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評㊳劇チョコ『無畏』@芸劇ウエスト、4500円~戦争の不勉強を再勉強する

 劇団チョコレートケーキ(劇作家:古川健、主宰・演出:日澤雄介)は2022年8月17日~9月4日、「生き残った子孫たちへ 戦争六篇」を東京芸術劇場B1のシアターウエスト、及びシアターイーストで連続上演。

 社会派・硬派は好みだが、公演自体に気づくのが遅れ、全6本中『無畏』『ガマ』の2本を観た。そのほかは『帰還不能点』(南部仏印進駐を決めた高級文官たち・再演)、『追憶のアリラン』(朝鮮半島の解放・再演)、『〇六〇〇猶二人生存ス』(人間魚雷)、『その頬、熱戦に焼かれ』(8月6日に己の顔を失った女性たち)。

「南京大虐殺」司令官・松井岩根を描く 

 『無畏(むい)』@東京芸術劇場シアターウエスト、4500円(全席指定)。再演(初演2020年7月)。8/24~8/27。脚本:古川健、演出:日澤雄介。
 無畏とは、「おそれるところのないこと。 特に、仏が法を説くときの何ものをもおそれない態度」らしい。
 (以下、自らの戦争不勉強に驚嘆した余り、単なる紹介と感想文の傾向)

 1937年(昭和12年)「南京大虐殺」司令官として、1948年(昭和23年)東京裁判で死刑判決を受け処刑された陸軍大将、松井岩根の最期の日々。
 ※Wikiを見ると、松井岩根はA級戦犯容疑で起訴され有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪で有罪となったため、実際にはB級戦犯、とある。

 異論反論飛び交う南京事件をもとにした、古川健の勿論創作である。あくまで古川ワールド。頭から信じるわけではないし、それこそ冒涜。
 それを念頭に、劇チョコの資料やWikiを参考にしつつ、流れを思い返す。

 日中友好を目指した松井。孫文の大アジア主義に共鳴、その後継者と見込む蒋介石を支援したが、後に蒋との連携が破綻。55歳前後で現役を退く。
 数万人の日本人居留民がいた上海で第二次上海事変が起こり、上海派遣軍司令官として呼び戻される。戦況不利のところ、指揮系統下にない柳川平助率いる第10軍が杭州湾上陸作戦を成功させ、上海陥落。その第10軍は独断で(松井の指揮権を無視して)「南京攻略戦」を開始。松井の制止は間に合わず「追認」。その際「軍紀粛清」「中国人への軽侮思想への戒め」を命じたが、実際には掠奪暴行が起きていた。
 戦犯として裁かれ「私は何も知らなかった、でも司令官だから責任はとる」とし巣鴨プリズンで教誨師と語らい、粛々と死に向かうように見える。
 そこで、日本人弁護士に「本当はどう思っているのか」を鋭く突かれ、のたうち回る(←芝居的にはここが一番の見せどころ)。何を松井が叫んでいたか、残念ながら忘れてしまったが、最後に、「私の見栄でした」と絞り出すように言ったような。
 そして、処刑台へ。

 前に、大正天皇を描いた『治天ノ君』を観た時もそうだったが、斜めの動線を意識した舞台。

ひっつかまれ「自分だったらどう判断し、行動できたか」

 戦争の話から、自分はどこか、目をそむけていたところがある。特に、南京大虐殺に関しては、様々な憶測や思惑が飛び交い、近寄りたくないと思わせるものがある。しかし、犠牲者が出たことに変わりはない。ただ、直視したくない。
 そんな、逃げようとする心の中をひっつかまれ、引きずり出され、さらされ、苦しい……が思考停止してしまうよりはいいのだ、と思わせた作品。

 本音を問われ、のたうちまわる松井はぐいぐい来た。
 何も言わず「格好良く」死んでいく、その前に、のたうち回っていたのではないか。。

 劇の間じゅう、「自分だったらどう判断し、行動できたか」と問い続けた。
今、平和な日本で安穏と暮らしつつ、戦中の軍隊判断を批判するのは簡単だが、自分が松井であったら、命令を聞かず暴走する軍を目の前に見ていたら、それは「追認」しかなかったか。

兵站を軽視した日本軍の「徴発」

 また、劇中台詞から、改めて戦争に関し勉強したことが2つ。

 ひとつは「徴発」。
 松井も上海の後、南京攻略をする予定ではあった。が、もう少し時間をかけ、兵站(作戦に必要な物資や人員の移動や支援)を確保しようとした。
 しかし、柳川平助らは先を急いだ。松井は止められない。兵站を確保せず敵地へ進軍するということは、現地徴発、すなわち、現地住民から食料を奪う、村に火を放つ、婦女子を強姦し、村人を殺害することだった。

 そうか。 
 ちょうど読んでいた月刊文藝春秋九月特別号「ガダルカナル80年目の教訓」(野中郁次郎『失敗の本質』共著者のひとり×大木毅)390pに、
 「日本軍では(略)国力の貧しさゆえに補給体制が充分ではなく、現地徴発でまかなうのが普通になっていた。あるいは敵から奪え」(大木)
 「日本軍では、兵站、すなわち食糧や武器といった物資の補充など後方支援活動を軽視する傾向が強かった」(野中)
 とある。
 そういうことか。

月刊文藝春秋九月特別号「ガダルカナル80年目の教訓」

憲兵の本来の役割は、軍隊の規律を守ること

 もうひとつは「憲兵」。 
 「憲兵が足りないので軍紀を保つのが難しい」という台詞が、耳元をしゅっとかすめた。あれ? えっと。
 ん? 憲兵。戦争を描いたドラマの、特に内地では「非国民」を取り締まる“悪役”イメージがやたらある。しかし、この劇中では「憲兵は必要なものだが不足している」という文脈だ。
 調べると、もともと憲兵は「軍隊内部の規律を守り、秩序を維持するための機関」。それが徐々に、一般国民の監視へと職域を拡げたということであるらしい。
 軍に憲兵は必要だったのだ。
 なんと勉強不足であったことか。

松井演じた林竜三

 さて、戦争の勉強になりました。
 だけでもなく、この芝居では、松井を演じた林竜三の小柄ながら凛としたたたずまい、筋だった引き締まった身体、通る声が、自分の中に松井岩根という人間を浮かび上がらせた。
 その表情が緩んだのは、私設秘書と共にアジアを訪れた時くらいで、あとは帝国陸軍大将として厳しい表情が続いた。孤独な陸軍大将がそこにいた。

 「演じ続けてきた、老優」、ここにも。


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