ベルーナドームの一塁側内野指定席で「宮島さんの神主がおみくじ引いて申すには」を叫ぶ
他人に厳しいか甘いかはどうでもいいが、自分にはとことん甘い。
全てエモーショナル。ロジカルシンキングどころか、数字を見ると頭痛がする文系の私が、おそらくは普通の人ならば半日程度で終わるようなことを、数週間頭痛を覚えながら数字の集計をし、破れかぶれそのタスクが完了すれば、己への盛大なるご褒美をしなければと考えるのは、甚だ自明である。
私は数字の集計の渦中に妻に言った。
「こんなにがんばっているのだから、俺は自分にご褒美をしなければ、潰れてしまう。死の一歩手前だ。というわけで、来週プロ野球を見に行かなければならない。」
「はあ…。」
このように妻の全面的承認を受け、私はベルーナドームで行われるセパ交流戦西武ライオンズ対広島東洋カープの一塁側内野指定席のチケットを購入した。
今晩はパーリナイ。
されど、同じ埼玉とはいえ在宅勤務ののちに家族の冷たい視線を浴びながら出かけるよりも、朝に出かけた方が視線はいささか柔らかであるので、出社した。
出社途上の地下鉄の中。空いた席を見つけて座ると斜め向こうには四半世紀弱前の妻の佇まいの女子大生が座り、「おっ」と思う。四半世紀弱前の女子大生にそっくりとなると随分古風な人だなと思いながらも、忘れていた少しばかりの青を感じる。
少し厄介な会議が終わり、夜の散財に備えてワンコイン以下のランチ、つまりカップラーメン(日清カップヌードル)をすすり、午後はコカ・コーラを持った私の醜態を見た古衰くんの「やっば」から発生した闊達なコミュニケーションをして、会社の求める「出社によって発生する社員間の闊達な対話によって生まれるイノベーション」を鮮やかにこなす。十六時二十一分に退勤の打刻をした。
十六時五十五分に池袋に着き、西武線改札内のキオスクで缶のスパークリングワインを買い、特急ラビューに乗る。十七時八分発生。臨時特急で西武球場前駅への直通である。
フルフレックス勤務だからこそ実現できた、西所沢乗り換え無しの快適な移動だ。
フルフレックス勤務制度が導入されたキッカケとなったコロナ禍は悪いことだったが、全否定されるものでもないと改めて思う。
西武ドーム。今の名前はベルーナドーム。西武球場前駅の文字通り駅前にある球場。バックスクリーン裏の一番低いところに入り口があり、丘陵を掘って作った球場の上辺に通路があり、バックネット裏に向かう一塁側、三塁側へはひたすらの坂道。何‰あるのかは分からないが、登山である。
地元球団の埼玉西武ライオンズ側の三塁側ではなく、一塁側の坂道を登る。
私は小学生の頃からの広島カープファンである(十年ほど福岡ダイエーホークスに浮気したが)。
埼玉県東南部出身として、例えば西武ではなく、東武ライオンズとして春日部あたりに球場があれば地元球団として愛着が出るものの、西武戦沿線はあまりに遠く、地元感はライオンズからは全く感じない。
広島は何百キロも離れているではないか。私の名前は「ひろ」が入っており、つまり「ひろ」しまカープは私の身体の一部であり、応援するしかないのである。
ベルーナドームでは必ずそばを食べる。数年に一回しか来ないがルーティンである。
売店で蕎麦を買い、上辺の通路から急な階段を降り、中段あたりの内野指定席に座る。
ビールの売り子にアイコンタクトする。中年の男が若い女性にアイコンタクトをして唯一許容される場面である。
「ビール一杯。現金しか使えないですか?」
「そうなんですよ。もうキャッシュレス使えなくて恥ずかしてー、前の巨人戦の時もー」
と一方的に話す売り子とのコミュニケーションより、いま注がれたばかりの生ビールを欲する。
球場相手に乾杯して、ごくごく喉を鳴らして飲めば、これぞ日本の夏なのだ、まだ六月だか。
九百五十円のコスパの悪い冷やしかき揚げそばをすすり、ビールを飲み干したのは一回の裏。
二回表にカープの菊池選手の先制ソロホームランが飛び出すと、早くも酔っ払った勢いで私は歌う。
「宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには、今日もカープは勝ち、勝ち、勝っち、勝ち!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
そして、席を立ち、次の飲み物と食べ物を買いに行く。目指すは三塁側にあるイングリッシュパブチェーンのHUBである。
