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【ネタバレ注意】NEEDY GIRL OVERDOSEの考察あれこれ

!!!!注意!!!!
この記事にはNEEDY GIRL OVERDOSEの全エンディング、および全エンド回収後についてのネタバレが含まれます。
全エンド回収後の閲覧を強く推奨します。

どうも、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬です。
先日、買ってしまいました。

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1万3800円の中古本を。
精神科医のR.D.レインによる詩集『好き?好き?大好き?(原題:Do You Love Me?)』です。これをご覧になっているプロのピであれば、タイトルを見てピンときた方も多いでしょう。後で詳しく触れますが、この詩集はNEEDY GIRL OVERDOSEの一部に深く関わってくるアイテムです。NEEDY GIRL OVERDOSEのシナリオライター、にゃるらさんのツイートやnoteを漁る中でこの詩集の存在を知り、「マジで欲し~~~~~~~~~」となったので大金をはたいて買ってしまいました。出品者様からのご厚意で丁寧なお手紙と入浴剤とカイロまでいただいて、とても嬉しかったです。僕の知り合いのピは声をかけてくれれば読ませてあげます。ただし少しでも1万3800円の元を取りたいので閲覧料200円徴収します。許して。

内容としては、大金をはたいてでも買う価値はあると感じるほど素晴らしいものでした。私は今まで詩集というものを全く買ったことも借りて読んだこともなかったのですが、今回この本を読んで初めて詩集の良さに触れることができた気がします。詳しい感想についてはまた別の記事で書こうかと思います。

さて、本題に入りましょう。この『好き?好き?大好き?』を読んで、私はNEEDY GIRL OVERDOSEを「反精神医学」という観点から分析できるのではないか?という考えに至りました。というわけで今回の記事のメインテーマはそれです。あとは細々とした気づきや考察や感想、それから以前実施したアンケートの結果の紹介などもしていきます。よろしくお願いします。


「反精神医学」という観点から考察するNEEDY GIRL OVERDOSE

一旦、先程触れた詩集の話に戻ります。
まずはこの詩集の著者、R.D.レインについてです。彼は1927年生まれ、1989年没のイギリスの精神科医です。彼は「反精神医学」運動を提唱したことで知られています。

レインは1950年代末から1960年代にかけて、統合失調症(旧名「精神分裂病」)の患者を入院治療によって隔離・回復させようという当時の主流の精神医学を批判し、むしろ地域に解放し、地域の側の認識を変容させることで治癒させることをめざす「反精神医学、anti-psychiatry」運動を提唱・展開した。

Wikipedia「ロナルド・D・レイン」

著書には『ひき裂かれた自己』、『狂気と家族』などがあります。また、先に取り上げたように『好き?好き?大好き?』などの詩集も出しています。

「レイン」という名前を見て既にお気づきの方も多いでしょう。R.D.レインはあめちゃんの本名、「雨(れいん)」の元ネタとなった人物です。(ちなみに、「serial experiments lain」の岩倉玲音の元ネタもこのR.D.レインだと言われています。)ゲーム中でも、あめちゃんのJINEで「わたしと同じ名前の人の本がすっごく素敵だった 特にその人の詩集が綺麗だったな」と語られています。

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そしてこの「詩集」とは、恐らく『好き?好き?大好き?』のことでしょう(レインは他にも『結ぼれ』という詩集を出しているのでそちらのことである可能性もありますが、後述の理由から、少なくともあめちゃんが『好き?好き?大好き?』を読んだことがあるのは間違いないと思われます)。『好き?好き?大好き?』は作中のいくつかの部分で登場します。まず、あめちゃんの病みJINE。

スクリーンショット (24) トリミング

これは、この詩集の最後に登場する代表的な詩「好き?好き?大好き?」からの引用になっています。この詩は、「彼」と「彼女」の対話という形式をとっています。

好き? 好き? 大好き?

彼女 好き? 好き? 大好き?
彼  うん 好き 好き 大好き
彼女 なによりもかによりも?
彼  うん なによりもかによりも

(中略)

彼女 誓ってくれる? けっしてわたしを置きざりにしないって
彼  いつまでだってけっしてきみを置きざりにしないって誓うよ、胸のうえに十字を切るよ、
   そして嘘をつくくらいなら死ねたらと思うよ
(無言)
彼女 ほんとうに 好き? 好き? 大好き?

