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全ての争いは無意味であり愚の骨頂!(動画と文字起こし)

こんにちは!
こころきょうこです!

今日も、いつも学ばせて頂いている、ひろさんの動画を見ていたんですけどね。

このお勧め動画は、動画の下の説明欄にリンクを貼っていますので、是非、ご視聴下さい!

その内容としては、『視聴者の方からコメントを頂いた』との事で、『嫌いな人や苦手な人の幸せを心から願うと自分の環境が整う』という事や、他にも複数の事が書いてあったようなんですが、ひろさんは、何でも実験して、それを動画にされているチャレンジャーな方なので、実際に、それをやってみたそうなんですよね。

毎日、かなり難しいながらも、嫌いというか苦手な仕事相手の幸せを祈り続けていたら、不思議な事に、10日目位から、そこまで嫌いではなくなって来て、20日位経った時に、その相手が『プロジェクトから外れる』という事になって、

「その時も、『よっしゃ~!』と喜ぶ事もなく、『あ、マジかぁ…』という落ち着いた感じだった…」

との事。

この話を聞いた時に、今日、朝から見た『基礎からのスピリチュアル講座』という動画と、これまでにも、色んなスピリチュアル関連の動画を見続けて来て、学び知る事が出来た内容とが繋がって、

「やっぱり、そういう事か!」

と、納得してしまったんですよね。

具体的には、様々な方々のお話は、多少違うところがあるのかも知れませんが、和多志の頭の中で理解して、まとめた事をお話しすると…、

大宇宙は『ワンネス』であり、私達の魂は、大宇宙からの『分け御霊(わけみたま)』だという事。

つまり、私達は、『身体は親から生み出されたもの』ですが、魂は、大宇宙の大元の1つの魂から分かれた『分け御霊(わけみたま)』であり、分かれた時、既に全く違う魂。

全く違う魂が、それぞれの肉体、つまりは、身体に宿るわけなので、肉体的には親子兄弟であっても、魂は全く別物である。

しかしながら、私達の魂は、それぞれ違った体験をして、そのそれぞれの体験を『アカシックレコード』に蓄積して行く為に、『大元の1つの魂』から分かれた『分け御霊(わけみたま)』である事から、自分の周りの人達も、全て大元は『自分』だとも言える。

なので、家族も周りの他人達も、全て『自分』だと考えると、『自己都合だけで、相手に対して悪い事は決して出来ない!』という事なんですね。

この事から言えるのは、誰かに対して意識的に自己都合だけで苦しめるような事をしたならば、その相手は、そもそも自分なので、その後、違う誰かから自分も同じように苦しめられる事になる、という事です。

つまりは、これこそが『因果応報』という事であり、

「相手の身になって考えて、言動出来る人間になりなさい!」

との躾けは、まさにこの事。

…と、スピリチュアル関連の様々な発信者の方々から学び、知ったんですよね。

でも、和多志自身を初め、誰も、この事を証明する事は出来ません。

なので、丸ごと信じる事は出来ないんですけど、しかしながら、実際の人間関係の事を考えると、妙に納得出来るんですよね。

もうひとつ、動画の下の説明欄にリンクを貼っています、お勧め動画の『基礎からのスピリチュアル講座』という動画でも言われていますけど、

「目覚めた人達同士で、どちらが正しいか争ったとしても、それは意味がない!」

との事。

同じく、『昔から何度も世界中で行われている大きな争い(=戦争)にも、意味は全く無い』という事ですよね。

だって、大元は、ひとつの魂から分かれて、私達1人1人の魂になっているわけで、それぞれが、全く違う考え方や生き方、人生を送る事こそが、私達の『大元の使命』とも言えるわけですからね。

なので、どちらが正しいとか間違っているとか、どちらが上か下か?とか、どちらが勝った負けたとか、負けた方は勝った方に従うとか、全くナンセンスなわけです。

私達は、『人それぞれ違う』という事こそが、当たり前なんですよね。

で、ひろさんが実験された、『嫌いで苦手な相手の幸せを願い続ける』という事も、その相手も、自分と同じく、大元のひとつの魂が分かれた分け御霊(わけみたま)なので、自分だとも言えるわけです。

なので、そもそもを言えば、相手の事が好きか嫌いかに関係なく、『相手の幸せを願い続ける』という事は、『自分自身の幸せを願い続ける』事と同じなので、『相手の幸せを願いながらも、実は、自分の幸せを願っている』事になって、『思考は現実化する』という事で、『嫌いで苦手な相手が自然と離れて行き、自分の環境が良くなる』という事だと思うんですよね。

普通は、自分を苦しめている嫌いで苦手な相手を憎んで、

「早く、ここから居なくなって欲しい!
 職場を辞めて欲しい!」

とか、ネガティブな事を願ったりしますよね。

でも、憎んで、

「離れたい!」

と思えば思う程に、余計に深く関わる事になったりして、自分自身が余計に苦しむ事になったりした体験ってありませんか?

