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母体保護法の不妊手術の要件について思うこと


非常に長いので要約だけ見たい方は「まとめ」に飛んでください。

‼️注意‼️

まず大前提として私の立場は反出生主義(あるいは反出生賛美)です。
ものすごく簡単に言うと「凡そ全て新しく命を生み出す行為は倫理的でないからやめるべき(あるいは、その行為を美化することをやめるべき)」という立場です。
その結果人類が滅びてもいいじゃん、という思想です。

特に注意していただきたいのは、「人類・社会の存続・維持を無理に目指すべきではないと考えている」「産まれてくる子供が健常者でも障がい者でも産むべきではない(優生思想とは異なる)と考えている」という点です。

この時点で相容れない、到底理解できない、気持ちが悪いという方はこの先の文章を読んでも何一つ良いことはないと思いますので引き返していただけますと幸いです。

反対に、自分も反出生主義である、反出生主義ではないがその考え方に興味がある、理由はなんであれ子供を産まないという選択が尊重されるべき、という方はぜひ少しだけでも読んでいただけると嬉しいです。

この記事を書こうと思ったきっかけ

ふと「女性と男性の避妊手段って格差があるよな」と思って色々調べていたところ、
男性の不妊手術(パイプカット)は事実上無条件でできるのに女性の不妊手術(卵管結紮)は法律で定められた条件を満たさないとできない
という事実を初めて知り、衝撃を受けたのがきっかけです。

私は男性のパイプカットの存在についてはかなり前から知っていたのですが、女性の卵管結紮については存在自体知らず、てっきり「永久的な不妊手術は男性しかできない」「女性が人為的な手術によって不妊になるのは病気で子宮を摘出した場合だけ」と思い込んでいました。

そこでたまたま卵管結紮手術の存在を知り、「え!女性にも不妊手術ってあるんだ!私もやりたい!」と思い、母体保護法による規制の存在を知り、絶望して今に至ります。

そもそも不妊手術とは何か

母体保護法2条1項では、「この法律で不妊手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で内閣府令をもつて定めるものをいう。」と定められています。

具体的には、

男性の場合→精管を縛って精子が精液に含まれない状態にする(いわゆるパイプカット)

女性の場合→卵管を縛って卵子が子宮に到達しないようにする(いわゆる卵管結紮(らんかんけっさつ))

というのが主流な手術方法です。

ここで注意してほしい点がいくつかあります。

①性別適合手術とは異なる
性別適合手術は性同一性障害の治療を目的とするものであるため、母体保護法28条の「生殖を不能にすることを目的」とした手術にはあたらず、日本精神神経学会のガイドラインに沿っている限りは適法とみなされます。
この点について気になる方は「ブルーボーイ事件」で調べてみてください。

②子宮を摘出するわけではない
子宮摘出手術は、子宮筋腫や子宮内膜症等の治療の目的で行われるものであり、現時点では不妊手術として子宮を摘出することはありません。

③ホルモンや性欲や生理には影響しない
不妊手術をしてもホルモンが変化して女性が男性化したり男性が女性化したりするわけではありません。性的欲求にも影響しません。性行為をすることは可能です。そして生理は通常通り来ます。
あくまで「妊娠しなくなる」だけです。

不妊手術のメリットは

・1回の手術で永久的に避妊できるようになる
・避妊効果は99.5%

デメリットは

・再び妊娠できる状態に戻したい場合には手術が必要だが、手術をしても妊娠できる状態に戻るとは限らない
・極めて稀だが合併症のリスクがある
・性病を防ぐことはできない

等が挙げられます。

母体保護法による規制

母体保護法3条では以下のように定められています。

「医師は、次の各号の一に該当する者に対して、本人の同意及び配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、不妊手術を行うことができる。ただし、未成年者については、この限りでない。
一 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの
二 現に数人の子を有し、かつ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの
2 前項各号に掲げる場合には、その配偶者についても同項の規定による不妊手術を行うことができる。
3 第一項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができないときは本人の同意だけで足りる。」

