が違う!」「味噌汁を左に置くな!」「最後の一粒まで箸で取れ!」などなど。顔や手が真赤に膨れ上がるほど殴られました。あっ!殴るってグーパンですよ?(笑)

平手打ちみたいなやさしい暴力じゃありません。なので、血が流れることなんてザラですし、青タンになったり内出血したりしてました。なので、毎日が修羅場なんです。

そして、好き嫌いもNG。ばあちゃん子だったので、好きなモノしか食べてこなかったボクにはキツい以外のなにものでもない。もちろん、残そうもんなら、数日間はご飯を食べさせてくれません。バツとして遊びに行くのも禁止になります。


そんな中、本格的な虐待がはじまります。

そう、弟がハイハイをするようになったんです。


赤ちゃんなんで、なんでも触るし壊します。自分の大切なモノは手の届かない場所に置いていましたが、弟が欲しがると父親は渡します。ボクが泣いて懇願してもお構いなしです。さらに言うと、弟が壊したモノがあればボクが殴られます

弟が生まれたタイミングで引っ越しをしていました。古いアパートから市営住宅へ引っ越したのです。ここには倉庫がありました。地下にある倉庫です。暗くてジトッとしていてカビ臭い。そんな倉庫です。

そして、その地域は寒く窓は2重窓なんですよね。窓の間にジュースを入れていたら「キンッキンに冷えてやがる!」な寒さ・・・

感の良いあなたなら分かりますよね?


その通り!
地下室には何度となく放置されました。数日間です。飲み食いなんて出来ません。汚したら(当然汚れるけど)自分で掃除させられます。血の繋がりもないので拉致監禁と同じですよ。ホント。

2月の寒い中、パンツ1枚で木にくくりつけられて朝まで放置されることもありました。当時、ボクは喘息だったのでそのまま病院へ直行します。これも何度も味わいました。

当時、昭和って時代は虐待も教育と言えば誰も何も言わない時代でした。近所の噂では両親揃っておかしいと言われていましたが(笑)警察がきても何事もなかったかのように帰っていくぐらいですから。ちなみに、この時から警察=無能という認識になりました。

こんなこともありました。子供って虫が好きですよね?昔はセミを取ったりガブと虫やクワガタ虫も取りに行ってました。でも・・・ある日をさかいに虫全般が嫌いになったのです。


ゴキブリを潰したその手で、そのまま手についているゴキブリをボクの口元へ楽しそうに押し付けてきたんです。その後の意識はありませんでした。あったのかも知れませんが、あの楽しそうにしている顔だけが頭にこびりついてどうしようもなかったんです。

精神的にも肉体的にもかなりのダメージです。こんな生活は7年近く続きました。でも、これだけではありません。金銭的にもかなりダメージを受けました。

祖父に買ってもらったTV、親戚にもらったラジカセ、ちょっと高級な超合金ロボなどお金になるモノはすべて売られていました。もちろん、お年玉なんて格好の餌食です。それだけでもかなりのダメージですが、500円札がもう発行されなくなったとき、連番で10枚揃えたんですね。祖父が価値が上がる!と話していたのを盗み聞きしたんです。

一生懸命お金をためて銀行に行って新札で揃えました。どれぐらいの価値になるのかな?ひょっとして1万円ぐらいになるのかな?など子供心にワクワクしていました。大切に辞書に挟んでいたんです。

数日後、見事になくなっていました。もちろん、お金にガメつい父親です。ボクが言うことは絶対にありません。なのにどうして分かった?どうやって気づいた?本当に不思議です。お金の匂いでも嗅ぎ分けれるのでしょうか。もう、色々とどうでもよくなりました。そんな小学生の考え・・・


いっそのこと殺してやろう。そう思いました。失敗したら死ぬだけだ。と。


不思議ですよね?なんで実行しようとすると目を覚ますのか。結局、返り討ちにあいハデにボコボコにされました。全治3ヶ月でした。

しかし、父親のガメつさに引っ掛かりを感じたかもしれません。ご察しの通り借金まみれだった。それだけです。あとになって聞いたのですが、祖母は結婚前に探偵を雇って身辺調査をしていたらしいんですね。そのときすでに借金まみれだったようです。それでも母親は結婚を押し切ったようです。

超がつくほどアホですよね(笑)

母親編

さて、これだけハデに虐待されているのに母親はどうしているのか?あなたも不思議に思ったでしょう。結論から言えば「口を出せば自分が殴られる」ので何も言わない。これだけです。この時点で母親としては失格ですよね。

しかし、流石にと言うか母親からは殴られることはありませんでした。今更ですよね。もう殴る場所がないぐらいに顔も身体もボロボロなんですから。


でもね、殴るだけが虐待じゃないんですよ。ボクは子供のころからある程度は料理が出来ました。見様見真似もありましたが、叔母に教えてもらっていたからです。なぜ、料理をするようになったのか?

