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「熱帯」について

 私にとっての「熱帯」的な文学作品とは何かと考えた時、まず初めに思い浮かんだのは、小学生の頃、内容もよく理解しないまま同級生の友人の影響で読んでいたコバルト文庫シリーズのラブコメミステリーの作品である。お小遣いを出し合って買い集め、こっそり読んでいたその頃、その読書家の友人と2人で砂場で遊んでいたある日、一眼レフカメラを持ったおじさんに声を掛けられ、人懐こい友人と人懐こくない私は、危うくわいせつ事件に巻き込まれそうになったが、私が友人の手を掴んでその場から逃げ出したお陰で大事には至らなかったというプチ事件があった。その記憶は30年以上経った今でも鮮明に覚えている。よくよく考えると、この体験は物語は違えど「熱帯」的であったと言えるのかもしれない。

 その後、様々な小説の世界に魅了されたけれど「熱帯」的と言えるまでの体験はしていない気がする。では何がその「熱帯」的体験の要因となり得るのか。「熱帯」を読み返してそのヒントを調べようとしたが、数日前まで机の上にあった「熱帯」が見当たらず、本棚に仕舞ったような気もしないでもないので、本棚をざっと探してみたが見つけられない。でも明日のイベントが始まる20時までには見つけなければ。「熱帯」に入ってしまったわけではないのだから。




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