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Binowa Cafeのハナシ

今回は2016年7月に営業を開始したBinowa Cafeについて書こうと思います。飲食の世界に足を踏み入れた頃の話、郷土菓子に興味を持ち始めた話、海外での体験談など沢山ネタはあるのですが、これまでも結構メディアでご紹介いただいている内容でもありましたので、少し飛ばしてBinowa Cafeのお話を。その昔の話はまたの機会に書きたいと思います。スターウォーズ的な感覚でお楽しみください。

Binowa Cafeは2016年7月8日に神宮前にオープンしました。自転車旅から帰国して半年ほど経った頃のお話です。そんな非日常が数年続いていた最中、とある方から「神宮前でお店をやらないか?」というお話を頂きました。神宮前というと渋谷と原宿のど真ん中、そんな素晴らしいリッチでお店をできるなんて、これは夢か現実か。そんなふわふわした状況の中、二つ返事で「やります!」とお答えしました。記憶もうっすらしてきましたが、確か環七を自転車で走っている時に電話で話しました。無駄な情報すみません。

このカフェのプロジェクトは実は"Binowa"という長崎のびわ茶メーカーと郷土菓子研究社のコラボ、という形で始まりました。オープン当初からご来店頂いていたお客様にとっては懐かしいと思います。美味しいびわ茶を提供していましたね。その後、オープンして1年余りでびわ茶の"Binowa"は清算されて、名前とお店のロゴマークのびわだけが残り、独り歩きするようになったんですよね。そんな裏話がありました。
オープン時は、初めて持つお店でしたので、すべてが手探りです。保健所の営業許可や食品衛生責任者の講習、オーブンや冷蔵庫などの機材の買い付け、内装工事、レジなど営業の準備、オープン前の告知、メニューの準備・・・タスクだらけでしたが色々な人の手助けによってなんとか開店日を迎えることができました。周りの人がいなかったらフリーズしてしまうレベルでした。
そんな中、出張イベントで地方へ行ったり、お菓子教室したり、場所借りてカフェ営業したり、もう記憶が無いです。(笑)

ピカピカの機材が運ばれてきました
小さい厨房ながらワクワクです

ロゴもパキッと綺麗
いよいよですね

プレオープンの日はツイートも無く、写真も残ってない、それくらいバタバタでした。人が溢れるほどお越しいただいた記憶があります。うっすら。
グランドオープン後、数カ月間はこれまでの旅を応援してくれていた方が遊びに来てくれました。そのまま順調に行くかと思いきや、お店は少しずつ落ち着き、気が付くと集客には悩まされる日々が始まります。お店をするのも簡単じゃないですね。神宮前という立地でしたが、一見さんにとって、ビルの二階というのは結界が張られているらしく、なかなか足を踏み入れてもらえませんでした。オープン当時は黒板も無く、店感の薄さも原因の一つだったと思います。
新商品を頑張っても売上げは伸びず、作っても余らせてしまう。カヌレも当時から販売していましたが、「1日10個限定!」と掲げていながら実は6個しか焼いていませんでした。それすらも余らせてロスになります。泣。そして営業中にも関わらず、テラスから下を眺めたりしていました。お客さんが来ることを願って・・・。

オープン当時の限定メニュー
最初は月替わり3種でメニュー替えていました

暇すぎて営業前にワインを飲む二人
(桜が見えます🌸とか言ってる場合じゃない)

どうにかお金をかき集めてお給料や家賃を振り込む、そんなギリギリアウトな日々がしばらく続きました。順調に見えていたかもしれませんが、裏では心配や励ましの声を頂きながら、首の皮一枚残した状態で存命していました。黒字化したのはオープンから2年程経った頃でした。
オフィスビルの2階でやっていたので、エントランスに大きな黒板を取り付け、通りがかりの人とコミュニケーションを試みたり、人通りの多い明治通りに看板を設置したり、営業時間を変更してみたり、メニューを絞ったり、物販したり、ディスプレイ変えたり、色々と試行錯誤しました。Black Beansさん(同ビル3階のデザイン会社)にはお菓子の撮影から様々なデザイン関係のクリエイティブ、お店の看板やフラッグなども手伝っていただきました。Binowa Cafeのポスターのクオリティの高さはお客様も気になっていたはず!実は、あのハイクオリティなプロモーションの裏側にはBBさんのサポートがありました。この場をお借りして、改めて心の底から感謝申し上げます。