和多志は、幼少期から自分の正直な気持ちを抑え込むように育てられたので、職場などで、苦手で嫌いな相手に対しても、無理して、他の人達に対してと同じように、普通に接しながらも、心の奥底では、

「あの人、違う部署に行って欲しいなぁ…。
 また、嫌な事言われた!」

と思っていると、益々、その人と一緒のグループになったりして、余計に嫌な思いをするようになって、結果、和多志自身が体調を壊して辞める事になったりしていたんですよね。

つまりは、苦手な相手に対して、

「離れて欲しい!」

と思っていると、その相手も、大元の魂を考えると自分なので、『自分が、その職場から離れる事になる』という事です。

面白いですよね。

なので、結局は、誰かに対して、ネガティブな事を願ったり、実際、言動で表現したりすると、『いつか必ず、自分の方が、相手に願ったり表現した結果になる』という事なんですよね。

よく聞く話ですけど、

「学校の部活や職場で、自分が先輩から厳しくされたから、自分が先輩になったら、後輩に厳しくしよう!」とか、

「自分が姑(しゅうとめ)からイジメられたから、自分も息子の嫁をイジメよう!」とか、

「自分が親から厳しく躾けられたから、自分の子どもも厳しく躾けよう!とか…、

『自分が下の立場の時に、上の立場の人に苦しめられたから、そのお返しに、自分が上の立場になった時に、下の立場の人を苦しめる』って、本当によく聞く話ですよね。

でも、こういう事を『代々連鎖』させているからこそ、いつまでも私達は、苦しい状態のままなんですよね。

だって、上の立場の人達は、下の立場の人達を『自分とは別人』と思っているからこそ、苦しめているわけですけど、大元の魂を考えると、下の立場の人達も『自分』なので、結局、『自分を苦しめている』事になりますからね。

実は、この事を知る前までは…、

「今、和多志くらいの50代~60代位の年代が、1番損な年代だよね~。
 若い頃は、親や上司に気をすり減らし、相手達から奴隷扱いされながら
必死に親孝行したり、上司に従う時代で、しかも、自分が親や上司の立場になった時には、子どもや部下を尊重して自由に育てたり、部下を応援したりする時代になったから、結局、私達の年代は、上の立場の人にも下の立場の人にも気をすり減らす年代だから、ホント、大損な年代だよね!」

と思っていたんですよね。

でも、だからと言って、自分も、家庭でも職場でも、上の立場の人達から自分がされた嫌な事を、下の立場の人達にしようとは、全く思わなかったので、『自分だけが我慢し続けて虚しい限り』だったんですよね。

これは余談ですけど、和多志が小学校2年生の時に、臨時の女性の先生から、

「自分がされて嫌な事は、絶対に誰にもしないようにしましょう!」

と道徳の時間に教えられたので、それ以降、しっかりと頭に置いて生きていますからね。

話を元に戻しますね。

でも、この分け御霊という事を知ってからは、

「全ての人達は、自分でもあるんだから、やっぱり、自分が苦しめられたからと言って、自分も、他の人を苦しめる事をしない事が正解だったんだ!」

と、納得出来たんですよね。

そう考えると、和多志は約50年近くも、実家や婚家の家族達や、様々な職場などの周りの支配的な人達から、散々、粗末に奴隷・ネガティブのゴミ箱扱いされて来ましたけど、それだけ必死に、和多志を苦しめる人達を助け守り支え続けて来たからこそ、顔も知らないSNSの多くの方々や、動画発信者の方々から、本当にたくさんの励ましを頂き、様々な事を教えて頂き、助けられ守られ支えられて来て、今の和多志があるのだと思うんですよね。

逆に、和多志を洗脳して孤独にし、ガンジガラメにしていた実家や婚家の人達は、今頃は、自分達自身が誰からも相手にされず、孤独になって苦しんでいるのではないかと思います。

人間は、自分が誰かにした事は、良い事も悪い事も必ず、いつか自分に返って来るので、やはり、相性の良い好きな相手に対しては幸せを願い、相性の悪い、苦手で嫌いな相手に対しては、何も思わずスルーして、自分から関わらないようにするか、出来れば、1日も早く離れて、争う事も支配する事も決してしない。

つまりは、人間関係は、『無理やり、自分と違う相手を自分に合わせようとする』のではなくて、『お互いに相手を尊重して、自分自身が相手と一緒に居るか離れるかを決めて、行動するだけでいい』という事ですね。

何度も言いますが、争い(=戦争)は、何の意味もないどころか、結局、相手を苦しめた分、相手も自分と同じ分け御霊=自分なので、自分を苦しめている事になり、確実に自分も苦しむ事になるので、良い事はひとつもありませんし、何の解決策にもならないんですよね。

人間は、何の為に、『考える脳』と『話せる口』があるのでしょうか?

人間は、『人それぞれ違う』という事が基本なわけですから、誰もが一生、同じ考え方になる事はないし、『それぞれ違う事こそに意味がある』ので、お互いに尊重し合い、話し合って、お互いに歩み寄ればいいだけなんですよね。

争う必要性など、一切ありません。

争うという事は、賢い人間がやる事ではないし、『愚の骨頂』だと、和多志は思います。

今回もご視聴頂きまして、本当に有難うございました!

それでは、また!
こころきょうこでした!

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【お勧め動画】

【全てを疑え 118】嫌いな人の幸せを願い続けた結果【いろはひふみ祝詞】

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1月13日「基礎からのスピリチュアル講座」

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最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一、大好きです!大感謝です!
他のnote・動画もご覧頂ければ、めっちゃ嬉しいです!
それでは、また!

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