R.D.レイン『好き?好き?大好き?』(みすず書房)

この詩の中で「彼女」は「彼」に対してただ問いかけるばかりで、「彼」から愛を伝えられても決して自分は「大好きだよ」とは言いません。「彼女」の自我の不安定さが非常に鋭く表現されている詩だと思います。あとがきで、訳者の村上光彦さんが「『Do you love me?』は『愛してる?』と訳してもよかったが、この対話を読むと『彼女』は幼稚症(ピュエリズム)風の気質の持ち主のようなので、あえて『好き?好き?大好き?』と訳した」というようなことをおっしゃっています。個人的にはこの訳は天才的だなと感じます。そして、あめちゃんという人物を表現するものとしても最適な詩でしょう。陰謀論Lv.5エンドの「Welcome To My Religion」や、ひみつのこと.txtではあめちゃんが描いたと思われる絵が登場しますが、それは「下手」というよりはあまりに「幼稚」と言った方が適格な絵であり、あめちゃんの精神的な未熟さがひしひしと伝わってきます。あめちゃんも、この詩の「彼女」のように幼稚症気質の持ち主なのでしょう。

また、フォロワー100万人以上かつ好感度とやみ度が高い状態でDAY30を迎えると到達するエンド「Do You Love Me?」も、この詩集(あるいは詩)からとられています。

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ちなみにエンディングのヒント文は「好き好き大好き」となっていますが、これは1998年のエロゲ「好き好き大好き!」や、戸川純さんの楽曲「好き好き大好き」にもかけているのだと思われます。戸川純さんの「好き好き大好き」は一度聴くとサビが頭から離れなくなるくらい強烈な曲なので、ピの皆さんにはぜひ一度聴いてみてほしいです。

また、R.D.レインの著書の一つ『ひき裂かれた自己』についても、ゲーム中で触れられています。通称「虹色ゲロエンド」として有名な「Internet Overdose」にて、「引き裂かれた自己」という一文が登場します。

さて、R.D.レインや『好き?好き?大好き?』とゲームの関わりについて紹介したところで、本題の本題、「NEEDY GIRL OVERDOSEの反精神医学的な側面」について書いていこうと思います。

先程も述べたように、R.D.レインは統合失調症患者を入院によって隔離・治療させようとする精神医学の動きに反対していました。『好き?好き?大好き?』の中には、精神科医とその患者による対話を表現したものと思われる詩がいくつかありますが、それらは精神科医の持つ患者に対する支配欲、あるいは傲慢さのようなものを露わにしています。特に印象的なのは「どうにもしかたがない」という詩です。これも、「彼」と「彼女」の対話形式です。

どうにもしかたがない

彼女 どうにもしかたがないのよ
彼  しかたがないって なにがさ?
彼女 こんななかに入りこんでしまうことがよ

(中略)

彼  ぼくがきみをたすけようとしているのが きみにはわからないのかね?
彼女 いいえ あなたがわたしをたすけようとしているのは わたしにだってわかるわ
彼  それならきみはなぜ ぼくにきみをたすけさせてくれないのかね?
彼女 たすけてくださいっておねがいしたことなんか一度だってなかったわ
彼  きみが自分ひとりではこんななかから出られないのが きみにはわからないのかね?
彼女 それこそわたしが言いかけていることなの
彼  それならきみはなぜ ぼくにきみをたすけさせたがらないのかね?
彼女 あなたのたすけは溺れる者にとっての塩水のようなものよ

(後略)

R.D.レイン『好き?好き?大好き?』(みすず書房)

「彼」は「彼女」をなんとか「たすけ」ようとしますが、それは余計に「彼女」を苦しめてしまっています。「あなたのたすけは溺れる者にとっての塩水のようなものよ」という一文がとても刺さりますね。訳者の方は「彼」と「彼女」を精神科医とその患者であると解釈しています。実際、R.D.レインの思想からしても、精神科医と患者の対話として書かれている可能性は高いといえるでしょう。
しかし、私はこの対話は恋人同士のものとしても解釈できるのではないかと思います。この詩集には、対話の中で相手を支配してやろうとする恋人同士の様子が描かれた詩が数多く含まれています。私は、この詩集には「『救済』や『愛』の本質は相手に対する支配欲だ」というメッセージが込められているのではないかと感じました。そしてこのメッセージは、精神科医と患者、恋人と恋人という二つの構図に共通して言えることなのです。