これは年とともに両親ともにいない日が多くなっていったからなんです。父親は遊んでたのかも知れません。ギャンブルとかなんかな?母親きっと浮気です。弟を連れて行っているときもありました。でも、ボクは1度も連れて行かれたことはありませんでした。

必然、1人で夜を過ごす日が増えました。冷蔵庫を漁り、自分でご飯を用意して食べる。やりっぱなしだとまた殴られるので、急いで食べて片付けをして布団にもぐる。

なので、家族で食事するという記憶があんまりないんですよね。さっきも書いたように右手に矯正されてる記憶とかしか出てこない。きっと、何度も一緒に食事はしているとは思うんですが、全く記憶にないんですよ。知らず知らずに記憶のフタをしているんでしょうね。

そして、浮気の疑惑は確信に変わるときがきます。
が、それはもう少し先の話で。


母親の家庭は割りと裕福な方でした。祖父母は政略結婚でしたし、曾祖母もお金の価値観がおかしい人でした。はじめて祖母に連れて行ってもらったのは5歳のときだったと思います。それまで、曾祖母が生きてることも知りませんでしたからね。

余談ですが、100歳ぐらいまで生きていたそうです。

赤ちゃんのときに会っていたそうですが、それ以外でははじめましてです。曾祖母は嬉しそうにお小遣いをあげる。と。財布から出てきた金額はなんと!10万円・・・こんな小さい子どもに!と祖母が言うと「足らんか?」と言いさらに札束が出てきました。

唖然としていると、祖母が1万円だけ抜き取りボクに渡しました。「小さいからこれで十分」と言わんばかりにです。普通は1万円でもおかしいですよね。でも、ボクが祖父母の家に行ったときは1万円がデフォルトでした。ええ。すべて巻き上げられてましたが(笑)

こんなバグりかたをしている環境で育っているにも関わらず、アホな母親は逆にバグってる借金男と結婚する。自分に被害がない限り(いや。あってもか?)旦那には逆らわない。子どもは放置する。浮気上等!とばかりに・・・「育て方を間違えた」と祖母が涙していましたからね。


はじめての夜逃げ

ボクは夜中に起きるのが嫌いでした。なぜかと言うと、父親に見つかると殴られるからです。夜中にトイレに起きただけなのに「いつまで起きている」と殴られるなんて理不尽です。


でも、その日は起こされたんですね。目を開けると知らないオジさんの顔・・・反射的に逃げました。オジさんが諭していると母親が来て連れていかれました。何時だったのか?眠たい目をこすりながら車に乗り込みましたがいつの間にか眠っていたようです。

綿密に・・・?予め色々と計画していたのでしょう。目が覚めると知らない部屋にしらないオジさんやオバさんが数名いて何やら話し合っていました。そして、軟禁状態がはじまりました。

学校へは行かなくていい。外出するときは誰かと一緒に。母親は忙しいのでほとんどいない。しかし、アホと言うのはどこまでいってもアホなので逃げた先の距離はたかだか30km
これでは見つけてくれと言っているのと同じです。

そして、ボクたち兄弟の奪い合いがはじまりました。と言ってもボクはオマケと言うかどうでも良い存在だったでしょう。父親には弟だけが自分の子どもですからね。ボクがいたって邪魔なだけでしょう。

お互い自分の知り合いの家にボクたちを匿っていました。目が覚めるたびに違う場所・・・もう、ボクだけほっといてくれれば良かったのに。

ただ、その数ヶ月は殴られることはありませんでした。それだけが救い🎶

裁判でもしていたのでしょう。一応、決着となりました。新しい?オンボロアパート暮らしです。母親と弟の3人です。しかし、手続き上の問題もあったのでしょう。さらに数ヶ月は学校へは行けませんでした。


またかよw

離婚でゴタゴタしている中、祖父母は引っ越しをしました。離婚と再婚を繰り返す母親のことが近所で評判になり恥ずかしいから。と言う理由です。被害はボクたち子どもだけでなく、祖父母にも及んでいたんですね。

