大失恋体験記① 失恋論。失恋した人へ。

失恋した人へ

失恋した人へ。お疲れ様です。
この間失恋した友達がいました。
本当に心からの失恋した時、どれほど辛いのか、それは経験者にしかわからない、想像をはるかに上回るものだと思います。

案外、わかってくれる友達は少ないかもしれません。
意外と失恋経験者っていそうでいないんですよね。
私の周りの数少ないそんな人たちの言葉が、どれだけ支えになったか。


もちろん、慰めてくれた多くの友人には心から感謝しています。失恋を経験していなくても話を聞いてくれた友達は不可欠でした。それはもう大前提です。

今回は、大失恋をしたからこそ書けることを書いていきたいと思います。
もしかしたら、誰かの支えに少しでもなれるかもしれません。
それに、あんなに大変な思いをしたのに自分の中だけに留めておくのはなんか勿体無い気がするので。
体験記は長くなるので、2回に分けて書いていきます。

はじめに言っておきます。失恋は辛いだけです。数ヶ月は。
でも乗り越えたら、「失恋も悪くなかったかな」と思えると思います。

何より大事なことは、失恋を恐れずに全力で恋をすることです。
そうしたら、それが「過去」となった時、その恋は一生の宝物になるでしょう。

「思い出せば幸せな気持ちになれる恋愛がある」。

それが何よりも幸せなことだと私は思います。

大丈夫、人は立ち直れます。
もちろん忘れることもないし、その人を嫌いになることも一生ないかもしれません。
でも、立ち直って、新しい希望を見つけることはできます。
もっともっと良いと思える人に出会うこともできます。(私はできた)
今は、「失恋してよかった」と心から思います。


だから、諦めないで、今日も笑いましょう。

大恋愛、大失恋。

大失恋は、大恋愛をした人しか経験する権利を与えられません。
燃え上がるような熱い恋をしないと、失恋してもそんなに辛くないんです。(経験済)
だからまずは、大失恋できた自分を誇りに思ってください。
自分の感情を正直に感じ取って咀嚼し、葛藤しながら生きた証です。

私が恋に落ちたのは、地球の反対側出身の、栗毛の彼。見た目は百八十度違うけど、中身は世界の中のもう1人の自分みたいな人。何でも分かり合える、大親友。
「好きってこういうことか」
初めて感じる感情ばかりでした。母国を捨ててでも、彼と一緒にいたいと思いました。

彼が帰国する前日の夜、旅行をしていた私たちは2人で最後の晩餐をしていました。
最後の夜の寝る直前、勇気を振り絞って、
「I really like you.」
人生で初めて告白しました。
でも私は振られました。記念すべき大失恋をした瞬間でした。

真剣に考えてくれた彼に感謝しつつ、でも彼との関係を続けたまま立ち直れる自信がなかった私は、彼と連絡を切ることにしました。

「Please knock on my door whenever you wanna have a conversation with me.」
いつかまた連絡してほしい。

彼の帰国の日、空港で別れのハグをしてから涙目で言ってくれたあの顔は一生忘れられないだろうし、忘れたくはありません。

失恋はどうして辛いのか。

さて、彼が帰国した次の日からが地獄の始まりでした。
朝、絶望と共に目覚め、味のしないご飯を食べ、顔を洗って涙を誤魔化す。
大学でも涙を堪え、何をしていても頭の中は彼ばかり。

どうして振られたのか。どうすればよかったのか。
彼がいない未来は楽しいのか。全く希望が見えない。
そんな毎日が3ヶ月ほど続きました。

その間、私は必死に立ち直ろうとしました。元々ポジティブな方で、ここまで落ち込むことが今までになかったこともあり、失恋というものの威力を思い知らされました。
いろんな文学作品、芸術作品の中心に愛や恋があるのも、わかった気がしました。
それくらい、失恋の威力は大きいのです。

YouTubeで失恋に関するTEDを見漁り(真面目すぎる)、自分の気持ちに正直に向き合った結果、分かったことがあります。

以下、自分的・失恋論を書いていきます。
(2回にわけて書きます。ご参考になれば。)

失恋とはアイデンティティ、そして自分が思い描いていた未来の自分の喪失である

何の動画で見たかは忘れました。
しかし、私はこの言葉にとてもしっくりきたのです。

彼に振られてから、私にポッカリ空いた穴は、「彼が私を選んでくれなかった」ということに対しての悲しみでないように薄々感じていたのです。
私が一番苦しんでいたのは、
「彼を好きだった私」「彼と暮らす未来の私」の喪失でした。

彼に恋をしている私を失うこと。
これは、一番大好きなものに興味をなくしなさいということです。

彼との未来を失うこと。
これは、自分の中の大きな未来、希望を失いなさいということです。


勉強だったりスポーツだったり、「諦めないこと」が良しとされることが多いこの世の中ですが、私が初めて「諦めたくないけど諦めること」をしなければならなかったのです。

なぜこの「諦める」ことが難しいのか。それは、恋というものの正体は「中毒」だからです。
脳内で起きていることは薬物中毒とほぼ同じ。
その人のことを考えることでドーパミンが分泌され、だから考え続けてしまうし、「彼のことを考えるだけで幸せになる」という現象が起きるのです。
こういうと、なんか愛とか恋とかちょっと浅薄なものにも感じてしまいますが、現実はまあこういうことです。

でも、こう考えてみてください。
中毒なら、治せます。
彼・彼女のことを、少しずつ忘れていくことができます。

だからまず、自分が失ったものは何なのかを考えてみてください。
自分の弱さやコンプレックスが見えてくることもあると思います。
でも、そこから目を逸らさずに、自分が辛いのはなぜかを考えることがとても大切だと思います。
そこに本当にある原因は、「相手が自分を愛してくれなかったから」ではないはずです。

「あの人を好きだった自分」(「あの人の彼女だった自分」)など、
彼・彼女を自分の中に組み込んだ、何らかのアイデンティティの喪失なのです。
(裏を返せばそれが恋や愛着の正体かもしれません。ちょっと虚しいけど。)

次回予告

何度も言う通り、この体験記は2回に分けています。
次回は私がどのように自分にアプローチして立ち直ることができたかを具体的に書いていきたいと思います。




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