そして、このメッセージはNEEDY GIRL OVERDOSEの中にも見て取れるのではないでしょうか。これが今回私が一番言いたかったことです。

まず、プレイヤーはあめちゃんの「ピ」となってゲームを進めていきます。大前提として、多くのプレイヤーはこのゲームを「メンヘラ配信者育成ゲーム」として認識しています。ですから、多くのプレイヤーは「自分=ピ」と信じ、「あめちゃんには俺がいなきゃダメなんだ、あめちゃんの命運は俺が握っているんだ」と思うことでしょう。(シャニマスで「プレイヤー≠プロデューサー」という構図に慣れてしまった人はもしかしたら当てはまらないかもしれないですが、それは一旦置いておきましょう。)

しかし、いくつかのエンディングを解放していくうちに、この「プレイヤー=ピ」という構図は揺らぎを見せていきます。例えば、「Internet Overdose」エンドでは、あめちゃんだけではなくピの言動まで一緒におかしくなってしまいます。これは「あめちゃんから独立してあめちゃんに指示を与えるピ」であれば考えられないことです。また、「Do You Love Me?」エンドでは、超てんちゃんが突然「ピとのデート」と称して遊園地へ行き、多くの自撮り写真を投稿しますが、ピ本人が写っているものは一つもありません。それどころか、ピとキスしている写真ではピの姿が不自然に大量の絵文字で隠されています。極めつけは、それらのツイートのリプの一つに「現地にいるが超てんちゃん一人しかいない」というような内容のものがあることです。このエンドで「あれ?ピって本当に存在するの…?」という疑念が沸き上がった人も多いでしょう。更に「Rainbow Girl」エンドでは、超てんちゃんがヤクをキメまくったことで「こちら側」が視えるようになってしまい、ピではなく、パソコンの向こう側にいるプレイヤー本人に話しかけてきます。ここで「プレイヤー=ピ」という構図は決定的に打ち砕かれることになります。

そして、全てのエンディングを回収した後には、なんとあめちゃんが一人で配信者としてやっていく姿を見せられます。ピの存在を信じていた人からすれば、この時点ではまだ「あめちゃんがピから独り立ちした」とも解釈できることでしょう。しかし、その後に「ひみつのこと.txt」を見ることで、全ての真実が明かされます。なんと、ピはあめちゃんの空想上の存在で、実在しなかったのです。つまり、あめちゃんは「ピが必要だったけど、成長して独り立ちできた」のではなく、「そもそも最初から(ある意味)一人でやっていけてた」のです。このとき解除される実績の名前は「I Need You」。「あめちゃんが俺を必要としている」という信条が打ち砕かれた今、「I Need You」の「I」があめちゃんではないということは明らかです。では一体誰なのか?
それは、あめちゃんがいなくなったデスクトップを呆然と眺めている、パソコンの前のプレイヤーです。あめちゃんがプレイヤーを必要としていたのではなく、私たちプレイヤーこそが、あめちゃんを必要としていたのです…

このような流れを辿って、「あめちゃんには俺がいなきゃダメなんだ」というプレイヤーの考えが露わにされ、そして打ち砕かれるのです。これはまさしく、相手を救おうとする傲慢さを、恋人同士の対話を通して露わにする『好き?好き?大好き?』と同じです。これこそが、このゲームの持つ「反精神医学」的な側面です。

また、タイトルにも入っており、ゲーム中でもあめちゃんが繰り返し行う「OVERDOSE」、つまり薬物の過剰摂取というのも、医学の指示する用法容量に従わずに自分の意思で薬物を使うという、ある意味で「反精神医学」的な行為です。

このように、パソコンの前に座るプレイヤーの考えというところまで含めてメタ的に考察すると、NEEDY GIRL OVERDOSEというゲームの持つ「反精神医学」的な性質が見えてくるのではないでしょうか。「ひみつのこと.txt」について、ネット上では、「正直ありきたりなオチだと思った」というような意見もありました。確かに、いると思っていた人物が実は特定の人間の妄想に過ぎなかった、という展開はオタクなら飽きるくらい見てきたことでしょう。しかし、多くの場合そうした「妄想オチ」は単に物語をひっくり返すだけの役割しか持っていません。NEEDY GIRL OVERDOSEでの「妄想オチ」は、ただプレイヤーを驚かせるためだけの存在ではなく、プレイヤーの傲慢さを暴き出すための装置として機能していると考えられるのではないでしょうか。
以上で、この記事のメインテーマは終了です。以降は、ちょっとした考察や感想などをまとめていきます。

「ひみつのこと.txt」を読んで思ったことあれこれ

「ひみつのこと.txt」を読むことで、「ピはあめちゃんの空想上の存在だった」という事実がハッキリと分かるわけですが、この事実を知った後に色々振り返ってみると色んな気づきがあって面白いですよね。