これをエントランスに置いている時代もありました

大きな黒板を付けた日です
一気にお店らしくなりましたね
最後の日までBinowa Cafeを支えてくれました

BBさんに大大大感謝

Binowa Gardenを彩ってみたり

Binowa Liveを開催してみたり

林記念館なるコーナーを作ってみたり

世界の雑貨屋に協力してもらったり

展覧会のスペースとして使ってもらったり

RINの春佳さんに月替わりのお花で彩ってもらったり

試行錯誤の連続です

お店も少し安定し始めた頃、ようやく海外を旅することができました。お店は従業員二名体制になり、自分が抜けても回るかな?と不安半分期待半分の中、郷土菓子研究社として挑戦の旅でもありました。
お店をオープンしてからは一度も海外へ行くことができず、お店を持つと本当に動けなくなるなあと身に染みていました。たった10日程度の旅でしたが海外へ行けたことは自分にとって一つ壁を越えることができた、良い体験となりました。行き先をミャンマーに決めたのはANAのマイルが使えて、直行便でサクッと行けるところ、実はそれくらいの理由でした。郷土菓子はどこの国に行っても大体収穫がありますからね。自分の行きたい場所先行ではなく、お店が問題無く回るかが最優先でした。すべてが無事に終わった頃にはスタッフの頼もしさや、自分がスタッフに頼れることも分かり、短い期間でしたが皆がひとつ成長できた旅でもありました。

Binowaオープン後、初めての旅はミャンマー

改めて見ると持って帰りすぎ

帰国後は写真展なんかもやっていました

次の年は、テレビの取材も含めてイギリスに二週間旅をしました。その頃はスタッフは一名でしたが、彼女のパワーに頼って、今度は一人営業してもらいました。とにかく無事を祈って、何かあれば最悪お店閉めてもいいから!というの感じでしたが、2週間を一人でやり切ってくれました。頭が上がりません!
その翌年は6大陸旅することを目標に一年を過ごしました。二カ月に一回のペースで二週間ずつです。お店でも旅先からのお土産をバラまいたりしていましたね。その年は最後にプラスαで社員旅行にも行き、合計7回海外へ行くことができました。コロナになる直前で、滑り込み旅行ができて本当に運がよかったです。
この頃は常連のお客様も付き(これもスタッフの功績です!)、メディアの影響もあったりで、終電コース、タクシーコースが当たり前の毎日でした。表には出ていませんでしたが当時のパートナーが映像関係の方で、YouTubeに挑戦してみたり、メルマガやSNS、事務仕事のサポートもしてくれていました。自分の勝手でお別れすることになりましたが、その頃はそんな三人体制で頑張っていました。そして、BBさんにもデザイン等協力してもらって、忙しすぎて常連のお客様にもご迷惑をおかけするようなことがあったかもしれませんが、皆々様のサポートの元、お店を続けることができました。

出発前の定例ミッケラーミーティング
一人営業メチャクチャ頑張ってくれました

いつまでも色褪せない
海外でしかできない体験があります

胃は必死

カヌレ型も少しずつ増えて
今では100個以上になりました

死んだ目をしていたのかもしれません(謝罪)

ハヤシの横で司会してくださっている方も
メルマガやマネージメントで大変お世話になりました
大大大感謝です

YouTubeはやってみたものの、個人的には苦手でして
テレビもラジオもYouTubeも自分の出てるのは恥ずかしくて見れません・・
気分で非公開にするかもなので、よければ今のうちに・・☝

順風満帆のように見えたかもしれませんが、ずっとこのままではいけない、と考えていました。19歳の頃に郷土菓子研究社を立ち上げて今の今まで「何かやらないと、何か・・」とふらふらしながら、常に現状には満足できず。もはや欲の亡者、飽き性の化身。止まったら死んでしまうマグロのような人間です。強欲マグロ男とは私のことです。
唐突ですが、19歳の頃から年収2000万円を目指していました。お菓子屋で目指すにはハードルの高い目標ですが、常にその数字になるにはどの規模にならないといけないのか、考えていました。それは一人になった今も変わらずです。(未だ達成できる気配はありません。)
郷土菓子研究社を立ち上げた二十歳前後の頃、2000万円の利益を出すには500円のお菓子を一日150個売れば達成できる。これいけんじゃね?みたいな考えをよくしていました(そんな甘い世界はありません。苦笑)
その目標を現実的に考えると店舗を増やし、人員を増やすしかないんですよね(店舗を増やせば達成できるのか、というのも微妙な考えなのですが・・・)。
すみません、話戻しますね。そんなこんなで2021年からは新体制で、店舗拡大計画&スタッフ増員して心機一転で郷土菓子研究社を始めることになりました。