こうなると色んな問題が出てきます。母親は末っ子なんですが、上の2人の姉妹は激おこです。(古っ💦)また、結婚をするなら付き合いはしない!縁を切る!!うん。普通はこうなりますよね。仕方がない。

いやw仕方なくない!!ボクは巻き添えをくらってるだけなのに。

しかし、これは決定事項で覆ることはありません。この時、6年生になる時でした。


はい!よくあるパターンですよー!!「今日からこの人がお父さん」

もちろん、ボクは猛反対しましたし祖父母にも訴えかけました。でも、すべては無意味・・・所詮子どもの言うことですから、却下されておしまいです。「また養子か」とボクがつぶやくと、母親はビックリしていましたが「今度は息子として籍を入れる」と。

ここで矛盾していることがあるんですよ。「この人が本当のお父さんで血が繋がっている」って言うんですよね?でも、「今度は息子として籍を入れる」おかしいですよね?(笑)はい。そうです。ここでも母親のアホさ加減が露呈されることになるのです。当然、New父親も理解している訳もなく


今回のことで、さらに精神的ダメージを受けたので感情がおかしくなりました。常にイライラしてムカつくんです。以前はビクビクしながら顔色をうかがっていると言う状態でした。どちらかと言うと内に内にこもると言うか。

ボクがイライラする理由もいくつかはあったんですよね。「お父さんと呼ばないとお小遣いをあげない」とか「お父さんの好きなメニュー(ボクが嫌いで食べないメニュー)」を平気で出してくる。とか、2人して「仕事だから今日の夜は帰ってこない」などなど。まともな大人がする行為ではありません。(少なくともボクはそう感じていました)

そして、ボクがグレるのに時間は必要ありませんでした。


中学生になり、成長期と言うこともあり身体も出来てきました。なので、反抗することも増えたんですね。結局、お前もか!反抗すると殴られるようになりました。色んな記憶がフラッシュバックされた瞬間でしたね。

話し合いもしたんですよ?でもね、おまぃらはちっちゃい子供か!?と言うようなありさま。それからはことあるごとにケンカを売りました。いくら成長しているとは言え、肉体労働している脳筋には中々勝てません。ようやく勝てたのは中3の夏でした。


怒りをぶつける

ボクにしたら、何が気に食わないって他人をお父さんと呼べと言うことと、母親の責任を放棄して女であることを優先したこと。なので、母親はもちろん、New父親もOld父親もボクの中では攻撃の対象でしかない。と言うこと

ただ、Old父親は探すのも苦労するし面倒くさいのでまとめて現時点の戸籍上の両親を完膚なきまで叩きのめすことが重要になったんですよ。


そのキッカケは晩ごはんです。単純でしょ?(笑)

いつも、嫌いな料理のときは外食してたんですね。外食と言っても中学生だからあんまりお金もないので、カップラーメンか100円のハンバーガー。その日のメニューは酢豚でした。ボクは酢豚が大嫌いで、他に何かないのか聞いたんですが何もない。と言われて出ていこうとしました。

すると「嫌いやったら食うな!お前に食わす飯はない!!」と・・・ほぅ~何かが壊れる音がしました。頭の中で。ブチギレたボクは星一徹?のちゃぶ台がえしよろしく!と酢豚を父親にかかるように🎶

しかーーーし!そのままだと反撃にあいますよね?なので、そのまま顔面に向かって飛び蹴り。弟が逃げ出してるあいだに何発がパンチを入れる。母親が包丁を持ち出し、刺そうとしてくるのでフルパワーの右ストレートを入れる。後ろは父親が起き上がろうとする気配がする。振り向きざまに髪の毛を掴み膝蹴りをくらわす。

また、母親が包丁を持って立とうとしているので腕に膝蹴りを入れて骨を折りました。ここで戦闘は終了・・・かと思いきや!?