要約すると、男女共に、

①本人と配偶者(事実婚関係も含む)の同意がある
(※配偶者が行方不明のときや何らかの事情で意思表示ができない場合は本人の意思だけでよい)

②成人している

③妻が妊娠分娩すると生命に危険が及ぶ
もしくは
妻に既に複数人子供がいて、これ以上分娩すると健康に悪影響がある


以上の①〜③を全て満たす場合にのみ不妊手術が可能です。

そして母体保護法28条では

「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行つてはならない。」

つまり、3条に定められた条件を満たしていない人に対して不妊手術をしてはいけませんよと定められています。

母体保護法34条では、

「第二十八条の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。そのために、人を死に至らしめたときは、三年以下の懲役に処する。」

つまりこの法律に反して手術をした場合には刑罰が、その手術によって人が亡くなってしまった場合にはさらに重い刑罰が下ることが定められています。

この、条件を満たしていない場合の不妊手術については医師に対する処罰規定がある、というところが大事です。
法律上、「禁止規定があるがその違反に対する制裁は定められていない」というケースはたくさんありますが、不妊手術についてはそうではなく、違反すると医師に処罰が下るのです。
(※手術を受けた人には刑罰はありません)

そしてもう一つ大事なのが
「母体保護法では男性の不妊手術(パイプカット)も女性と同じ条件で規制されている」
というところです。
詳しくは次の章で説明します。

不妊手術を取り巻く現状

先ほどの説明を見て
「あれ?男性のパイプカットって誰でもできるんじゃなかったの?」
と思った人もいるでしょう。

その通りで、法では一定の条件を満たさなければできないとされているはずのパイプカットが、実際には多くの場合、本人(と配偶者)の同意さえあればあとは無条件でできる状況になっています。

言ってしまえば違法なパイプカットが当たり前のように横行しているということです。

名誉毀損だ!と言われるのが怖いのでクリニック名は伏せますが、

・法律上は誰でも手術を受けられるとホームページに堂々と書いているクリニック
・母体保護法とは異なる条件を独自に定めて、それさえクリアしていれば誰でも手術が受けられるとしているクリニック

などがたくさんあります。

一応、母体保護法の条件を満たしていないと手術をしないと述べているクリニックもあるにはあるのですが、圧倒的に少数派です。

では女性の不妊手術は?

これについては実際にクリニックに行ったり取材をしたりしたわけではないので正確なことは全く分かりませんが、
おそらくほとんどのクリニックが母体保護法の条件を満たしていない女性に対する不妊手術を断っているものと思われます。

というのも、後で詳しく触れる「わたしの体は母体じゃない」訴訟の訴状において、それぞれ異なる地域に住む5人の女性原告が全員「複数の産婦人科を尋ねて不妊手術を求めたが全部断られた」旨を述べているからです。

つまり、法律上は男女共に同じ条件で規制されているはずなのに、実際にはほとんど女性の不妊手術だけが規制されている状況に近いということです。

これはなぜか?

これは完全に私の推測なので間違っている可能性は大いにありえるのですが、
おそらく、大半の男性は不妊手術を受けたことを基本的に公にしない一方で、女性が不妊手術を受けた場合はそのことを周りに堂々と言う可能性がある(とクリニックは考えている)から
ではないでしょうか。
要するに男性のパイプカットはバレづらいから母体保護法違反で摘発されるリスクは小さいだろう……と思われているのではないかということです。

母体保護法3条の何が問題なのか

以上のように、(あくまで実際上は、ですが)男性については母体保護法が全く機能していないような状況なので、以下では主に女性の不妊手術について語ります。

そもそもこの規制の何が問題なの?と思われる方もいるでしょうから、一旦ざっくり問題点を整理したいと思います。

①原則として配偶者の同意が必要

これは妊娠中絶についても問題になっていることなので、比較的多くの方に分かってもらえるポイントだと思います。

女性自身の体に関することは、女性自身が独立して決定権を持つべきです。
このような考え方を「性と生殖に関する健康と権利」「リプロダクティブヘルスアンドライツ」と言います。

