12/10気持ちは整理しなくていい

今日の整理しないこの気持ちを残すために。

12/10
ばあちゃんが他界した。

12/9 
母から電話があった。
「ばあちゃんが弱ってきている」
僕は年は越せるのかと聞いたら、数日内かもしれないと言われた。
仕事で忙しいだろうから、通夜か葬式だけでも来れるように心構えをしておいてと言われた。聞くとばあちゃんはまだ話ができるらしい。
一度仕事に戻ったが、なんだか集中できず、母親に今日中に熊本に帰ることを伝えた。仕事をしている仲間が、家族を最優先しろと言ってくれた。
熊本についたのは深夜だった。

12/10
朝からばあちゃんがいる施設に会いに行った。
会話はできなかった。ただ、僕の姿をみて何かを言いたそうにしていた。
施設の方も両親も、もう数日は大丈夫だろうと思っていた。
一度施設を離れていたら15時ごろ親から電話があった。
駆けつけた時には息を引き取っていた。
さっきまでばあちゃんがいた部屋の前でじいちゃんが椅子に座ってた。
昨日までは元気だったと何度も言ってた。
「寝ているように」という言葉の通り、綺麗な顔で目を閉じていた。
長らく病気も患っていたけれど、病気が原因ではなく老衰だった。長い人生だったね。

12/11
通夜。たくさんの人がきた。
ばあちゃん、足が悪かったからほとんど家を出なかったのにこんなに友達や知り合いがいたのか。知らなかったよ。ばあちゃんが7人兄弟だったってのも初めて知った。何度もこみ上げた涙を我慢していたけど、父親が挨拶の時に泣いてるのを見たら、我慢できるわけはなかった。我慢しなくていいのなんて知ってるんだけどさ。
知らせを受けて、施設に行って通夜や葬式の準備をする両親は気丈としてたから、受け止める準備をしていたんだな強いなって思ってた。涙をみて、安心した。

12/12
葬式に参列する。
孫代表でばあちゃんになんか言えってさ。
最近なかなか話せてなかったかもしれないから、ちゃんとばあちゃんに向けて話すよ。聞いてね。

-----------

実家を離れて大学に編入するまでの20年間、ばあちゃんと一緒の家で過ごした。朝になると二階にいる僕に向かって怒鳴るように「朝だよ!」と起こしてくれる。当時の僕には煩わしくて「起きてる!」なんて怒鳴り返して、朝の支度をしていた。朝ごはんを食べているとその日の天気予報を教えてくれた。

実家を離れて宮崎にいき、そのあとは東京へ。
熊本に帰省する目的は、友達に会うことから、だんだん小さくなっていくばあちゃんやじいちゃんに会うことになってた。家ではあまりうまく話せないから、「帰ったよ」「元気にしている」「またくるね」と決まりきったことを話していた。僕の顔を見るといつも嬉しそうだった。

-------------

何だか帰らなきゃいけない気がしたのも、ばあちゃんが呼んでくれたのかもしれないね。生きているうちに最後に会えてよかったよ。今では起こしてくれる人がいないからたまに寝坊しちゃいます。毎朝起こしてくれてありがとう。毎日ありがとうって言うタイミングあったのに、思い返したら全然言えてなかったな。話したいこと、言いたいことは、ちゃんと言わなきゃね。教えてくれてありがとう。

そこからだったら宮崎のことも見えるんじゃないかな?
寝坊しそうな時は、また、起こしてもらえると嬉しいな。
宮崎で僕は元気にやってるよ。見ててね。今までありがとう。

湧き上がる涙も、何だかわからない心のざわざわも、無理に整理しなくていいよね。整理したら過去のことになっちゃう。今でも、そうやって僕の中に生きてる。

今日の気持ちを忘れないように。またね。
2019/12/12 杉本恭佑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?