父親が喚き叫びながら立ち上がろうとしている。「お前なんて俺の子と違う」うんうん。別に良いよ。それで。

ただ、他人と認めたのなら、まだ立ち向かってくると言うなら完膚なきまで叩きのめす。ボクは隠し持っていた鉄パイプ(Mini)を取り出し、何度も何度も殴りました。疲れ果てて一服をしているとパトカーのサイレンが聞こえる。あ”ーめんどくせーwこのまま素直に捕まるのなら逃げよう。


再び

まー、こんなことがあったので両親も大人しくはなりました。この時のボクは罪悪感すらありません。自分のリベンジを自分でしただけなのですから。なんか、自由になった気がしたなー。

それからも家には帰ったり帰らなかったりと言う状態でした。11月の末ごろだったかなー?ドアを開けるともぬけの殻(笑)色々聞いて回ると「夜中にゴソゴソしてて眠れなかった」と近所住民の声。あー、夜逃げ。ね。そして、ボクは義務教育中にはれて自由となりました。


とは言えね、まだまだ未成年ですよ。祖父母とかにも確認しますよね。「関東にいるらしいけど、住所は知らない」さらに、「こちらからは連絡もとれない」と。はいはい。表向きは知らんってことで通すんでしょうね。この時のボクはスレっスレで、笑顔と言うものを忘れていました。

ここで、救いだったのがバブル時代だったということ。仕事をするにも部屋がなくてはなりません。なので、住み込みが出来る仕事を探しました。当然、肉体労働しかチョイスできませんが(笑)


ここまでのまとめ

小学生のころ、夏休みは冬休みといった大型連休が好きでした。それは、親戚の家に行けるからねんですね。その間だけは虐待されない。恒例になっているから、親戚の家に行く前は虐待が少ない。これが嬉しかった。

でも、いつもいつもそうとは限りませんでした・・・


大型連休に行ける親戚の家は2つ。母親の姉妹の家です。ですが、父親に殺意を向けたときは例外が発生したんですよね。父親の姉の家に行かされたんですよ。でも、ある意味期待はしていました。父親の虐待はないのだから!

浅はかでした・・・


その時は、弟も一緒でした。それ以外のときはボクだけなのでおかしいな?とは思ってたんですね。叔父にあたる人は良い人で優しかったと記憶しています。が!なんですが!叔母はもう最悪としか言いようがない。叔父がいないと鬼になるんです。

叔父がいないとご飯も出してくれない。そもそも召使いか!というぐらいコキ使われました。弟と出かけるから、やっておきなさい。と「部屋・風呂・トイレ掃除」に「洗濯物を入れてたたむ」これが日課でした。

晩御飯は叔父がいるので食べれます。弟は楽しそうにその日あった出来事を話すんですが、ボクに振られても困ります(笑)だって、苦笑いするしかないのだから。

そして、叔母は気に食わないとボクを殴ります。ん?ちょっ待てよ!?父親に比べたら全然平気じゃねーか!しかも叔父の目に触れないようにしているので、目立つところを殴れない。地獄には変わりないけど、最下層ではない!そう、ちょっとだけマシな夏休み。それ以降、叔父にも叔母にも会うことはありませんでした。


いとこ

少し年上のいとこがいます。唯一のいとこです。ここの叔父も叔母も好きだったので、いつも行くのを楽しみにしていました。でも、ある日・・・いとこは成績が優秀のようで、周りからも期待されていました。そのプレッシャーなのか、学校でイジメにでもあっているのか。ボクを殴るようになりました。

でも、所詮は子どもの力です。父親方の叔母同様にそれほど痛みはありません。ただ、年下だから殴る対象になったんでしょう。でもね、いくら痛みが少ないとはいえイヤなことに変わりはありません。離れにあるいとこの祖母のところに入り浸っていました。

離れにいたら殴られる心配はありませんからね。


しかし、ボクはどういう星の下に生まれてきたのでしょうか?これはいとこではありませんが、別の叔父の知り合い?の子どもにも殴られました。でも、これも大人じゃないので平気。そして、その日だけなので問題ありません。ただ、どこへ行ってもこんなことが起こる。何なんでしょうね(笑)


チョイスが出来ない人生

確かに、ボクがグレたせいで人生を壊した部分もあります。それは認めます。ですが、所詮は他人の子どもです。扱いが雑どころの話ではすみません。見て見ぬふりをする母親は浮気をし、借金まみれの父親は自分の気分次第でボクを殴る。

夜逃げをしたと思えば浮気相手と結婚する母親。自分の屁理屈で抑え込もうとする父親。ボクの訴えに答えてくれない祖父母に親戚。ひと目を盗んでボクを殴る叔母やいとこ。

義務教育中に夜逃げをする家族・・・

ドンドンドンドン視界が狭くなっている感じです。これを受け止めて生きていくしかない。新しい家族とともに、幸せになりたい。そう思って結婚したのが間違いでした。

そして、離婚をキッカケに身内すべてに裏切られていたことを知ります。でもそれは、もう少し先の話・・・


当時、夢がありました。大学に行って弁護士になることでした。それは、ボクみたいな境遇の人がいたら少しでも助けたい。そんな気持ちでした。漠然とした夢でしたし、本当にそんなことが出来るのかも不明でしたけどね(笑)