もちろん、配偶者と円満な関係が築けており、配偶者が自身の選択を十分に尊重してくれている場合には、配偶者とよく話し合ったうえで決定するのが理想でしょう。
しかし必ずしもそうであるとは限りません。
DVなどにより、自身の権利が配偶者によって脅かされている状況であっても、配偶者の同意がなければ不妊手術を受けられないというのは、女性の自己決定権が確立されているとは言い難いでしょう。

②妊娠出産を経験していない健康体の女性は不妊手術を受けられない

個人的にはこれが最大の問題だと感じているのですが、これに関しては残念ながらなかなか理解が得られづらいところだと思います。

それもそのはずで、不妊手術を求めるケースのほとんどは、既に子供が複数人いて、これ以上は子供がいらないという場合だからです。

しかし、全体で見ればごくごく一部ではありますが、「子供は一人も欲しくないし、自分が子供を産める体であることに苦痛を覚える。だから進んで不妊手術を受けたい」という女性も確かに存在します。

ここで誤解してほしくないのは性別違和の問題とは異なるということです。
「身体的特徴が女性的であることに違和感はないが、子供を産む機能が備わっていることに対しては嫌悪感がある」という人もいるのです。
ここで生物学的性とは?ジェンダーとは?という話まで深掘りしてしまうと話が逸れてしまうので、ここで語るのはこれだけにしておきます。

なぜこうなっているのか〜旧優生保護法からの改正の流れ〜

では、そもそもなぜこのような女性の自己決定権が軽視されているようにも思われる仕組みになっているのでしょうか?

その答えは母体保護法制定の沿革を見ると分かります。

母体保護法は、かつては「優生保護法」という法律でした。
優生保護法の目的について定めた第1条を見てみましょう。

「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。」

この法律の根底にあったのは「優生思想」と呼ばれる考え方です。
つまり「優秀な遺伝子のみを残し、障がいとなる遺伝子を断とう」という考え方です。
言うまでもなく、障がい者を不当に差別しその人権を侵害するものです。

そして優生保護法3条では以下のように定められていました。

「医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、任意に、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。

一 本人又は配偶者が遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有し、且つ、子孫にこれが遺伝する虞れのあるもの

 三 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの


 四 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの

 五 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができないときは本人の同意だけで足りる。」

ここでいう「優生手術」とは、名前が違うだけで現在の母体保護法の「不妊手術」と全く同じ内容のものを指します。
上で太字にした部分が、現在の母体保護法3条と大きく異なる点です。
つまり優生保護法下では、「遺伝的な問題を抱えている人は不妊手術を受けられる」ことになっていたのです。

そしてさらに優生保護法4条では以下のように定められていました。

「医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。」

つまり「『公益』のために不妊手術が必要だと医師が判断したら本人の同意すらなしに強制的に手術を行うことが可能」だったのです。

これにより多くの人が自分の意思に反して不妊手術を受けさせられることになりました。
そして、当時「本人の意思に基づいて」(つまり3条に基づいて)手術を受けたとされる人々も、それが本当に「本人の意思」によるものだったと断言できるかどうか怪しいでしょう。「障がい者なら手術を受けられる」という仕組みになっている以上、「障がい者なんだから手術を受けろ」という社会からの圧力があったであろうことは想像に難くありません。

当然、この法律は時代の流れと共に多くの批判を受けることになります。

その結果、1990年代に、優生思想を含む部分の削除を主眼とした法改正に向けた審議が行われました。

本人の意思に反した強制的な不妊手術について定めた4条が丸ごと削除されることについては、当然異論はありませんでした。

問題は本人の意思に基づく不妊手術について定めた3条をどうするかです。

その中で、生殖に関する自己決定権の尊重という見地から、「3条と28条を丸ごと削除し、不妊手術の可否については医学的判断に完全に委ねる」案と、「3条のうち本人および配偶者の同意を必要とする部分だけを残す」案も出ていました。

しかしこの改正はあくまで優生思想の排除を目的としたものであったため、
「自己決定権云々の議論に時間を取られて優生思想を含む部分の削除が遅れてしまうのは避けたいから、一旦優生思想を含む部分だけを削除して、残りの議論は後々考えよう」
ということになり、
結果的に3条1項の1〜3号だけが削除され、母体の健康状態について定めた4・5号は残る形になりました。