なぜならば一ヶ月前にHUBに行った際に店員に乗せられて有料の会員カードを作ってしまったからであり、十パーセントオフのクーポンも持っているからである。
夕陽が差して、オレンジ色に球場内を染める。ドームとはいえ、ベルーナドームは壁がないのだ。
オレンジ色の空を眺めながら急坂を下り、今度はヒーヒーと三塁側の急坂を登る。
少し並び、HUBの店員に意気揚々とクーポンを提示する。
「ここでは使えないんですよー。ごめんなさーい。普通の店で使ってくださいねー。」
クーポンが使えなくても、もう引けない。
ハイネケンとHUBグレープフルーツというカクテル、ソーセージ盛り合わせを買う。
これで九回まで持たすつもりである。
三塁側の急坂を転げ落ち、ヒーヒーと一塁側の急坂を登り、自席に戻る。
投手戦である。
セリーグ最多勝争いをするカープ先発の床田投手は今日も安定したピッチングで私の期待に応える。
西武ロン毛部の一人、ライオンズ先発の今井投手も先制ホームラン以外は要所を抑えるもの、そのロン毛はキャップから溢れてワイルドに暴れるわけではなく、私の期待に応えていなかった。
七回表。
「カープ、カープ、カープ、広島、広島カープ!」とそれ行けカープを歌えば、私の歌声に応えて松山選手が犠牲フライを放ち追加点。
「宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには、今日もカープは勝ち、勝ち、勝っち、勝ち!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」と大きな声で歌う。
チーム一のベテラン選手とはいえ、私とは八歳も歳下である。重鎮感とベテランとしての信頼は実年齢は無関係なのだと、己のことを恥ずかしく思うと、とっくにハイネケンもHUBグレープフルーツも飲み干しており、ソーセージ盛り合わせも食べ尽くしている。
地元埼玉を味わなければならない。
旧階段を登り、売店で冷やし狭山茶漬けを買う。店員は冷蔵庫からラベルの付いていないペットボトルに入った冷たい緑茶をドボドボと器に注ぐ。それは本当に狭山茶なのか。信じよう。ちなみに八百円くらいしてコスパは悪いが、コスパなんて無粋だ。
売り子からハイボールを買い、残り二回、集中して試合を見る。
九回裏ツーアウトランナー二塁。ライオンズ一打同点の場面で源田選手が打席に立った。
元同僚に狭山出身の西武ファンの工藤さんという方がいて、私を「その玄人好みな感じがまるで源田みたいだ」と評したことがあった。それ以来、気になる選手である。
西武は泥沼のシーズンを送っており、勝率が三割少しとぶっち切りの最下位を独走しており、今日負けるとシーズン二度目の八連敗である。
広島が負けるのはたまったものではないが、キャプテンの源田選手の心中を慮れば、なんとか失点せずとも西武にとってのチャンスが広がればと思う。
結果、ファーストゴロで試合終了。一塁ベースへヘッドスライディングした源田選手はそのまま突っ伏して動かなくなった。
少しもらい泣きしそうになる。氷が溶けて薄くなったハイボールを一気飲みする。
そして、三度歌う。
「宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには、今日もカープは勝ち、勝ち、勝っち、勝ち!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
あゝ楽しかったなあ。
ただ、これから帰らなければならず、同じ埼玉といえ、何度も乗り換えを強いられる帰り道。
最悪のケースでは、西武狭山線に乗った二駅の西所沢で乗り換えて、下手に急行なんて来た日には一つ隣の所沢で普通か準急に乗り換え、次の秋津で降りる。武蔵野線の新秋津駅は直結しておらず、商店街を五分ちょっと歩かねばならず、西武ドームを出てからここまで四十分くらい掛かる。それから武蔵野線に乗り…。
あゝしんど。
明日からの仕事もそんなに愉快ではなく、甚だしんどいのだが、とりあえずは「宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには、今日もカープは勝ち、勝ち、勝っち、勝ち!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」と口ずさむ。今日のナイターは楽しかったので、良いのである。
サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。