10年後

心を許せる親友がいました。仕事は違うけど、ともに頑張り、ともに笑いすべてが最高の時間でした。ただ、彼は亡くなりました。事故です。ここからまた、笑うことを失いました。


親友を失い、結構絶望的な生活をしていました。仕事はしていましたけどね。ただ、死んだ魚のような目をしていたと思います。特に希望もなかったんですよ。何も面白くない人生で酒をあおり、意味なく消化している。他の友だちとも遊ぶことはありましたが、本当に面白いと思ったことはなかったですね。

で、まー。前妻と出会って結婚するんですが、早すぎたのもあったのでしょう。2年と持たずに離婚です(笑)どっちにも言い分はあるんですけど。早めに離婚して良かったと思っています。


マウンティングがエグいw

ここまで読んでくれたあなたなら分かるように、ボクには親がいない状態です。なので、結婚式も出来ません。何かをするにもボクの親からの援助というものは一切ありませんし、保証人も無理です。当然、親戚もダメ。

そんな状態なので、結局マウントを取られるんですよ。ことあるごとに「あんたの親は~」って、何もしてくれないことを盾にしてマウントしてくる。反抗しようとも思いましたが、諦めた方が楽だと思いましたね。特に息子が生まれてからは、関わらないようにしていました。


だいたい、月の半分ぐらいは実家に帰ろうとする嫁。そうなってくるとどうでもいいですよね(笑)それに、家にいたらいたで浮気をしてた。結婚する前から浮気をするだろうとも思っていましたし、離婚するとも思っていたので
なんの疑いもありませんでした。なので、結婚届と離婚届は一緒にもらってました。

強いて言えば、借金だけはどうにかして欲しかった。というのが本音です。ある日、請求書がきてたんですが100万円近くする商品だったんですよ。ビックリしますよね。

商品が分からないので、クレジット会社に電話しましたが商品までは分からないと言われるし。なので、払わなかったんですよ。そしたら義父のところに連絡がいったみたいで、義母からものすごい剣幕で電話がありました。いやいやw借金したのはあなたの娘ですよ!って言うと・・・



借りた名義はあんたでしょ!あんたが払うのが当然。と。えっ?(笑)どういう理屈なの???娘にも欲しいモノはある!と言い張る。とりあえず、何を買ったのかも分からないし電話を変われってなりますよね?確認して折り返す。ですって。

折返しの電話で分かったのは「矯正下着」だったってことです。ボクは男なんで、矯正下着がどういったモノかも分かりませんでした。(今は分かる)ただ、買ってしまったモノは仕方がないので支払うとして、他にないかを確認しました。再三確認をして、それだけだと言うので矯正下着については支払いました。

ホント、散々ですよw


でね、こんなことがあったらカードを取り上げるじゃないですか?じゃー、どうやって作ったのか分からないカードが出てきたんですよ。それも数枚。で、ほとんと満額を使っている。MAX300万円ぐらいありました。

で、色々と端折りますが離婚の運びとなりますよね?車も売って、売れるモノは全部売って息子のために!とお金を渡したのに、そんなしっぺ返しです。さらに!さらにですよ!最後の最後ギリギリで100万つまんでいきやがったw合計400万円となったことを知ったのは数カ月後でした。


さて、完全にフリーになったボクは地元に帰りました。といっても実家もなく住む家すらありません。ただ、仕事はなんとかありつけるだろうと思ったからなんです。

ひとまず、知り合いを頼り仕事を探しました。そして、日雇いとしてバイトをする日々。仕事が終わったらスロットを打ってさらに稼ぐ。そうしないと借金が返せなかったんですよね。幸い、ボクはスロットの引きが強く90%以上の確率で勝っていたので助かりました。

連帯保証人になっちゃダメとはよく聞きますが、こんな浪費&浮気をする嫁とは一緒になったらダメです(笑)せめて自分の名義にしろ!!