そして優生保護法は「母体保護法」に生まれ変わり、今に至ります。

要するに、言ってしまえば、
現在の母体保護法3条は、妥協の結果、中途半端な議論に基づく規定になってしまって、それが放置されている
ということなのです。

「わたしの体は母体じゃない」訴訟

以上のような沿革を経てできあがった母体保護法は今もなお批判を受けています。

が、それは主に妊娠中絶について定めた14条の規定の話です。

妊娠中絶について配偶者の同意を必要とするのはおかしいとする議論は比較的よく聞く話です。

その陰に隠れてしまって、不妊手術について定めた3条(および28条)についてはほとんど議論になりませんでした。

というかそもそも、母体保護法で不妊手術の条件が決められていること自体が全くと言っていいほど知られていません。

そんな中、2024年2月26日に、母体保護法3条1項、28条、34条が違憲であるとする訴訟が提起されました。
「わたしの体は母体じゃない」訴訟です。

先に軽く触れましたが、この訴訟は不妊手術を求める5人の女性が原告となって提訴されたものです。

おそらくですが、不妊手術が「受けられない」ことを問題にした裁判はこれが初めてのはずです。

この記事を書いている時点(2024年4月)ではまだ第一審の口頭弁論が始まってすらいない状況なので、今後に注目していきたいと思います。

上のリンクから訴状全文や一部の証拠を確認することができますので、詳しく知りたい方はぜひ見てみてください。

課題

これまで挙げてきた問題に向き合ううえで様々な課題や指摘が考えられます。
自分なりに整理してみます。

・知られていなさすぎる

これが一番の課題です。
賛成だの反対だのの議論をする以前にそもそも母体保護法の不妊手術に関する規定の存在自体がほとんど知られていないのです。
なんなら不妊手術の存在すら十分に認識されていません。
まずは議論をスタートさせるために、「こういう問題がある」と声を上げるところから始めなければならないと思います。

・不妊手術以前の問題が多すぎる

女性の自己決定権、リプロダクティブヘルスアンドライツと言うと、現在はまず真っ先に妊娠中絶の問題が挙げられます。
妊娠中絶の権利を求める女性は、不妊手術の権利を求める女性よりもはるかに多いです。
ですがその妊娠中絶の権利でさえ、日本では十分に保護されておらず、世界的に見ても未だにその権利を巡って激しい対立が巻き起こっています(プロチョイスvsプロライフ)。
そんな状況で不妊手術を受ける権利が簡単に認められるとは思えません。
仮に不妊手術を取り巻く現状が世間に知られたとしても、それに関する議論は「後回し」にされてしまうでしょう。
ではそれを甘んじて受け入れるべきか?と言うと私はそうは思いません。
「後回し」にされてしまうからこそ、求める人が少ないからこそ、誰かが声を張り上げなければいけません。

・社会からの圧で望まずして不妊手術を受けさせられるケースをどう防止するか

これは安楽死合法化問題にも通じる課題です。
安易に不妊手術を合法化すれば、不妊手術を受けろという社会からの圧に負けて、かえって自己決定権を害される人が現れるのではないか、特に障がい者やセックスワーカーはその危険性が高いのではないか、という指摘があります。
これは全くその通りだと思います。
実際に、現在無条件で男性のパイプカットを行っているとあるクリニックのサイトには、「ごく稀に精神薄弱の人が親に連れられて手術を受けに来る」と書かれています。
これは非常にまずいです。優生保護法を改正した意味がなくなってしまう。
現在横行している違法なパイプカットを即座に取り締まるべきなのは言うまでもなく、今後母体保護法を改正するとして、全くの無条件で不妊手術ができるとしてしまっては問題があるのは確かでしょう。
ただ、だからと言って現在の母体保護法の不妊手術の要件をそのままにしておくべきとは思いません。
なぜなら、現在定められている条件は「元々子供を産める体ではないか、もしくは既に子供が複数人いるか」というものであり、「確実に本人の同意があると言えるか」「自己決定権が十分に確立されているか」という点が重視されているわけではないからです。
今の条件では、「これ以上妊娠分娩をすると身体に危険が及ぶが、それでも妊娠の可能性は残しておきたい」という人が、周りからの圧力で不妊手術を受けさせられる可能性も考えられるわけです。
望まぬ不妊手術を防ぎたいのであれば尚更、現在の条件は改めるべきではないでしょうか。