JOURNEYチームと

Binowaチームと

二店舗合わせて、最大で7人体制でした。この辺りからは自分が率先して作るというよりも作り方を伝えて作ってもらうような立場でいました。商品開発に関してもできるだけサポートするくらいの立場でいたり、裏で仕組作りしたり。常連のお客様には周知の事実かと思いますが、その頃のBinowa Cafeは3名ほどの女性スタッフ達がメインで回すようになっていて、垢(おじさん感)が抜けて空気が華やかになっていたかもしれません(笑)
お店を任していた子たちは、新体制ながら積極的にドリンクを提案してくれたり、ルール作りをしてくれたり。またもスタッフたちに支えられてBinowa Cafeは存続していました。

月替わりumiのブレンドハーブティー始まりました

ハヤシの書いていた黒板もこの通り・・・

なんということでしょう
可愛らしいディスプレイに!

ハヤシの書いていた黒板もこの通り・・・

なんということでしょう
アーティスティック!

ハヤシの書いていた黒板もこの通り

なんということでしょう
アメージング!!
(皆、絵上手すぎ)

そして、来る2022年夏、Binowa Cafeの閉店を決断しました(突然すみません)。実はあの場所は別の会社の持ち物で、7年もの間、間借りで営業させてもらっていました。(間借りと言えないスペースでしたが・・)いつかはお隣さんが退去するだろう、という恐れはオープン当初からあったのですが、いよいよXデーがやってきました。
閉店を発表した時には沢山のお客様から手紙やメッセージを頂き、沢山の人にとって大事な場所になってたんだな、愛されていたんだな、と改めて考えさせられました。最後の最後まで大賑わいでカフェの幕を閉じることができました。すべてのお客さまに大大大感謝です。
個人的に無くなって悲しくなるカフェが特に無いので(すみません近所のカフェさん)、少なくともそんな存在になれていたんだなと、嬉しく思います。何度もしつこくてすみませんが、ありがとうございました。大大大感謝です。

スタッフの声やお客様の声を始め、色々な方の声を聞き、閉店するか、続けるか(契約は可能でした)を考えました。継続する仮説を何度立ててみても、どうしてもあの場所でカフェをやるには固定費が高すぎました。しぶしぶ、7年共にしたBinowa Cafeとは一旦お別れ、撤退することを決断しました。
数字的な問題は別として、スタッフのトラブルも絶えず抱えていたので、その問題から開放されたかった、というのも頭のどこかにあったのかもしれません。自分が作った組織でしたが、一年程で解散宣言することになりました。

ピノに癒されるくらいには疲弊していました(笑)

コロナ禍が影響して間借りできなくなった、という背景はあるのですが、もう少し間借り営業を継続できていればスタッフもさらに強化できて、また次の展開が見えていたはずです。そのはずでした。ただ、これは逃れようの無いもはや宿命的なお話なんですよね。きっと宿命に追いやられても、どう対処するかが経営者なんですよね。
寄り道多めな人生で、人から心配されることも多いですが、これまで後悔したことが無いような人間なので、その点ご安心ください。
強いて心残りを挙げるとすれば、最後の最後まで前を見てくれていたスタッフ達を強制的に解散させたことですね。想いを持って門を叩いてくれたのに、早々にこのような結末に巻き込ませてしまい、その点は申し訳なく思っています。自分の統率力の無さを痛感しましたし、自分にとって次への課題となりました。

終わりの話になるとどうしても暗くなってしまいますね。まあ、また機会があればカフェをやるかもしれませんし、あのような決断できたからこそ見える世界があるかもしれません。100回挑戦してダメでも101回目に成功できるかもしれない。それくらいの気持ちで挑戦し続けたいと思います。

ひとまず本日のBinowa Cafeのお話はこの辺りで。
また郷土菓子研究社の話はたまに書き残していきますね。
今回は7年の事を1日で思い出しながらまとめたので、書き漏れだらけだと思います。内容があり過ぎて、一つの記事にはまとまりません。(投げやり)
また思うことがあれば、改めて、追記編集しますね。

今後、Binowa Cafeのことについてまとめることは無いと思うので、良ければここにスキ・オススメ・思い出などコメント残してくださいね。
どうも、長々とお読みいただき、ありがとうございました。

2023.8.15
郷土菓子研究社

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