例えば、「えっちなこと」について。実は、朝にODしたうえで「えっちなこと」コマンドを選択すると名前が「えっちなこと」から「キメえっち」に変化する、という小ネタが存在します。これ、なんとなくおかしいと思いませんか?「キメセク」はよく聞くけど(そうか?)、「キメえっち」とはあんまり言いませんよね。初めは「あめちゃんはそういうお年頃の女の子だし『セックス』って言うのは恥ずかしいのかなあ」と思っていましたが、裏垢で結構ガッツリめにえっちなことの内容を語っているあたり、そうではなさそうな気もしてきます。ここで、「ピは実在しない」という事実を考慮してみると、「えっちは一人でもできるけど、セックスは一人じゃできないから」という解釈が可能になってきます。(ちなみに、英語版だと「えっちなこと」は「***」と表記されているみたいで、やはり「SEX」とは明言していないのです。もし中国語版で「セックス」と明言されていたらこの考察は間違っていることになるので、中国語が読める方は教えてください。)

次に、「好感度」について。私はプレイ中、「好感度って『あめちゃんからピに対する好感度』なのか、それとも『視聴者からあめちゃんに対する好感度』なのか、どっちなんだ???」と思っていました。一応、ステータスの解説には「ピへの気持ちの大きさ」と書かれており、第一の意味としては「あめちゃんからピに対する好感度」と考えてよいでしょう。しかし、少し引っかかるのが、「えっちな配信をしたり、カキコなどの行為をしたりすると、好感度が下がる」という点です。「こんなストレスのたまる行為をさせるなんて、ピ、サイテー!」ということで好感度が下がる、と解釈することももちろん可能でしょうが、この場合は「視聴者からの好感度が下がる」と解釈した方が自然な感じがしないでしょうか?そして、全エンド回収後のData0、あめちゃんのソロプレイでは、最終的にちょうど好感度100でフィニッシュを迎えます(めちゃくちゃ綺麗で感動しますよね)。ピが存在しないにも関わらず好感度100になっているわけですから、やはりこの場合も「好感度=視聴者からの好感度」と解釈できそうではないでしょうか。要するに、「好感度」には「あめちゃんからピへの愛情」と「視聴者からあめちゃんへの愛情」という二つの意味があるのではないか、ということです。もし「あめちゃんからピへの愛情」という意味しかなかったとしたら、「すきすき度」みたいな名前になってたんじゃないでしょうか。それをあえて「好感度」という名前にして、どっちの意味ともとれるようにしてあるのでは?

最後に、あめちゃん、そして超てんちゃんのツイートについてです。超てんちゃんは「恋人がいない」という設定なので、「一人で映画見た」という感じで日常の出来事をツイートしますが、それと同時にTLには「ピと一緒に映画を見た」というあめちゃんの裏垢ツイートが流れてきます。初めは、こうした演出を見て誰もが「超てんちゃんは表向きに作られた姿で、あめちゃんが裏の本当の姿」と思うでしょう。しかし、実際にはピは存在しません。つまり、実は「ピと一緒に映画を見た」という裏垢のツイートが嘘で、「一人で映画を見た」という超てんちゃんのツイートの方が真実なのです。ひみつのこと.txtを読む前と後でこのような逆転現象が起きるのは、マジですげえなと思いました(急な語彙力消失)。実は「超てんちゃん」というガワを被っている時の方が、あめちゃんは本来的な自分でいられるのかもしれませんね。
余談ですが、「超てんちゃんはイマジナリーフレンドなのか?」という問いも考えられますよね。ひみつのこと.txtでは、超てんちゃんとあめちゃんが仲良く並んでいる絵が描かれているからです。しかし、個人的には超てんちゃんはイマジナリーフレンドではなく、あくまであめちゃんの別の「姿」(「人格」ではない)だと思います。理由としては、「超てんちゃんの姿でえっちなことをした」という描写がゲーム中に登場するからです。これはあめちゃんが超てんちゃんを別の個体、あるいは人格としてみなしているとすればあり得ない行為です。ただ、私もこのゲームの全要素を回収できているわけではないので、もし超てんちゃんがイマジナリーフレンドだと考えられそうな根拠があれば、教えてくださるとうれしいです。

「Rainbow Girl」の超てんちゃんは何者?