・女性が自分の身体にメスを入れずとも「産まない」という選択が尊重される社会になるべきではないか

これは全くもってその通りです。まず第一に変わるべきは社会の方です。
しかし先に述べた通り、社会がどのような状況であるとかは関係なく、そもそも自分が「産もうと思えば産める体」であること自体に嫌悪感を抱く女性もいるのです。たとえ社会が完璧に自分の選択を尊重してくれるようになったとしても、身体の機能に対する嫌悪感というのは生理的なものでもあるのだから、完全には拭えないのです。
それに、残念ながら、「妊娠しない・産まないという選択が100%尊重される社会」は実現不可能です。男性という存在がある限り、どんなに頑張ってもレイプはなくなりません。レイプによる妊娠という可能性がほんのわずかにでも考えられる社会では、不妊手術という選択肢があって然るべきではないでしょうか。
(もちろん、これは望ましいことではありません。私は決して「女性が自衛しろ」と言いたいわけではありません。ただ、「社会の側が変わるべきなのだから不妊手術など認めなくていい」と言ってしまうのは、「盗みに入る奴がいなくなればいいのだから家に鍵などなくていい」と言うのと同じだと思います。)

・後々、不妊手術を受けたことを後悔する女性が大量に現れるのではないか

これは実際に「クロワッサン症候群」と呼ばれる現象が起きたことを踏まえての指摘でしょう。
つまり、かつて女性をターゲットとした雑誌が「シングルライフ」を推奨した結果、しばらくして結婚適齢期に結婚しなかったことを激しく後悔する女性が続出したのだから、不妊手術を合法化すれば同じことが起きるぞ、ということです。
これは確かにありえるでしょう。
特に不妊手術は結婚(をしないこと)とは違って決定的に取り返しのつかない行為なので、その判断には慎重になるべきです。
しかし、これは母体保護法の規制をそのまま残すべき理由にはならないと思います。
そもそも人生において絶対に取り返しのつかない選択というのはいくらでもあります。
不妊手術と対をなす、出産という行為もその一つです。
人命を発生させる以上、産んだ後で「やっぱり産まなかったことにしたい」というのは不可能です。
ですが出産は法で規制されていません。誰でも無条件に行えます。
そして現に、出産を後悔している人はたくさんいます。「お前なんか産まなければよかった」と親に言われた子供。親の都合で捨てられた子供。親に殺された子供。そんな子供の存在は無視できません。
もし「不可逆的で、後悔する人がたくさん出るような選択は規制しろ」と言うのであれば、出産も何らかの形で規制されていないとおかしいはずです。
そして、不妊手術を選択して後悔する場合、困るのは本人だけです。一方で、出産をして後悔する場合、困るのは本人だけではなく、産まれた子供もです。
不妊手術を望む人に「どうせ後悔するんだからやめておけ」と言うならば、出産を望む人にこそ同じ言葉をかけるべきではないでしょうか。
「出産の後悔を許すなら不妊の後悔も許せ」「不妊の後悔を許さないなら出産の後悔も許すな」。それが私の考えです。

まとめ

・現在、母体保護法で男女共に不妊手術の要件が厳しく定められている
・しかし実際には、男性だけが自由に不妊手術を受けることができる状況になっている
・現在の母体保護法は十分な議論のうえで制定されたものではない
・母体保護法の規定を争う裁判が現在進行中
・無条件に不妊手術を認めることには慎重になる必要があるが、少なくとも今の条件は改めるべき

あとがき

非常に長くなってしまいましたが読んでいただきありがとうございました。

先に書いたように、まずはこの問題が問題として認識されるようになることが第一目標だと思います。

少しでも共感してくださった方はぜひX等で拡散していただけると嬉しいです。

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