で、養育費も払うんですがちょっと割高にしたんですね。相手が結婚したら終わりと言う約束で。それとは別に内緒で教育費を貯めてました。最終的には300万円ぐらいになってました。

そして、ここから悲劇が訪れます。


当時、今の嫁さんと付き合ってたんですが、相手が結婚しないことには・・・ねぇ?ヒル以上に吸い付いて離れないような家族がいたんじゃおちおち結婚も出来ません。

予想通り、前妻は再婚をしました。うん。これで良かった。ホッとした。と思っていたのもつかの間!半年後には教育費300万円を含むお金をすべて持ち逃げされたみたいなんです。もちろん、信用なんかしていません。これまでのことを考えると当然ですよね。


ただ、面倒くさいしうっとおしいので実家へ帰るように説得しました。義母、何て言ったと思います??


「あんたらやり直したらどう」


イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ
無理でしょw


あなたたち、今までボクにどんな仕打ちしてきたと思ってんすかw何やかんやで1,000万円近くドブに捨ててんすよw息子には申し訳ないけど、男やし大丈夫!と言うことで、そんな理不尽な話は却下ですよ!却下 !!


じゃー・・・2回も離婚する娘を出戻りで家に入れる訳にはいかないので部屋を探して借りてあげなさい。はいーーーー?なぜボクが?しかもなんでそんなマウント??

ホント、言葉がでなかった。ボクはそっとスマホの電源を落としましたよ。


しばらく放置してたんですね。息子は可哀想ですが、前妻やその両親は他人な上にヒドいことされてますからね。おまけに、浮気のことも黙ってあげてるんですよ。本当ならボクが親権をとって慰謝料もらいたいぐらいです。


まだ、続きがあるんですよ。

前妻の引っ越しと、自分の息子の引っ越しをタダでしてくれ。と。
100歩譲って、仮に100歩譲ったとしてよ?息子のためなら何とか出来てもあなたのご子息は他人ですからー!ざんねーん

ようやく落ち着きましたよ。ええ。ええ。ええ。そして、ボクも結婚しました。これで幸せになれる!


数年後・・・


元義父からの電話
「借金で首が回らんから金を用意してくれ!」

・・・
・・・・・
・・・・・・・

息子の名前出したらホイホイお金を出すと思っているのでしょうか。ボクはあなたたちにビタ一文、ムダ毛の1本もくれてやるつもりはない。もし、それでもお金を要求するのなら息子の親権をよこせ。と。だいたい、くれって何?(笑)

親権を持ち出したことで、これ以降一切電話をしてこなくなりました。本当に完結です。スゴい欲深いファミリーでしたねー。

しかもこの方々、どこかの組織の大幹部様らしいんですよ。その組織って大丈夫なの?


まとめ

ボクが正しい訳でもありませんし、最下層だとも思っていません。ボク以上に苦しい人も沢山いるとは思います。特に世界的に見ると全然です。ですが、親ガチャに失敗して人生の半分以上を不幸とともに過ごしてきたのは事実です。

はっきり言って、こんなことなら最初からいない方がマシだと思います。中途半端に親のフリをされる方が苦しい。親であることより女を優先するなら産まないで欲しい。結婚の口実にボクを作り、短期間で離婚するなら道具と同じじゃないですか。

今は恨みもない。と言えばウソになる部分もあります。特に感謝もしていません。ただ、親子名義の借金とかはやめてくれ!と言う気持ちでいっぱいです。もっと言うと、生きているなら早く旅立って欲しい。


こちらから歩み寄ろうともしたんですよ。息子を連れて行き、孫なら見たくなるんじゃないか?と思ったんですが「お前の子どもなんて見たくない」とあしらわれ、一目でもと親戚の家に連れていけば衝撃の事実を伝えられたですよね。


ありもしない話が蔓延してたんです。やってもいないことをやったと言われ、殺されると思ったとか言われててw親戚一同は言いくるめられ、ボクだけが悪者でした。で、何や、こっちから連絡も取れるんやwと。このときはホント、何もかもがどうでもよくて、息子だけが支えでした。前妻への不安はあるものの、男の子だったのも救いです。

家族だから、ケンカをすることもあると思います。DVがあるかも知れません。離婚を考えてる人もいると思います。でも、子どものことをちゃんと考えているなら正しい選択が出来るハズです。そして、出来るなら子どもに恨まれるようなことはしない方がいいですよ。と。

まだまだ、書けますがボクの人生はこんな感じです。

あー、こんな人生じゃなくて良かった!と思っていただければ幸いです🎶
色んな人生があり、色んな状況があると思います。良い時もあれば悪い時もあります。こんなボクでも今は幸せの絶頂にいます。本当に幸せです。苦労があったからこそ手に入った幸せだとも思っています。

上には上がいるし、下には下がいるんです。
そして、誰もが幸せになれるんだと強く信じます。

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