NEEDY GIRL OVERDOSEの中でもトップクラスに強烈なエンディングの一つ、「Rainbow Girl」。このエンドで一つ気になるのは、「なぜかみさま(プレイヤー)に語り掛けてくるのはあめちゃんではなく超てんちゃんなのか?」ということです。

私は、このエンドにおける超てんちゃんは、あめちゃんがコスプレした姿としての超てんちゃんではなく、「パソコンの中の女の子」「二次元の女の子」のイデアとしての超てんちゃんなのではないか、と思います。
理由としては、このゲームの所々に「君と彼女と彼女の恋。」というエロゲのオマージュともとれそうな要素がいくつかあるからです。(「君と彼女と彼女の恋。」については話すと長くなるので、詳しくは皆さんご自分で調べてみてください。)まず一つ目は、この「Rainbow Girl」エンドそのものです。このエンドは基本的には「臭作」という別のエロゲのオマージュになっているのですが、「ゲーム中のヒロインが画面の向こうのプレイヤーに語り掛けてくる」という構図自体は、「君と彼女と彼女の恋。」とも共通しています。二つ目は、「NEEDY GIRL OVERDOSE」エンドや「Utopian Parody」エンドにおける分岐要素です。知らない方も多いかもしれませんが、実はこれらのエンドには、「あめちゃんからのJINEへの返信の選択次第でエンディングが少し変化する」という要素があります。ここでのあめちゃんのJINEはピに対するクイズ形式なのですが、このクイズの正解は、なんとプレイヤーのそれまでの行動次第で変化します。例えば、「ねえ最初にデートに行った場所、覚えてる?」という問いの答えは、あなたが最初にあめちゃんとのおでかけで選んだ場所になります。このように「クイズの答えがプレイヤーごとに変化する(=攻略サイトを参考にできず、自分自身が真剣にヒロインに向き合わなくてはならない)」という要素は、「君と彼女と彼女の恋。」の中にも登場します。
この「君と彼女と彼女の恋。」と共通項があるからどうなんだ、という話なのですが、「君と彼女と彼女の恋。」には「エロゲのヒロインのイデア」の女の子が登場します。もし「君と彼女と彼女の恋。」を参考に作られているのであれば、ここでの超てんちゃんが「二次元美少女のイデア」として表現されていてもおかしくないのではないでしょうか。

最初に到達したエンディングについてのアンケート結果

最後に、以前実施した「NEEDY GIRL OVERDOSEに関するアンケート」の結果を紹介します。全部で10件の回答が集まりました。協力してくださった皆さん、ありがとうございました!

まずは、皆さんが最初に到達したエンディングの集計結果です。

1位…Os-Alien(3件)
2位…Utopian Parody, Angry Otaku Needy Girl, Die Set Down(それぞれ2件ずつ)
3位…Healthy Party(1件)

でした。だいたいみんな最初は同じエンディングに到達する、というのが分かりますね。Os-Alien(愛情過剰摂取エンド)については、steamのグローバル実績を見ても全プレイヤーのうち48.3%が回収済みだし、個人的に何人かの配信者を見ても最初にこのエンドに到達している人が多い印象を受けたので、やはり一番最初に到達しやすいエンドなのでしょう。みんなあめちゃんのこと大好きなんやな。

続いて、「なぜそのエンディングに到達したと思うか?」「そのエンディングに到達したときの感想は?」という質問の回答です。

Os-Alienに到達した人の回答では、「あめちゃんを喜ばせたかった」「あめちゃんに愛されたかった」というものが多かったです。純粋だ…

Utopian Parodyに到達した人の回答は、「とりあえず30日までは到達したくて、途中でゲームオーバーになりそうな選択肢を避けた」という人と「彼女を甘やかす性格が出て、ひたすらストレスとやみ度を下げた」という人に分かれました。到達時の感想としては、2人とも案外それほどショックを受けたわけではなく、腑に落ちたというような感じでした。ある意味一番メンヘラらしさが出ているエンドですよね。

Die Set Downに到達した人の回答は、2人とも「あめちゃんに不健全な配信をさせたくなかった」という内容でした。まあ、このうちの1人は私なのですが。

ちなみに、このアンケートの集計には含まれていないのですが、私がある友達(LINEの返信が遅いことで有名)にNEEDY GIRL OVERDOSEをプレイさせた際には、「未読無視続けてたら未読無視エンドになるよ」と何度も伝えたにも関わらず、完全な不注意で未読無視エンドに到達していてめちゃくちゃ面白かったです。やはり、このゲームで最初に到達するエンドで、その人の人格が分かるのではないでしょうか。

以上でこのnoteは終わりです。こんなクッソなげえ記事を最後まで読んでくださってありがとうございました。
R.D.レインの他の著作も読んでみようと思っているので、それでまた新たな気づきが得られた場合には新しく記事を書くかもしれません。




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